第18話 貴族か否か
ズシャッ――という水分を多く含んだ布を叩くような奇音が三階の廊下に響いた。その発生源である肉片はたちまち真っ黒な煤となって跡形も残さずに消えていく。
〝いやーんっ!グロテスクすぎー‼〟
そんな気楽な悲鳴が内から聞こえ、俺は俄然気が抜ける。
廊下の奥から二メートルほどの怪物がひたひたと足音を立てて向かって来きているのだが、それすら日常の一コマのような常識的な意識で捉えてしまうと面白味がなくなってしまう。
〝ちょっとぉ、またヘンなのが来てるわよぉ!〟
「あーっ! ちょっ、少し黙れって! 気が散るんだよ!」
――――ふしゅるるるるるるう……。
「――――っ!」
そんな音が背後から聞こえ、咄嗟に俺は黄金の剣で薙ぎ払う。
一撃は入った、が。
敵の爪撃が繰り出され、剣で威力を殺しながら跳びし去る。
それは、一見して生物の様であるが、肉体の不整合さが自然的でないという不気味さを感じさせる怪物だ。華奢すぎるが必要最低限の肉がついている足、胴からは頑強な骨のようなモノが狂気的に内から突出している。
そして、最も不気味なのは五臓六腑の在り方だろう。体表を皮で覆われていないため、筋肉や血管が露出し、臓器が腹圧により垂れている。歩くたびに引きずっていく様は生を感じさせない不可解な人形。
頭部はヘンなカタチをしており、味噌が詰まっているようには思えない。最も警戒すべきは右腕から伸びた骨だろうか。
そんな思考で後ろを一瞥すれば、蝙蝠をちょっとばかし人型に寄せてデカくしたような怪物が迫る。翼の薄皮は廊下を擦っているため、俊敏性はなさそうだと予想。姿形を見比べたらまるで別物だろうが、その黒々しさは同類のものだと直感できた。
腹背に敵を受けながらも、俺は冷静に敵を観察。
そして、
「――――――ッ!」
敵の動作に同期させ、豪腕を叩き落とし、続けざまに頭部らしきものを斬りつける。黒煙を発したのを確認しつつ、墨汁のような返り血を浴びながら背後の怪物へ斬撃を放った。
「ギャァギァアアア!」
粗末な悲鳴を発している隙に、胴をフルスイングで割断。
二体目を速やかに討伐――。
〝うげぇっ、あたしグロと虫はNo Goodなのよ〟
「静かに、なにか音がする……」
鉄を叩くような幽かな音が上の階から響いてくる。
それすなわち、先程の怪物とは明らかに違う何かがいるということ。見た目だけではなく、声らしきものを発したりと個体差が非常に顕著なため、警戒しながら耳をそばだてる。
が、音は途端に途絶える。
鬼が出るか蛇が出るか、そんな心境で俺は階段を上った。
「どうなっているのだ。 この化け物どもは、一体なんなんだ!」
そんな喧しい既知の声で俺は落胆する。
――アイツじゃねーか。
幾らかの期待と興奮の熱は冷めてしまい、ブルーな気持ちへと早変わり。
この失意をそのまま返してやろうと、俺はいいことを思いついた。
〝お友達? ギルちゃん、まさか!〟
気配を殺しゆっくりと背後に近づく。
彼が新たな怪物と戦い見事屠った様を見届けて、
ドカッツ――――!
「おわぁああっ!」
ケツを蹴り飛ばした。
彼は驚倒の声を上げながら怪物の残骸へと腹這いに倒れる。
ビチャッ、なんて音を奏でながら向けてきた顔は――傑作。鳩が豆鉄砲を食らったような表情そのもので、ひどく滑稽だった。
「あはははははっ! おわぁああっ、だってよ。情けねーなぁあはははは!」
「コロス、諸悪の根源は貴様だぁあ! ギルフレットぉおおおお‼」
たまらず笑っていると、物騒にも銀の剣を振りまわしてくるレイン。
「落ち着けよ、こんなことしている場合じゃないだろう?」
それを華麗に躱しながら言う俺。
「それは俺様の台詞だぁ‼」
〝学友との青春、懐かしいわぁー〟
そんな的外れなコトを言うオカマ。
まともに喰らえば一撃で死ぬというのに、呑気なものだなと所感して、俺はやぶさかではないため軽く剣を交えた。
金属の甲高い音が響いた、そのとき――
「おい、新しいのがお出ましだぞ」
「貴様のせいだ馬鹿!」
暗闇の奥、分厚い影がゆっくりと歩いてくる。
どうやら先程のより強そうだ。
「俺様が合わせてやる!」
「いや、俺が合わす」
事実として、俺の方が実技での成績は優秀だ。
そして、合わせられるのは何となく癪だから。
「貴様が貴族の剣を扱えるのか⁉ いいから黙って従え!」
「……俺は足を斬り落とす。お前は落ちてきた頭だ」
「それでいい……」
〝きゃあっ! この子、ツンデレくんだわ!〟
そんなふわふわとした声を度外視し、俺は正面を見据えた。
赤く点る怪物の双眸がこちらに向けられ、両者の視線が交差する。
そして、息を呑むべき静寂の間を挟み。
途端、凄まじい速度で廊下を疾駆――――
「――――いくぞっ、おかっぱ貴族!」
「貴様ぁ! あとで覚えてろよ‼」
そして、ふたつの剣が怪物へと放たれた。
◇
「うう、うううっ……」
暗澹たる教室よりも更に暗いハコの中、彼は膝を抱えて震えていた。
おかしな事が起こり過ぎて、正常でないのは自分の方ではないのか、などという疑念に囚われてしまい、恐慌しながら身を隠すことしかできない。
――ああ、頭がおかしくなりそうだ。
あの時、彼は殺気という衝動だけで行動していた。
殺すという結果のために歩き、歩くために呼吸し、呼吸するために心臓を鼓動させた。
そんな絶好調、或いは絶不調でいた彼は、不意に一人の少女を見つけた。
良い匂いがしそうな青みがかった白髪。サファイアの如く鮮やかに煌めく青い瞳。そして、喉から手が出るほど希求する美しい全て。
――あれが、欲しい。
そう願って叶わなかった女性が。
今、この薄暗い廊下に一人で存在している。
その現実を理解した時、彼は衝動を抑えられなくなった。
何のために生きているのか。そして、なんのために彼女と巡り合ったのか。
全てが符号するような感覚に襲われ、気付いたら――背後から心臓を一突き。
その感覚は意外にも、快感などではなかった。寧ろ――何も感じなかったのだ。
その時になって、彼はハッと現実を省みた。
残ったのは廊下に広がる凄惨な現場。
彼女は静かに血だまりの源となっている。
その様はやはり美しく、それでいて酸鼻を極める無残な死体だった。
自分が彼女を殺してしまったのだ。商業科の首席である彼女、学園で一番麗しい傾国少女を。そんな自分よりも圧倒的に優れた人の未来を、この手で奪ってしまったのだ。
その現実を理解してしまい、彼はその場を走り去った。
――違う、違う、違う、違う、違う、違う、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう。
恐慌した頭で必死に現実逃避しながら、彼は――最後に奇怪なものを見た。
彼女の死体がある方向から黒々とした肉と骨の塊が蠢き、生命に擬態するように形作っていく。およそこの世のものとは思えない化け物が生成されていく光景に脳をやられ、ロイヤスは何も考えられなくなる。
その結果、四階のロッカーに籠ってガタガタと震えているのだ。
奇妙な音にいちいち慌てふためきながらも、息だけは殺していた。
それは、彼に残った最後の感情――恐怖による生への本能だった。
◇
「あああぁっ! やめ、やだっ――」
そんな情けない声を発してロッカーから男子生徒が出てきた。もとい、レインによって引きずり出された。
「……れ、レイン?」
「ロイヤス! 貴様、こんな時にこんな所で何をしている‼」
「ば、化け物が居たんだよ! だから、ここが安全だから……」
泣きべそをかきながら言った彼は誰だろうか。
レインは知っているようだが、俺が全く知らない生徒だ。
「フォワーズ家の男児ならば戦え! 貴様には誇りというものが酷く欠落しているようだな‼」
〝レインくん、まるで我侭な子を持ったママね〟
「そりゃ、言えてるな」
「黙れ! 平民‼」
どうやら心の内で話していたことが漏れてしまったようだ。
そして、彼は聞き捨てならないことを言った。
「いや、俺は騎士爵家の――」
「騎士爵は一世代で終いだ馬鹿!」
――――な、なんだ、と?
落雷の如き衝撃に襲われ、俺はよろめく。
片膝をつきながらその言葉を反芻させていると、オカマが追撃の一手を加えた。
〝そうよぉー。騎士爵は爵位じゃなくて名誉称号だから、レインくんが正しい〟
「りょ、領地があるのは?」
「ハッ! そんなもの仮初にすぎん!」
〝男爵とかに借りている、もしくは用心棒として……村長? みたいな立場なんじゃないのぉ?〟
「騎士爵の爵は、爵位の爵じゃあ……」
「な、ないと思うよ? あと、ギルフレットくん、胸ぐらを掴まないでくれるかな……。顔怖いし」
――そうか。
俺は手を放してスッと立った。
昔から見栄を張ったり、張られたりというものが嫌いだった。だから近所のおじいさんの手伝いなんかも無償でしたし、学園では平民然として過ごしていた。
つまり、違和感を抱く機会すら一度もなかったのだ。
「なぁ、そこのお前。ああ、お前だ金髪。この学園で貴族と平民、どっちが偉いと思う? 正直な気持ちで言ってみろよー、誰も怒らないから」
〝ギルちゃん、キレると饒舌で言い募るのね……。知らなかったわ〟
「ひぃっ、き、平民だよ……」
「ああ? きこえねーよ、ハッキリ言えよ」
「平民! 平民の方が、凄い! 優秀‼」
名も知らない生徒は涙を浮かべながら縋るように言う。
それを傍目に見たレインは苛立ちながら否定する。
「何をほざく! 学園での身分は皆等しい筈だ‼」
「そーだよなぁ、平等だよなー」
俺はそれに同意する。だってソレは当然のこと。身分の差など元から皆無。
生徒は皆平等だと校則で定められているのだから。
「ぼ、び、ぼょう……平等?」
「お前も――」
「へ?」
「そ う お も う よ な?」
「ひぃいっ! そう思いますぅ‼」
彼は何故か土下座して頭を打ち付けてきた。それは病的なまでの行為だったため、俺は気味が悪くなり、教室の扉を開けて廊下へ出た。
――あの動作はなんかの宗教だろう、たぶん。
〝ギルちゃん、そんなにショックだったの……〟
「ショックじゃない! 至って冷静だバカ‼」
「馬鹿とは何だ。ギルフレット、俺様を誰だと思っている!」
「あー、お貴族様ですよー。お前の態度は貴族しかあり得ない滑稽さだろ」
〝ムカ着火ファイヤー再び⁉〟
「貴族を馬鹿にするなぁ! 並みの貴族よりも身分が上だからって威張るなよ! 俺の方が何倍も志が気高いんだからな‼」
「――――まて、今なんと言った?」
誰が並みの貴族よりも偉いのだろうか。
「ああ? 貴様が馬鹿だと言ったんだ!」
「いや、その、身分だとか……」
「皇族専属騎士は子爵以上の身分は保証されている。貴様でもそれくらい知っているだろう」
「ああー、ああ、知っているとも、例えば、外ではそこの金髪よりも身分が上だってことくらい」
俺は金髪のチビに指を差してそう言った。
彼には貴族らしい横暴で強欲な雰囲気が感じられる。
それは、どことなくクリスと似ている印象だった。
「こいつは俺の義弟だ」
「――え?」
「恥だが、否定などできん」
「義兄さん……」
「ええい! 貴様は保健室に行って謝罪してこい! 話はそれからだ大馬鹿者‼」
〝兄属性もあるなんて尊いわぁ〟
オカマの勘違いは甚だしいが、レインも彼なりに苦労しているのだろう。
だが、俺の方が絶対的に苦労しているのでぶん殴ってやりたい気分だった。
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