第15話 傾国少女

 昨今の休み時間は普段よりも静寂の色が濃い。それは、定期試験が迫るこの時期特有の雰囲気。皆がこぞって図書館にしけ込んでいるのは言うまでもない。


 そんな中、静謐となるべき校舎裏の間隙に生徒が屯する。

 女子生徒一人と、男子生徒五人。

 その五人は一様に下衆の笑みを浮かべて一人の女子を囲う。


 彼らは上流貴族の庶子が集う不良グループだ。家を継げないため将来への志がなく、勉学もまともに励んだためしがないため成績も下の下であるという生粋の凡俗たち。


 始まりは一人の男子生徒が水色がかった白髪と鮮やかな瑠璃色の瞳を持つ女子生徒に惚れ込んだことだった。父親が公爵であることで増長していた彼――ロイヤスは告白を突っぱねられたことで逆上し、仲間を呼んで恫喝。されど超然とした彼女の様子に痺れを切らし、態度と行為は次第にエスカレートしていった。


 腹部を殴っても痛がる素振りを見せない彼女になら何をしても許されるという、行き過ぎた錯覚が芽生え始める。

 暴行事件を起こせば謹慎は免れないが、裏を返せばそれだけで収まる事。上流貴族家である五人と平民の女子一人。そんな意識から、彼らは一線を超えようとしていた。


「おい、脱がせ!」


「いいぞ、やっちまえ!」


 下衆な笑みを浮かべてオーディエンスはそう煽る。


「抵抗すんなよ? お前なんかがチクっても誰も助けてくれねぇからよ!」


 優位であるという慢心から、美しい彼女を屈服させようと罵声を放った。

 それでもなお、彼女は無表情で無感情のまま。


 汚らわしい指が胸に伸びる。


 それを、


 ――殺してやる。


 彼女は本気で切り落としてやろうと――――


「へえ、おもしろいコトしてんじゃんか」


 殺気立った意識は埒外の声で一転。

 声の方には黒髪に金色の三白眼という端正な顔をした男子生徒。体躯は筋肉質であり、百八十後半ほどの長身である。


 彼らはその体型と鋭い視線から粟立つ。

 一対五であったとしてもフィジカル面で圧倒できるのは自明の理。それに加え、本気になれば腰に差した剣により斬り伏せられて終いだと、そう一目で理解させる彼は口元を歪めた。まるで獲物を見つけたプレデターのように見る者を戦慄させる趣を醸す。


「ちっ、覚えておけよ!」


 一人がそう吐き捨てると、ほうほうの体で校舎裏の奥深くへとこぞって逃げていった。

 睨みを利かせた彼はというと、関心が失せたと鼻白んで明るい方へ踵を返す。


 残された彼女――フィオナ・アルツは事もなげに立ち上がり、校舎裏から出た。

 無味乾燥とした日々を繰り返すために。



       ◇



 俺は雑多な資料室で休息を取ることにした。

 昨日はゼーネにこっぴどく叱咤された――否、罵倒されたと言った方が適切か。


 だから、睡眠不足なのだ。

 オカマは夕方の件で満足して、俺は数時間にも及ぶ説教を一人で耳が痛くなるほど聞いたのだから、眠気と苛立ちに頭がパンクしそうだった。


 この時期は図書館に生徒が集中し、空き部屋が目立つ。そのため、渇望する安寧の地を探していた折、三階にある資料室を発見。主に商業科の資料が置かれている多目的空間であり、その静寂さは睡眠に最適といった具合。卒業生が残したであろう遺物――ソファでどかりと俺は横臥位になる。


 ――クリスなんかが尋ねてくることもないだろうし。


 そんな思考で見渡すと、おしとやかで可憐な女子生徒が勉学に励んでいた。

 長方形の折り畳みテーブルに向かい、こちらを気にする様子は皆無だった。


 椅子に座っているため目算だが、身長は百七十ほどあり、スラリとした体形だと窺える。容姿だけで火の粉が降りかかってくるのは不憫極まりないが、俺には全く関係のないこと。


 仰臥位に身体を直し、ゆっくりと目を閉じる。


 先程はただの気まぐれであり、楽しそうだったので遊んでやろうとしただけの話。八つ当たりというべき行為は敢行されることなく終わった。

 他人を害しておいて自分がその立場に陥ったら芋引くという、姑息で滑稽な輩はそそくさと逃げてしまったので面白味は皆無だった。


 彼女は静かに存在しているため、俺は気にも留めずに深い眠りへと身を委ねた。



       ◇



 わたくしは午後にあった全学必修科目を一人で受けることになった原因――ギルを探しているのだが、あちこち探せど見つかる気配すらない。

 試験日が近づいているため、どこかで勉学に励んでいるのだろうとも考えてみる。彼の性格上試験対策などに興じることはないと理解していたが、少々思考を改めるべきだったか。


 騎士科の実技試験は実戦なため、一人で研鑽を積むにはそれなりの空間が必要な筈だ。

 そして、筆記対策ならばこの時期の図書館は猥雑なので却下。同じ理論で食堂や教室も潰す。普段なら外だと考えるだろうが、本日は雨なのでその線は限りなく低いだろうと予想。


 昼休憩を過ぎたあたりから空が泣きだし、今では黒々とした曇天によって校舎全体を暗澹とさせている。放課後の学園は多くの学生が帰宅、或いは寮へと向かうため、雨を訝しんで落胆する生徒は昇降口に屯している。

 もっとも、わたくしのように高貴の者ならば豪奢な馬車により濡れる心配など不要なのだが、ギルを置いては帰れないため捜索は急務だった。


 目撃情報の少なさから人目につかない場所にいると考えられるが、残念ながらわたくしに校舎の知識はなかった。

 だだっ広い校舎を転々としていても埒が明かないと頭を捻る。


 ―――そうですわねー。


 校舎の見取り図を入手できれば今よりも有意義に思索できるだろうか。

 そんな思考を巡らしていた折、手頃な凡俗を見かけたため利用してやろうと声を掛けた。

 輩の一人、名前は分からないが、たしか公爵家の者だったか。


「そこのあなた。ギルフレットを探しなさい」


 この前ギル探しのため数人で使ってやったのも記憶に新しい。この手合いの者はじめじめとした暗所を好むため、学園の細部を知り尽くしていたりするものだ。

 一度の実績もあるため、適切だと思ったわたくしは――不意に尻もちをついた。


 ――え?


 突然のことで、わたくしは理解が及ばずに彼を見上げた。


「うっぜーよ、お前」


 そんな悪罵が頭上から放たれ、わたくしは咄嗟に頭を抱える。

 途端、ブチブチという嫌な音と共に髪を引き千切られる痛みを味わった。


「イタッ、痛いですわ!」


 ここは決して人目のつかない場所ではない。現に、五六人が今もこちらを窺っているのだ。

 しかし、誰も何も言わないし、行動も起こさない。関心を向けるだけで、誰一人としてわたくしを助けてれくれない。


「皇女だからって調子に乗んなよ!」


「ぐぁっ、やめて……」


 公衆の面前でわたくしは無力にも引きずられる。

 それは、学園の廊下での出来事であった。


 ――ゼーネ、ギル、お兄様! 誰でもいいから、誰かわたくしを助けて‼


「どいつもこいつもナメやがって‼」


 彼はわたくしを壁に叩きつけ、屈んだ身体を何度も蹴りつけた。


 痛くて、苦しくて、怖くて、悔しくて――

 そんな乱雑とした感情の渦に呑まれながら、不意にわたくしは彼の言葉を想起させた。


『だが、学園での越権行為はやめたほうがいい。さもなければ爪弾きにされるぞ』


 ギルの忠告めいた一言を、絶対に起こらないと、その意味も考えずに否定してしまった。

 その愚行を、


『そんなことあり得ないですわ。わたくしは皇女ですのよ!』


『……なら、俺が君を守る必要はないな。いざとなったら周りにいる奴らに守らせればいい』


 そう吐き捨てた彼の苛立ちが、今のわたくしには痛いほど理解できてしまったから。

 この状況は自業自得だと、ギルはそう言ってわたくしを見捨てるのだろうか。

 そんな不安が心を押し潰すようで、もはや身体の痛みが薄らいでいくようだった。


「おい、何とか言ったらどうだ!」


 そして、彼は胸ぐらを掴んで追撃の拳を――――


「なにをしている! 貴様‼」


 と、廊下の奥からけたたましい声が響いた。その主である銀髪の男子生徒は睨みを利かせてこちらへ向かって来る。

 名はレイン・ド・フォワーズ。帝国が誇る四公爵であるフォワーズ家の嫡子だ。


「レインっ、邪魔すんなよ!」


「貴族の誇りをも忘れたか! ロイヤス‼」


 レインは先日の決闘で名誉を傷つけられた筈。その原因の大元は自分にあるのに。

 そんな思考により自分自身が惨めになっていく。そして、わたくしは盲目だったと忸怩たる思いで自らを恥じた。


「くそっ!」


 ロイヤスと呼ばれた彼は廊下を脇目も振らずに走り去っていく。

 周囲の生徒は関わりたくないと自ら道を開け、それを追う者も当然のようにいなかった。


「クリスティーナ殿下、保健室へ」


「――――――」


『君は自分の立場を理解しているのか?』


 その言葉の本当の意味を、考えもしなかった彼の態度を。

 わたくしは漸く理解した。


「レインさん、先日のこと……すみませんでした」


「なんのことでしょうか?」


「……決闘のことですわ」


「俺さ――ゴホンっ、私奴わたくしめとギルフレットの決闘は公正なものでした。殿下が落ち度を感じる事など一つもありません」


 彼は息を吐くようにそう言った。

 わたくしは嘘を見抜く魔眼を有しているから――その厳粛な騎士然とした公明正大さに心から深謝した。


 そして、変わりたいと思った。

 以前の自分が愚かだったと、悔しくもそう強く思えたから。

 ギルのように、相手が誰であっても態度を変えない人に。

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