第6話 私を知らない人がこの国にいたなんて
馬車の進む音は内側からだと非常に静かだ。それはこの馬車が高級だからだろうか。
そんなことを考えながら俺は外を見やる。帝都の街並みはやはり清潔であり、道行く人は大方平民ではなさそうだ。服装だけで身分が何となく分かるのは良い分化なのかもしれない。なぜなら、魔物から助けた相手が高貴な令嬢で、それを知った皇帝が助けた者を勝手に皇族専属騎士に任命するなんて横暴が起こり得ないからだ。
その高貴な令嬢というのが、今俺の眼前にいるクリスティーナという女子生徒なのだが。
「クリス、君はとんでもない貴族なのか?」
そう、彼女はとんでもなく高貴な令嬢だったのだ。制服姿では本当に一見して分からないものだ。平民は必死に身を清潔に保ち、他人から平民だと悟らせない。それは学園において彼らの処世術である。また、貴族は学則によって過度に粧し込むことが禁止されている。これは生徒の経済格差を不可視化するという意図があり、同じ理由で制服を統一しているのだ。
その結果がこれか。彼女が貴族だったという貧乏くじで俺は学生という身分で騎士として働くことになったのだ。クリスのおもりという重労働を強いられることに。
「え?」
――え? じゃねぇよ。
「わたくしの身分をご存じでないんですの?」
「なんで俺が知ってるんだよ、その方がおかしいだろうが」
――そうさ、だからこうなったんだ、ちくしょう。
「クリスティーナ・ロンリー・ガーネットという名前をご存じでない?」
「知らん」
「同じ
「……知らないさ、学科が違う。話したのだってあれが初めてだろ?」
「………………」
彼女は黙ってしまった。そんなにショックだったのか、手で顔を覆って唸っている。
一学年に生徒は百人以上いる。そのため、周辺諸国から集まった生徒全てを熟知することなんて教師でさえ不可能だろう。つまり、俺がクリスを知らないというのは至極当然のことなのだ。
そんな思考も、彼女の言葉で吹っ飛んだ。
「――――わ た く し は 皇女 ですわ‼」
唐突の怒号による、大音量のカミングアウトで――度肝を抜かれる。
「――――は?」
「この国で最も偉い、貴女ですのよ!」
――――――は?
脳みそが味噌汁の如く液体になり、マーブル模様の渦を巻いた。
……俺は、考えるのをやめた。
◇
本日全ての授業が終わり、ギルが教室から退室する姿を見かけたため咄嗟に手を掴む。わたくしは行政科で、彼は騎士科であるため、同じ授業は数少ないのだ。午後の授業くらいしか顔を合わせる機会がない。
わたくしは彼を幸福にしなければ気が済まない。デュアリティ帝国の第一皇女としてではなく、クリスティーナ・ロンリー・ガーネットとしての矜持が許さないのだ。
そもそもギルはわたくしの傍にいなければならない。皇族専属騎士であるからという側面もあるが、わたくしが望むのだからそうなるべきなのだ。
「――何処に行きますの?」
純粋な疑問から訊いてみる。
「わたくしの専属騎士なのですから、わたくしのそばで、わたくしを守ってちょうだい」
「ワタクシハドウスレバ帰レル?」
呪文めいた片言の台詞。
わたくしはカチンときた。
「ちょっと! 今馬鹿にしましたの?」
「シテナイデスワ」
「していますわ! 不敬罪として処刑されたいのですか?」
「……すまん」
謝罪を聞き、よろしい、と言って腕を組んでみる。
「だが、学園での越権行為はやめたほうがいい。さもなければ爪弾きにされるぞ」
家柄を笠に着たワケではない。だから、そんなことは絶対に起こらない。
「あり得ないですわ。わたくしは皇女ですのよ!」
「……なら、俺が君を守る必要はないな。いざとなったら周りにいる奴らに守らせればいい」
そう吐き捨て彼は昇降口を出た。
なぜそんなにつっけんどんな態度なのか、わたくしにはちっとも理解できなかった。
「わたくしはギル、あなたを頼っているのです」
「君は自分の立場を理解しているのか?」
「……していますわよ」
ギルは、ならいい、と言って校門へとひた歩く。
学園で誰かと共に時間を過ごすことは滅多になかったが、これでも案外悪いものでもないと思えた。
そんな折、ある男子生徒がこちらに向かってくる。
待ち伏せとは質が悪いヤツだなと胸中で毒づきつつ、彼の名前を必死に想起させる。既視感はあるが、よく思い出せない。制服についた徽章の色から騎士科なのだと分かる。
「貴様、ロイヤルナイトになったんだってな!」
そんな品のない言葉をかけてきた彼は白髪で爽やかさを感じさせる好青年だ。それは見た目だけのようで、今は不良のような目つきと口ぶりでなんかほざきやがる。
「だれだ? このおかっぱは」
「おかっ――」
「――ええ、ギルはわたくしの騎士ですわ」
「なぜクリスが……」
ギルが何か言った気がしたが、気のせいだったようだ。
わたくしは彼の平穏のためにこんな輩から守ってあげる必要があるのだ。本当にめんどくさいことこの上ない。感謝の言葉が待ち遠しいことだ。
「クリスだと⁉ 皇女殿下、よろしいのですか?」
「ええ、確かに就任式が行われましたわ。知りませんこと?」
「こんなのがこの俺様を差し置いて……皇族専属騎士だと⁉」
すると、殺気を帯びたように殺伐とギルを睨んだ。
当の彼はそっぽを向いている。相手にするだけ無駄といった印象だ。
「なにか文句ありますの? 騎士レイン。去年の剣術大会では準々決勝でギルに敗北したようですけれど」
必死に思い出した名前を言ってみる。すると、彼は動揺を顕わにした。
準々決勝の舞台に立つことは学園の八強である証明になる。一年生でそれほどの実力があるのは非常に名誉なことだが、無名である平民のギルに負けたことを今でも根に持っているのだろう。なんて矮小でみみっちいのだろうか、こんなのが公爵家の嫡子であるという事実に疑念が募る。
「ほお、俺と同じ騎士爵か、ならぶん殴ってやろうか」
なお、騎士爵は名誉称号であり、貴族爵位にプラス要素を与えるような役割でしかない。例えば、公爵家の騎士レインのように。だから決してギルとレインは同じ身分ではない。なんならギルは貴族ではないのだ。
後ろから何か物騒な台詞が聞こえた気がしたが、苗字を想起させていたためよく聞こえなかった。これも気のせいだろうか。彼は優秀な騎士を輩出する歴史あるフォワーズ公爵家の嫡子なのだから、ギルが不敬を働くなんて馬鹿なことはしないだろう。
「こんな……こんなヤツが、我がフォワーズ家の名誉を、皇族専属騎士の歴史を! 積み重ねてきたもの全てを、いかなる謂れがあって土足で穢すのだ‼」
皇族専属騎士は代々選出される家が決まっているのだが、だからこそわたくしは皇帝に直談判したのだ。専属騎士とは四六時中傍らにいるものであり、そんな奴がこんな奴だったなら耐えられそうもないから。
専属騎士は皇族一人に最低二人必要で、もう一人は既に決まっている。彼女は騎士団長という忙しい身の上なので結構の確立で不在だ。そして、知りもしない二人目に四六時中監視されるのは我慢ならないのだ。
メイドだって一日ずつ解雇していったのはいい思い出である。
わたくしの魔眼はデリケートなのだから仕方のないことなのだ。
「決闘だっ! 貴様を倒して俺様がその名誉を奪還してやる‼」
「ひいっ……」
「おいおい、クリスがビビっちまったじゃないか」
――び、ビビってなんてないですわ!
わたくしは彼の手に引かれてその場を去った。手を引かれたのはお兄様以来か、そんな回顧の念によってしみじみと浸る。
後ろから聞こえてくる声などもはやただの雑音にしか聞こえなかった。
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