第5話 蠢く影たち
「黒影、姫にかけた呪いが消えたよ」
夜が始まる七時、彼女は彼にそんな報告をした。
「……何があった?」
「さあ? 私の呪いは彼のように万能ではないからね。魔術師であれば簡単に解呪できる程のものだ。効果は、自死の誘発といったところかな。精神が不安定になり、結果鬱に陥る。そこで躁鬱にしてあげるだけで、あら不思議。皆一様に自らの意志で自殺する」
「認知阻害を施した呪いは宮廷魔術師であっても容易に発見できない、そう判断したな?」
「ええ、だからこそ私も驚いているの。あの子が気付くなんてことはあり得ないから、余程の化け物がいたということ。強者の気配は感じなかったけどね、本当に埒外だよ。いやはや勘が鈍ったかな?」
「御託はいい。お前はともかく、彼女は勘が利きすぎる。我々の謀略に気付かれたら少々厄介だ」
「そんなに凄いんだ、彼女。学園での成績は優秀だとは聞いていたけど……」
「勉学と勘の良さは別だが……。少々慎重を期す必要がありそうだ」
そんな淡々と無感動に展開していく会話の意味など、局外者には全く関係ないことである。誰かが誰かを呪い殺そうとし、失敗したという内容。そんなことは彼にとっては知ったこっちゃないことであり、聞きたくもないことだった。
クローゼットの中で息を殺している男は流浪人である。身分はごく一般的な平民であり、必要であれば強盗や窃盗を手段として日銭を稼ぐという溢者具合。ちょうど路銀が底をついたため貴族の屋敷へと侵入したが、タイミング悪く部屋に人が入ってきたので咄嗟に隠れたという次第。
何事もなく早々に出て行って欲しいと心中で願いながら息をひそめる男は耳を疑う単語を聞いた。
「クリスティーナ皇女の始末はお前に任せよう、ベスティア」
「……ああ、招致した」
ベスティアと呼ばれた男は正真正銘の獣人だった。頭のてっぺんに位置する犬めいた長い耳と、尾骨をそのまま伸ばしてモフモフの毛を纏ったかのような尻尾は紛れもない獣人族の特徴。それらは人間を遥かに超越した身体能力を持ち合わせた種族である。
そんな彼がこの国の皇女を始末すると、不本意ながら理解してしまった彼は、動揺に口を押えた。知られたら確実に口封じのため殺されると、そう理解してしまったが故に。
「じゃあ、私は誰をやればいい? 個人的にはゼーネとかいう騎士を落としておいた方が良いと思うけどね」
「ツィオーネは不確定要素の排除に努めてくれ。敵の敵は味方というが、アレは危険すぎる」
「悪魔が貴族として我が物顔で紛れているって情報? あれは確かなの?」
「ああ、適応者は相当の数がいる筈だ」
悪魔は殺人を嗜好する非人道的な存在である。昔は魑魅魍魎と存在していたのだが、現在は悪魔茸を摂取した人間の成れの果てとされている稀有な存在。
その茸を少しでも体内に摂取したならば、精神が狂気に一転し狂暴性が増す。角や翼などの身体的特徴が顕著に現れるが、適応者は理性を持ち合わせ人間に擬態することもあるという。
そんな世にも恐ろしい存在が貴族に紛れているという、帝国を揺るがす情報を不意に聞いてしまった男は平静としていられるワケがなかった。絡みつくような不安に慄然とし、言い得ぬ焦燥感に動悸が治まらない。
政治など縁のない彼でも、その恐ろしさは容易に想像できた。国という人類最大の機関が異物によって内から破壊されていくという最悪が。
浮足立ちながら、彼は必死に身体の震えを抑える。何者かの密会が終わったなら、この出来事を誰かに話さなければならない。それは使命感による告解のようなものだった。
その後はどこか遥か遠くへ逃げ、何もかも忘れて健全に生きたい。
それが叶ったならば、きっと生まれ変われるだろうと確信して、彼は密会が終わるまで陰に身をひそめた。
◇
「どうなるんだ、俺の人生は……」
今日は実に怒涛の一日だった。ロイヤルナイトがどういった業務なのかよく理解できていないのだが、帝国軍の主力部隊とかではなさそうな予感。
皇族とか言っていたため、偉い人に犬の如くこき使われる役職なのだろうと予想できた。
何度目かの溜め息を吐き、俺は力なくベッドに身を預ける。
ふわりと、身体が浮くような感覚は一瞬で睡魔を呼び起こした。食後で今日はやることがないらしいので、相当早いがこのまま寝てもいい気分である。しかし、皇城に転居したことをオカマに伝えなければいけないため、癪だが起きる必要がった。詰めが甘いと大事に至ると、今回の件で俺は学んだのだから。
流石に皇宮のベッドは格別だなと、そんな思考を最後に意識はぷっつりと途切れる。
まるで充電が切れたように、唐突と。
そして、次に起きた時、
〝このオカマ、解呪の才能があるかもしれないわ!〟
そんなことを言われて露骨に顔をしかめた。
――この呪いも解いてくれよ。
胸中でそう祈りながら。
◇
漆黒の外套を身に纏い皇城の壁面をよじ登っている我は、オカマと名乗った変なヤツに暗殺ボーイと勝手に名付けられた不憫な男。世界中に点々と存在する暗殺貴族――家の期待の跡取りとして研鑽を積んでおよそ――年。
暗殺稼業を生業としているため、年齢や名は伏せさせてもらおう。呼称など対象を示すための記号でしかないのだから、適当に呼ぶがいい。
だが、絶対に我を暗殺ボーイなどと呼ぶな。それは余りにも不名誉なため、断固として拒否させてもらおう。
そんな我はある意外な大物から依頼を受けた。内容はデュアリティ帝国の姫、クリスティーナ・ロンリー・ガーネットの暗殺。これは暗殺貴族界隈にとっても極めて難しい任務であるが、歴史ある――家の我が完璧にこなして見せよう。
侵入は決して容易ではない。城への入口となる扉という扉には常時門番が二人以上鎮座しており、窓のない塁壁によって侵入を断固として阻まれている。およそ素人が正規の入口以外から入る方法は皆無であろう。
ただ、それは素人の場合。
一流の暗殺者である我は空からの侵入を敢行した。
羽音は最低限に、漆黒の巨大な翼を広げて空の彼方へと消えていく一羽の巨鳥。
怪鳥ペラゴルニスは暗殺貴族が飼いならし、必要な任務の都度貸し出されているという魔獣である。主に大人一人、または子ども複数を目的地へと運搬する。極力体重の軽い子を搭乗させ、空中から魔法石を落とし爆撃の用途で使用する計画も挙がっているが、ひっそりと速やかに事を済ます我々には相性が悪いため構想段階で燻っているという次第。
ちなみに帰りのことは考えられていない。アレは頭が悪いため手綱を握らなければ操作が利かないのだ。だから、飼いならした家へと帰っていくのだろう。無論、尾行対策のため、直接ではなく中継点を所々に設けているだろうが。
また、我々は目的を果たして帰れないようであれば自害せよとの命令が下っている。そのため、何としてでも不可能を可能にしなければならない。
例えば、このように皇女の私室が情報と相違があった場合。滑らかな絶壁を両の腕だけでよじ登り、見事対象を見つけ出し速やかに始末する必要がある。
我の名誉のために断っておくが、情報に相違があるのは準備不足などでは決してない。秘匿したい情報を確からしい虚偽情報で攪乱するという手法は実にオーソドックスな手法である。その情報も含め確かな情報を考察するのも我々暗殺者の職務というもの。
今回の場合は最上階が一番怪しく思えるので、非効率ながら両手のナイフを煉瓦の隙間に刺しながら目指すしかなかった。
やっとの思いでバルコニーに到達し、窓から城内に侵入。
そこから更に上へ上へと目指し、待ちに待った目的の扉に辿り着いた。
ゆっくりと音を殺して入ったそこは、まさに皇女の私室。
ここまで完璧にこなすことができたのは紛れもない偉業である。皇族暗殺という大仕事が完了すれば晴れて我は――家の当主になるのだ。表上での話だが、裏でも後継者を育てる役につけるのだ。
皇女は瞠目し、震えながらこちらを見ている。我の侵入を鋭敏に感じ取ったのか、その感覚は見事。だが、瞳の色彩は恐怖と絶望で死を悟った者のソレである。もし、彼女が我の娘だったならば手は出せないだろう、なんて思わせるほど華奢で儚い少女だった。
我は情にほだされるような未熟者ではない。故に、慎重に済ませて颯爽と去る。その後はかねてから切望していたスローライフが始まるのだ。
彼女は今まで見た中で最も美しい令嬢だが、哀れにも怖気付いて声も出ない様子。
――これは、やり易い。
我は口元を歪め腰に忍ばせた短剣を抜き、両手で振り上げた。
――安らかに眠れっ! 帝国の姫よ‼
少女の喉元目掛けて振り下ろした瞬間――――
「――――――オカマ参上‼」
「うわぁあああああああー‼」
喉が潰れるほどの絶叫。
それを自らが発しているものだと気付いたとき、完全に意識が覚醒した。この我が今日も悪夢にうなされていたという嘆かわしい事実に、無様にも頭を抱えることしかできない。
キーと音を立てながら扉が開閉され、メイドが入ってくる。
「――様、仕事の時間です」
そんな事情もお構いなしに仕事は上層部から絶え間なく流れてくる。それが暗殺貴族というものの実態なのだ。何時如何なるときも安らぎが訪れないというまさに無限の牢獄。死ぬまで我らを支配し続ける絶対の存在が組織そのものなのだ。
こんな精神状態では仕事も手につかないというのに。
――ああ、次の夜が怖くて怖くて……死にそうだ。
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