第7話 マンティコアのマンは誤記によるものらしい

 サイファの森でマンティコアが目撃されたという情報が冒険者ギルドに入ったのは丁度一か月ほど前のことだった。


 マンティコアとは、人面かつライオンのような胴体にコウモリの翼、そしてサソリの尾をもつというキメラ型の魔物である。数ある魔物の中でも、その脅威と獰猛さは群を抜いているため、ギルドは即刻討伐依頼を出した。しかし、その頃は連戦続きであったため、依頼をこなせるほどの冒険者が集まらなかった。


 そう、非常にタイミングが悪かったのだ。


 奴らは一か月という短期間で三世代にまで増え、このままでは三世代目が繁殖し、ねずみ算式に発生し続けることになるだろう。

 マンティコアは餌として人肉を好むという人類の天敵。それを討伐するのが俺たち冒険者の役目なのだが――


「レオ! 三時の方向、大型級二体接近!」


「無理だっ、撤退だ! マリ、早く‼」


「僕をおいていけ、レオニス……」


「何を言っているんだ! ハイルっ」


 ハイルは俺の幼馴染であり、兄弟みたいな存在だ。レオニス、ハイル、マリの三人組は村では有名な悪ガキだった。ハイルが計画を考えて、俺が強引に実行して、マリが大人たちを宥めていた。


 そんな俺たちもやがて大人になり、一流冒険者にまで上り詰めた。あの時のようにハイルが作戦を考え、リーダーの俺が前衛として戦い、マリが魔法で援護した。


 ――順調だった。


 きっと、俺たちは歳を取って引退するまで仲間として戦っていくのだと、そう……願っていた。


 マンティコア討伐クエスト。


 その魔物は銀級以上でないと足手まといになるほどの強敵。銀級の多くは連戦続きで到底戦える状態ではなかった。


 そして、この町での金級は俺たちのみ。


 ハイルはこれ以上放置したら収拾がつかなくなる事態にまで発展すると言った。近いうちに国ですら持て余すほどの大混乱が起こると。サイファの森がマンティコアの拠点となって、国の至る所に派生、増殖。そうなれば帝国はおしまいだ。いくら帝国屈指の実力者であったとしても、数の多さと分布の広さは処理しきれないだろう。そんな予測は杞憂などではなく、ありうべからざる未来として今も進行していた。


 ハイルは賢いヤツだ。ギルド総出のクエストも彼が立てた作戦で何度も窮地を救った。だからギルド公認の参謀として皆に頼られているのだ。


 そして、マリは天才だ。子どもの頃から俺たちの背中を追っていたような穏やかな性格の彼女は、魔法という分野に関しては随一だった。この町、否――この国でもその腕前は霞むことがないと俺や町の皆が一目置いているほどに。


 そんな二人がいて、俺は本当に幸せだった。生まれ変わっても、この二人の仲間として人生を繰り返したいと、口には出さないが本気でそう思っている。小さい頃はそれが当たり前だと思っていたが、大人になってそれが何より幸福な事だと――わかったから。


「いけっ! マリ、ハイルを頼んだぞ‼」


 彼女の涙を見るのは子どもの頃以来だ。


「うっ、うん……またね、レオ……」


 いつからだろう、彼女がこんなに強くなったのは。


「レオニス……」


 その声は毒に侵され弱々しかった。


「俺は惨めに死んでやらねぇから!」


「君ってヤツは、本当に昔からカッコいいヤツだったさ」


 いつからだろう、彼が俺を慕ってくれるようになったのは。


 マリはハイルを担いで飛翔魔法で飛んで行った。遠くへと小さくなっていく姿に俺は堪えていた涙を流す。


 そして、いつからだろう。ふたりがこんなにも大切な存在になったのは。


 これでよかったのだと、これが俺の使命なのだと。そんな達観した思考の中、俺はもう少しだけ生きてみたいと切に思った。彼らと共に、時間を共にしたい。ハイルが欲しがっていた本を買ってやって、マリが行きたいと言っていた海に連れて行ってあげよう。


 ――それが、できないのが、本当に。


「――――くやしいっ!」


 俺は眼前に鎮座する二体のマンティコアを睨んだ。

 冷殺するように、最大限の殺気をこれでもかというほど敵にぶつける。


「こいよっ! 魔物がッ!」


 ――俺の町を、村の皆を、ふたりの親友を。


「――――俺が守る‼」


 その時、星が瞬く夜空から裂帛の豪気が降り注いだ。


「――――――オカマ参上‼」


 途端、ドォオオンッ、と大地に誰かが衝突――舞い降りた。


「あなた、若いのに豪胆ね」


「あんたは……」


 その人は、オカマでいいわ、と言って魔物へ悠然と歩いていく。

 その様はまさに――強者の風格。


「右は俺が引き受ける」


「そうねぇ、なら左の子と遊んであげようかしら?」


 オカマは歩みを止めない。その気迫に気圧されたのか、魔物は一歩後退った。


 そして、敵の初動を感じ取った俺は刹那的に肉迫する。

 剣を片手に、一本の矢の如く。


 それに同期するように、あんぐりと大口が横に開く。噛み付かれれば、たちまち胴体が分断されかねない鋭すぎる牙が脅威にも生え並ぶ。

 その顎の筋肉を正確に切りつけながら飛び越え、ついでにサソリめいた尾を切断。これで毒による死因の排除に成功。


 続けざまに二度背中を深く切り付け、距離を確保する。ヒット&アウェイは強大な魔物相手に遺憾なく実力を発揮できる戦法だ。


 鮮血を地に撒き散らしながら、こちらを殺気立てて睨む一頭のマンティコア。

 俺はオカマと名乗ったあの人のことを思考する暇など無く、脳内でイメージした数個の行動パターンに対する解を瞬間的に想像。


 そして、迷いなく刹那的に敢行できるよう神経を研ぎ澄ます。


 右の大振りなら、剣の一閃で斬り落とす。

 左の大振りなら、飛び込んで顎を落とす。

 捨て身の突進ならば、去り際に視界を削いでやる。


 敵の敏捷性は魔物の中でもトップクラス。銀級が正面から戦闘した際、大方最初の一撃が受けきれない。だが、俺なら――できる。


 俺はハイルとマリの仲間だ。

 村がウルフの大軍に襲われたとき、幼き俺は絶望し、無力さに嘆いた。だが、ハイルは、君なら三対一でも勝てる、と言った。それを信じ、一匹ずつ仕留め、村人を町へ逃がすための時間を作ったのは他でもない俺だった。


 この町で初の金級冒険者になれたのも皆が認めてくれたからだ。そして、誰よりも戦闘への実践経験があると自負している。


 マンティコアごとき、サシでやって負けてやる理由がない。


「――――はぁあああああ!」


 跳び出してきた魔物の腕を一閃し、そのまま片目を抉る。

 間髪いれることなく、流れるような動作で足の腱を切断。


 敏捷性を削ぐことに成功した俺は広がった死角を利用し、重要な身体の部位を切り刻んだ。


 膝、丹、脇、首、そして――心臓を一突き。

 ラストは執拗に麻痺毒のナイフを突き刺す。


 魔獣はびくびくと痙攣しつつ、動きが鈍重になる。

 心臓を剣で貫かれてなお動ける生命力は驚異だが、麻痺毒で命尽きる前の精気は削いだため、もう反撃などできまい。


 俺は気力が抜けてその場に頽れる。


 はっと、オカマの方を見やれば既に戦闘は終わっていた。息を切らす様子もなく、尻尾の先端を手で引き千切っている。素手で倒したのだろうか、そんな姿は想像も出来ないことだった。


 あの人がいなければ、俺は死んでいた。それは確かな未来として存在していたのだ。

 その運命を変えてくれたのは、はやり不確定因子であるこの人なのだ。


「凄いじゃなーい」


 奇抜な見た目をしたオカマは気さくに声を掛けてくれた。

 凄いのは俺じゃない、俺は死を悟ってしまったのだから。勝機がないと認め、生を諦めてしまったのだから。

 それでも戦えたのは彼? 彼女? のおかげである。


「あんたも、正直驚いたぜ? 助かった」


「オカマって呼んでいーわよぉ? 一人でお家へ帰れる?」


「ああ、オカマのおかげで本当に助かった」


 オカマは満足したのか、マンティコアの亡骸をそのままにして走り去ってしまった。まるで元気が有り余っているという様子に、俺は笑った。あんな人がこの世界に存在しているという事実に心底羨望し感謝した。

 感謝してもしきれないのだが、そんな颯爽とした姿が妙に粋でかっこいい。今度俺もやってみようかな、なんて思わせる清々しさだった。


 サイファの森はどちらかというと山林なため、俺は緩やかな傾斜に背中を押されながら下った。

 くたくたになって町へ戻ると、銀級の皆が集まっているのが見えた。なにやら討伐隊を結成していたようだ。本当に、そんな奴らばっかりだ。


 そして、俺を見た二人は死人を見るように驚愕し、泣いてくれた。


 ――――本当に、生きていてよかった。


 俺は心底そう思い、親友たちと共に涙を流した。

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