第8話 至高のクリスティーナ様に愛を
朝起きたら体が重い。つまり、オカマが夜はしゃいだということだ。この城から脱走し、律義にも戻ってきたのか。そのままどこか遠くに行ったならコイツのせいにして逃亡できるのに。
そんなものぐさな思考のまま制服に着替え、私室から出て気付く。
――ああ、そうか。今日は休日だ。
学校がないといっても室内では落ち着かないため、そのまま散歩がてら城内を巡ってみることにした。
廊下は純白の壁面に金色の緻密な柄が浮かび、柱には芸術的な彫刻が彫られている。さもありなん、ここはこの国で一番高貴な城なのだから当然のことなのかもしれない。しかし、やはり見応えがあるものだ。豪華な四周に囲まれた自分も高貴な人であると錯覚しそうで名状しがたい不安がある。自分というものが見失ってしまうような輝きすぎる恐怖。
そんな心情を抱きつつ、赤いカーペットが敷かれた廊下を歩き、巨大な螺旋階段を下りていく。すると、足元はいつしか石畳に変わり、直射日光が俺を刺すように照らした。
そこは訓練場のようなものらしく、数人の男女が剣の稽古をしているのが見える。
俺はそんなに羨ましそうに見ていたのだろうか。一人の女性が向かってきて声を掛けてきた。
「貴殿はクリスティーナ皇女殿下の専属騎士だったな。ちょうどいい、手合わせ願おう」
なにが丁度いいのか分からないが、唐突にそんなことを言った彼女は木剣を手渡してくる。その金髪は雑に短く切られているようでいて、意外にも整っているような髪型。そのため、男勝りな印象を抱かせるが、その風雅さは女性の気品さを確かに含んでいる。年齢は二十前半だと予想でき、滑らかな線をした長躯は俺より少し低い程度。
一見して実力は図れないが、俺は乗り気で剣を取った。ちょうど退屈していた所なのだ。
「木剣が身体に触れたら負けだ」
「ああ、かまわない」
すると、周囲が色めき立つ。決闘は珍しいものなのか、はたまた部外者とのソレが珍事なのか。騎士たちは口々に心証を述べる。
「クリスティーナ殿下の専属騎士対決ですわ!」
「俺はゼーネ様に賭けるぞ」
「バーカ、賭けになんないよ。ゼーネ様はこの国一の騎士なんだから」
剣を正中線に構えた彼女の姿は隙がない。それだけで、圧倒されるような力を肌で感じた。
圧迫者を前に、俺も俄然やる気になる。滅多に味わえない剣と剣との戦闘に武者震いしながら渾身の一撃を叩きこんだ。
◇
私こと――ゼーネ・リィ・フォワーズには心の内に秘めた野望がある。
それは、クリスティーナ様と添い遂げることだ。姫様の美麗さはこの世界の宝であり、それは私にとっても至宝なのだ。翡翠の瞳は私だけを見つめて欲しいし、絹のような髪は私が毎日梳きたい。そして、寝る前にはお休みのキスを、朝にはおはようのキスをしたい。
とはいえ、別に理由がなくても玉の肌をぺろぺろしたいのだが、十中八九引かれるだろうからそんなことはしない。太陽のような笑顔は私の心を浄化し、その佇まいの可憐さによって私は正常を保てないほどお慕いしているのだ。傾倒し過ぎて三百六十度愛が巡り続けるように、この想いは誰よりも強いものだと確信している。
――ああ、なんて美しい!
その麗しいお姿を想起させるだけで、どんな心境であったとしても喜ばしいひとときへと変遷する。
そんな帝国に咲く一輪の花――クリスティーナ皇女殿下にかしずくのが私の至福であり、野望なのだ。
「痛ってっ!」
この私、ゼーネ・リィ・フォワーズは分家の生まれだ。フォワーズの本家は専属騎士になる資格が大いにあるのだが、分家の私には希望が薄かった。だから――不安だった。何度くじけたことか、何度挫折したことか。しかし、野望のために剣を振り続けた。
そして、努力の甲斐あって、このゼーネは遂に皇族専属騎士にまで上り詰めたのだ。本当に瑣末な事だが、その過程に帝国騎士団の団長という肩書も手に入れ、公爵家の当主に就任した。姫様が十五の年に騎士になり、そして分家だが本家に勝るとも劣らない地位にまで至った。
しかしながら、姫様は一人がお好きなようで、私は関係を築きあぐねているのだ。どのように接するべきか、用がなければそっとしておくべきか、はたまた朝はおはようのキスを、夜は添い寝するべきだろうか。
――うーん、悩む。
「ぐぅわっ!」
個人的にはメイドの仕事を全てやりたいのだが、団長としての職務を果たさなければ帝国から追放されてしまうのだ。あと少し、あと数年で後続を育て上げることができるのだ。そうなれば団長を譲り、メイドの役も全て私が請け負うというのに。仲良くなって、至福のひと時を謳歌するのだ。それこそ私が恋焦がれる至高の日々。
だが、やはり姫様の気持ちが一番重要である。不快ならば自害できる覚悟も持ち合わせているこの私のことが目障りだとおっしゃれば姿を消そう。そして、好いておられるのなら私は彼女に一生涯この身を捧げよう。
それこそが私の使命なのだ。クリスティーナ様の幸福が私の幸福。
しかし、茫とした不安もある。そして、不安要素も。
――クリスティーナ様は私を好いておられるのか?
「おらっ!」
無論、私は彼女が望むことを全てやったつもりである。メイドが四六時中いるのは不快という言葉を聞いて私は泣く泣く距離を取った。メイドは即時に解雇され続け、今はメイドが一人だ。そんな中、私は解雇されていない。
つまり、そういうことだ。姫様との関係は今のままが適切だということ。
休みの日は顔を見せないで、とおっしゃられたので私はこうして剣の腕を磨いている次第。
「うわっ!」
そして――先日騎士として任命されたコイツ。
「はぁあああ! ぐぉおっ――」
「ギルフレット・ライズ・アレキサンドライト‼ 貴殿の実力はそんなものか‼」
私は剣を叩き、彼の顔面を打った。
実力は充分か、騎士として必須である剣術の腕はあるのだから。剣術大会で準決勝に至るという武勇はそれほどの名誉なのだ。おおよそ、他国の王子に手加減して負けたのだろう。つまり、実力はそれ以上。若さ故に伸びしろも大いに結構、卒業後は是非騎士団に欲しい人材だ。
――だが、足りない。
――何が?
――愛だ。
「くっそ、学生相手に本気かよ……」
――もろすぎる。
私は何度くじけようと、何度倒れようと、何度落とされようと、絶対に諦めなかった。その末に専属騎士という名誉を勝ち取ったのだ。姫様のご機嫌取りは私にしか務まらない、その筈なのに。
にも拘わらず、コイツは姫に気に入られただけで騎士になった凡夫。専属騎士とは忠義に薄い奴が務まる役ではないし、まだ学生だ。ことによると、色恋の発展もあり得ないことではない。腹の内では姫を籠絡し、地位と名声しか見ていない俗物かもしれないのだ。
――――ゆるせん!
「くたばれっ!」
「ぐぉっ!」
鎧で覆われた足が青年の土手っ腹を蹴り上げた。
そのまま、彼は頽れる。
私の剣戟をここまで防いだのは見事。しかし、まだ足りない。強くなければ何も守れないのだ。命をかけて姫様を守れる本当の騎士でなくては、この大役は決して務まらないのだから。
「立てっ! 貴様が姫様に相応しいのか! 貴様が示せ、ギルフォード‼」
「ギルフレットだ……」
彼は呟き、立ち上がる。
そして、その目は実戦の眼差しに。
――ほぉ、今更本気になったか。
だが、もう遅い。あと数撃で体力も尽きるだろう。そしたら立ち上がれまい。
――――そんな思考はそれを見て、一瞬の硬直。
木剣が眼前の、息がかかるほどの距離に位置している。
咄嗟に、私はソレを払い落とす。余念を巡らせながらの戦闘は少々失礼だったようだ、それ以上の実力を彼が持ち合わせていたということ。
これで敵の武器は消失した。つまり、私の勝ち――
「はぁあああああっ!」
「――なにっ⁉」
途端、全天の空が視界へと這入りこむ。
――してやられた!
と思考した時には流れるように腕を拘束される。
「腕挫十字固だ、これ以上やると折れるぞ」
動かそうにも堅固な足に首や胸を押さえられて身動きすら封じられる。
それは、私が知らない技だった。
――コイツ! 剣士じゃない‼
格闘は剣を持てない庶民の技。剣が敵わないときのために身に着けているのか、その鮮やかさは熟練の技術のように思えてならない。
腕の関節が張り詰めて、これ以上力が加われば脱臼、或いは骨折もありうる。
しかし、そんな覚悟はとうの昔にできているのだ。
「舐めるなっ! 折れっ、折ってみろ! そして、証明しろ! 貴様が姫様に相応しか己が示せ‼」
「はぁ⁉ 何言ってんだコイツっ!」
「このヘタレめ! 魔力強化‼」
「おい、魔法は反則だ――」
――――ドゴォン‼
地を揺らす衝撃は魔法で強化された拳から。格闘ならば格闘でやってやろう、その上から凌駕して叩きのめしてやろう。何度でも潰して、私を認めさせるがいい。万が一認めさせたならば貴様の勝利だ、ギルフレット。
私は地面を片手で殴ったが、なおも拘束されている。やはり一筋縄ではいないようだ。
――だが、こんなもの、痛くも痒くもないないわ!
「折るぞ! マジでっ」
「やってみろまぬ――っ!」
その時――――。
「なにを……していますの⁉」
かぐわしい香りと天上の妙なる声によって私は確信する。
そして、その方を見やれば、躊躇いがちに赤面させた姫様がこちらを窺っておられた。
――あのクリスティーナ様が赤面しているだと⁉
それは、初めて見るお顔だった。
その現実に私は衝撃を受け、陶然と酔いしれてしまう。
――なんて可愛らしいのだ、今すぐ食べてしまいたい‼
と、心底願うほどに羞恥が募り、自尊心が削られる。意外にも、そのシチュエーションに私は興奮を覚えてしまった。
そして、なんて光栄なことだろう。訓練場なんて汚らわしいと言って近寄りもしなかったのに。否、こんな情けない姿をご主人様に見られてしまったのだ。それを私は恥じるべきであって、それが忠義というものだろう。
専属騎士としての名誉が地に落ちる失態なのに、何故か。なんで、こんなにも――
「おらっ!」
――――なんて快感なんだ‼
「らめぇええええええ‼」
私の顔面を何かが強打する。質実剛健であるこの私が殴られ、無様にも星を散らした。
「ギルっ、なんてことを!」
駆け寄ってくる彼女の姿はなにより美しく、麗しい。そして、こんな体たらくを見られてしまったのに、何故こんなにも私の胸は昂揚しているのか。それは、新しい扉が開いたような清々しい気分だった。
少しギルフレットのことを気に入った――とまではいかないが、見直した。
彼ならば新しい刺激を私や姫様に与えてくれるかもしれないから。
「ギル、ゼーネに謝りなさい」
「いや、だって……」
私は赤面して動悸や息が荒くなる。
含羞に火照ってしまい、身体のどこかが疼く。姫様による羞恥は甘い蜜のように心を動揺させる。あの恥じらう表情に私はキュンと食らってしまったのだ。
自らの新たな一面を知れたのは僥倖。そして、それをなしたのは彼である。ならば少しばかりは感謝するべきかもしれない。
「――合格、とは言えないが、根性だけは認めてやろう。そして、学園がない日は私直々に稽古をつけてやろう。きっと、貴殿は今よりも強くなる」
「わ、わたくしも暇なのでご一緒しますわ……」
姫様はそう言って視線を逸らす。普段は何事にも興味を示さずに飄々としていらっしゃるのに。
――この私に会いに来てくれると?
「――なんて、光栄」
私は鼻血を噴き出して倒れた。団長と叫ぶ数多の声がノイズとなって姫様の美声を遮る。今声を出している団員は起きたらぶちのめしてやろうと所感しながら意識が薄れていった。
姫様の看取られる感覚は、やはり筆舌に尽くしがたい快感だった。
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