第4話 めんどくさいことこの上ない
室内は一見シンプルだが、驚愕するほど豪奢であるのも一目で理解できた。
比較対象は俺の実家である邸宅。
まず壁だ。なぜこんなにも汚れがなく美しい色合いなのか。実家では黄ばんでいたりヒビが入っていたりしたものだが。
次に窓だ。なぜこんなにも大きいのだろう。実家の扉よりも大きい。
そしてベッドだ。クイーンサイズというべきか、また縦も長い。文字通り肌で違いが感じられるほどの手触りだ。
最後に清潔感。メイドは言うまでもなく超一流なのだろう。ちなみに俺の実家にメイドはいない。
室内は机、椅子、ベッド、クローゼットという最低限必要な家具があるだけ。芸術品などが飾られているワケではないが、室内そのものが相当な値がつく美術品であるのは素人目からでも理解できる。
そんな場所になぜ俺が居るのかというと、ここが私室になるからだ。
――――こんこん。
ノックされ、扉が開く。
金髪に翡翠の瞳をしたビスクドールより遥かに美しい彼女――クリスが顔を見せ、対面の椅子に腰かけた。
「ギル、大丈夫? 目が死んでいましてよ」
「なぁ、俺はなぜここにいるんだ?」
「? あなたの私室だからですわ」
「なぜここが俺の私室なんだ?」
「あなたがわたくしの専属騎士だからですわ」
「なぜ俺は君の専属騎士なんだ?」
「先程皇帝から黄金の剣を受け取ったからですわ」
――――あああああああああ‼。
俺の人生最大のミステイクはあの時、自動人形になってしまったことだ。
それか、彼女を魔物から助けたことか。そもそも人助けをする気はなかった。ただ、手頃な魔物を屠りたい気分だったのだ。
ただの余興だった筈だが、どうしてこんな事態にまで発展したのか。
それは複雑過ぎてどうにも俺には理解できそうにない。
「ギルの両親が多額の金銭で了承したと聞きましたわ」
――あの糞ジジイッ! とうとう我が子を売り飛ばしやがった‼
領地が貧乏である理由は、必ずしも領主に原因があるというわけではない。事業を起こすには元手が必要で、人手も必須である。恐らく俺を売り払った金はその足しにされたのだろう。
――バカっぽい見た目に反し、やるときはやるヤツだと思っていたが、まさか息子と領民を天秤にかけたか。
とはいえ、皇城からの要望は命令と同義、両親を責めるのはお門違いだ。
そして、従えば人脈という金の生るパイプが繋げられ、今回の場合は皇城なのでそのメリットは想像を絶するほどのものに違いない。
――俺が断固として断ることを知っていたから。先手を打ったということか。
「…………」
俺は少々両親を甘く見積もっていたようだ。正直、父は剣の腕だけで騎士爵を得たと言っていたため、筋肉馬鹿だろうと思っていた。よもや準男爵や男爵の地位を金で買うなんてこともあり得る――かもしれない。
「どうしましたの? 狂喜乱舞して良くってよ?」
「これが有頂天外の様子に見えるか? クリス。なら君の目は節穴以外のなにものでもないぞ」
「――――嬉しくないのですか?」
「……最悪だ」
こんなの――俺ではない。
ギルフレット・ライズ・アレキサンドライトの人生はこんな派手な人生では決してなかった筈だ。地味で田舎臭い騎士爵家を継いでひっそりと死んでいくという、最高のスローライフが確約されていたようなものであったというのに。完璧な人生設計が――パァだ。
地位や権力? そんなもの持て余すに決まっている。
ノブレス・オブリージュ――高い身分に伴う義務なんかを背負うくらいなら平民の方が万倍マシだ。無論、俺は貴族だが、あの家を継ぐとしたらほぼ平民みたいなものだろう。近所の畑を手伝ったりもしていたし。
この世界の納税額は、農民なら農作物の半分、つまり税率五割。
しかし、細かな法律は設定されていない。これは超がつくほど重要なことだ。
例えば、もし森にいたマンティコアを勝手に討伐して、その素材を売り払ったとしよう。すると、当然のように税金など発生しないため、全てお小遣いとして懐が潤う。
つまり、田舎は最高だということ。俺が帝都で住むとは、猟師が都会で住むようなものだ。これほど不便で無意味なことはない。
そして、権力者が気分で人を斬り捨てる世界。恐ろしいかな、だがこれが現実で普通なのだ。
要するに俺は貧乏貴族の嫡子であることに満足していた。親の跡を継いで生きていくのを所望していたのだ。魔物が多く出没するという理由で剣を振ってきたというのに。
だから――これは俺にとって最悪の事態なのだ。
「そんな……わたくしは、なんてことを」
そんなリアクションしてくれなくて結構。今充分悲観していたところだから。
「すみませんでした……」
彼女の玲瓏とした瞳は翳りを見せる。
透徹と輝いていたあの瞳が。
それはなによりも美しかったのに。
――さて、どうしたものか。
もう間もなくオカマが起きてくる時間だ。
俺は始末の悪さに天を仰いだ。
◇
わたくしは用もなくギルの部屋に立ち寄ることにした。
彼は今なにをしているのだろうか、狂喜乱舞して踊っているのか、はたまた歓喜の余り泣き喚いているのだろうか。さもありなん、帝国一、否――世界一の美女であるこのわたくしの専属騎士になれたのだ。この先の人生が薔薇色だと確約されたようなものなのだ。きっと心から感謝するに違いない。ならば、わたくしも皇帝に嘆願した甲斐があったというものだ。
逸る気持ちを抑え、私室を通り過ぎて隣にある部屋のドアノブに手を掛ける。
期待に胸を膨らませながら、その扉を開けた。
彼の目は死んでいた。
「…………」
そして、状況を理解するや否や悲嘆に顔を埋める。
「どうしましたの? 狂喜乱舞して良くってよ?」
思っていた反応と違い、気後れしながら言う。
わたくしが他人ごときになにかするなんてことは今までの人生を見ても稀だ。だから、嬉しいに決まっている。幸いにも、この魔眼は嘘を看破する能力であるため、お世辞など不要である。本心を伝えればわたくしは心から満足できるのだ。
「これが有頂天外の様子に見えるか? クリス。なら君の目は節穴以外のなにものでもないぞ」
――――――衝撃。
どかん、と頭を叩かれたような感覚。
彼は嘘偽りを言っているワケではなく、本心でわたくしの目を節穴と言ったのだ。スキルとして絶対の能力であるというのに。
信じられないため、今度は端的に聞く。これはスキル効果に沿ったわたくしの常套手段である。
「――――嬉しくないんですの?」
「……最悪だ」
――――え。
わたくしは重大なミスを犯したのだと気付いた。
彼はなにをしてほしいのか、まだ一言も聞いていないことに。
そして、善意を押し付けて悦に浸っていた正真正銘の愚か者であったことに。
「そんな……わたくしは、なんてことを」
後悔先に立たず。彼の人生はわたくしの勝手で大きく変わってしまったのだ。皇帝自らが与えた称号を今更返上するなんてことはあり得ない。
命の恩人である彼を、他でもないわたくしが苦しめてしまった。未来を歪め、恩を仇で返すという鬼畜な行為を平然としてしまったのか。
その事実に気付いたとき、心底自分が嫌いになった。
「すみませんでした……」
なぜだろう、この国で一番偉い女性である筈のわたくしがなぜ謝罪を口にしたのか。今からでもギルを斬り捨ててなかったことにすればいい。そうすれば全て上手くいく筈なのに。口封じだって一石二鳥で済ませれるのに。
決まっている、わたくしは恥じているのだ。
彼はわたくしの名前を知らなかった。それなのに、他でもないわたくしを助けてくれた。皇女を助けたという事実は名誉なことで、それに見合う見返りを求めることは当然のことだと思っていた。俗物的な思考だったのはこちら方なのかもしれない。彼はただ、善意を施行しただけなのに。
愚かだった。そんな思いが胸中に僅かでもあるから、斬り捨てることができない。それをしたら、もうわたくしですらなくなってしまうから。
身分の差だとか、そういったもので人を見ない彼のことが少々気に入っているから。
「……クリスが謝ることはない。これは自業自得だ」
自分が助けた結果だと、彼はそう言うのか。
――違いますわ。
こうなったのはわたくしが皇帝に嘆願したからだ。彼を専属騎士として付けてほしいと、夜は怖いから隣の部屋に置いてほしいと。
「あー、君に泣かれると俺が困るんだが」
――カチン。
「泣いてないですわ!」
前言撤回。今ここで斬り殺してしまおうか。
「ならいい。それでこそクリスだ」
彼なりに励ましてくれようだ。
落ち着こう、その後であっても遅くはないのだから。
ゆっくりと深呼吸し、意識を切り替える。わたくしは何をすれば結果的に満足できるのか、そのことについて考えねばなるまい。
――どうすればいいんですの?
「なぁ、どうすればいいんだ? 俺になにをしろと?」
と、彼は困った顔をした。
「わたくしの専属騎士になって……」
その声は弱すぎて彼には届かなかった。
無性に沸き起こる不安は滂沱と際限がない。
しかし、この感情は既知だ。これは――そう、あの時のように。
わたくしへと振り落とされた狂気の刃。
眩暈するほどの闇を、月明かりに照らされたオカマが払った。その華麗で壮絶な姿を明瞭と憶えているから、わたくしは前に進もうと確かに思えるのだ。
――ええい、もうどうにでも致しますわ!
もはや変えられないのであれば、わたくしが彼の人生をより良いものにしてあげよう。そうなれば過去の行動を自身で肯定できるから。
違う、わたくしの専属騎士になればきっと幸福になるのだ。だから、これは良いこと。彼にとっても、わたくしにとっても。
そう胸に落とし込み、憂鬱は跡形もなく綺麗に消え去った。
「わたくしの騎士に成りなさい! ギルフレット・ライズ・アレキサンドライト‼」
記憶にあるあの人のように、勇ましくあろうと叫んだ。
すると、ギルは小さく微笑んだ――ような気がした。
「分かった、なるさ。今更だぜ、まったく」
その言葉を聞いて――わたくしは複雑な気持ちになる。
泣きたいのか、喜びたいのか、怒りたいのか。
それはなぜなのか、自分でもよく分からなかった。
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