第2話 後日の連絡は来ないもの

 誰かが俺を探しているとの情報を得て人目に付かない森で剣を振っていたのだが、上流貴族の庶子どもが発破をかけてきやがった。魔物騒ぎがあったことで林中は安全だと思っていたのだが、どうやら見当違いだったようだ。


 今日は剣を振ったら早々に帰途につこうと思っていたのに、と悔やんでいたら――。


「あのとき、助けていただいて感謝していますわ」


 呼び出しやがったのはあのときの女子生徒らしい。確か黄金の剣を持っていたから十中八九上流貴族だろう。一応貴族である俺はどちらかといえば平民に傾倒するため、特に上澄みの貴族には極力関わらないよう日々心掛けているのだ。めんどくさいことこの上ないから。


 だから今回もテキトーに話を済ませて踵を返したのだが、手をがっつり掴まれてしまった。


 ――さて、どうしたものか。


「あの、その……」


 なにを伝えたいのか、彼女は頑なに手を放さない。頬を赤らめて、涙ぐんだ翡翠の瞳を湛えて。

 こういうときは待つのが重要である。太公望の如く、何時までも悠久の時を数えるよう穏やかな心情で。


「えっと、その……」


 ――まだ数秒しか経ってない。


「その、その……」


 ――もう少しだ、頑張れ。


「あの、その……」


 ――おいおい、元に戻ったぞ。まったく、見てられんな。


 面倒なので俺は切り札を切ることにした。

 このような状況にめっぽう利く最良の選択を。


「落ち着くんだ。大切な要件だったら、後日手紙なんかで伝えればいい」


 俺は完璧な返答によって煙に巻くことに成功した。

 当然だが、手紙は住所を知らなければ送ることができない。俺のような底辺貴族の住所など価値もないし、周辺に住んでいない限り誰も知らないことだろう。

 現に領主である父でさえ手紙が送られてくることなど滅多にないのだから。


 後日は絶対に来ない、それはこの世界でも適応される条理なのだ。



       ◇



 ――そう思っていた時代が俺にもありました。


 宵闇の中、屋敷に一通の手紙が送られてきた。

 それは、デュアリティ帝国の姫を救った英雄を表彰するという旨の皇城からの手紙。


 こんな畑しかない小さな領地、領民も精根尽きたような顔をした野暮ったい辺境。騎士爵といえども男爵くらいしかお目通りできないような下級貧乏貴族。そんな家にこんな手紙が来てみろ。


 両親が――――


「ヒャァァアアアア‼」


「ヴオォォオオオオ!!」


 ――こうなる。まるで魔物じゃないか。


 そして、


〝よかったじゃなーい〟


 オカマが起きてくる時間だ。


 ――何が良かったのか、良いのはお前の頭だけだよ。


〝ちょっとぉー言い方キツくなーい?〟


 俺の中にはオカマが居る。というより前世の残滓のようなものだと思っているのだが、或いは悪霊が取り憑くようなイメージか。


 いつだったか、頭を強く打った時に前世の記憶が流れ込んできた。その記憶はきっと情報量が多くて脳が処理しきれなかったのだろう。或いは理解が及ばないほど濃い内容だったのか。


 どちらにしても、俺の中に前世のカタチである新たな人格が発現した。

 本来の俺と二交代制――やや俺の方が多い――で身体を共有しているのだ。


 コイツは夜型というより夜行性に近い。陽が暮れてから起き、俺が寝た深夜に行動する。つまるところ、身体の主導権が時間によって確立されているのだ。陽が暮れて俺が寝るまでは存在が被るため、俺が主導権を持ち、こうして心の中で会話をする。


 ――この前助けた女子生徒が偉い貴族家だったらしい。


〝いいじゃない、表彰されてきなよぉー。その子も可哀想じゃない。魔物に襲われたんでしょぉ? ギルちゃんに無視されたら本当に報われない悲劇のヒロインじゃないっ! キャアっこのオマセさんったらぁ〟


 ――極めて面倒くさい。お前もなオカマ。あと、おませをカタカナにするな、語呂がオカマみたいでなんか不快だ。


 胸中苛立ちながら騒がしい方を見やると、母が卒倒し、父が四つん這いになって吠えている。だから魔物じゃねぇか。


 俺は深く重い溜め息を吐いた。

 皇室からの手紙を梨の礫にしてみろ、物理的に首が飛ぶ。


 ――やってくれたな、マジであの子。


 手紙ではなく直接言わせるべきだった。詰めの甘さに失態だと唇を噛んで恥じていると、オカマがクスリと笑った気がして苛立ちが限界突破しそうだった。



       ◇



 ――夜はとっくに更け、そんな丑三つ時。

 深夜のバーに度々あの方は姿を見せる。


 ワイングラスを周に描きながら傾け、そして一気に呷る。


「ホント、どうしようかしら……」


 女性ものである良家の町娘が着るような服装をしたゴツイ体系の人。

 メイクは濃いが、それでいて美しさが感じられるという奇抜な見た目をしたこの方は、私のバーに入り浸るオカマである。


 この方の名がオカマというワケではないが、そう呼ぶように言われているので、そう呼称しよう。


 この店は夜のみ営業しており、そこそこの訳あり――主に重鎮などが来店することもしばしばある高級バーだ。城下町に店を構えているため、名をキャステルとした。


 そのバーテンダー兼店主である、シルバーヘアーに燕尾服といった様相をしたこの私、ジャック・ハリーは今日もオカマにいつものカクテルをお出しする。カウンターの一番右端が定位置として専用席になっているのだ。なにせカウンターに座る人などいないのだから。

 それは、後ろ暗い話は人の前でするものではないという常識があるからだろう。


 例えば、二階のテーブルに着いた三人組は武器の密輸について事細かに話している。魔法石という石は高威力の爆弾として重宝できる、なんてことを。

 そして、一階の隅にあるテーブル、オカマと対称に位置する黒衣の二人は皇女を暗殺する計画を練っている。城内と学園は一度の未遂で警戒されたため、狙うなら無難に毒殺だ、なんてことを。


 本当に聞かれたくない内容ならば店から出ればいい。それだけのことだ。


 私のスキル《地獄耳イン・ザ・イヤー》によって少なくともこの空間内の音はもれなくハッキリクッキリ聞こえるのだ。おかげでバーが潰れたら情報屋を開業できるほどの識者になれた。

 だが、店を構えた目的は未だ果たされないまま。


 そんな私の才能を見抜かれたのはこの方が初めてであり、スキルについて同情してくれたのも人生で二人目のことだった。その一人である妻はもうこの世にはいない。

 そのため、オカマは少々奇特な人だと思っている。人の本質を見極める能力に長けており、経験豊富といった印象。


 街中では雑音が荒波のように押し寄せ、恐怖と生きづらさが当たり前となって感じさせる。

 それを自分のことのように想像し、溜息を吐いて、世を憂いた。

 そんなオカマは情報を欲さない。聞くのは大方生活の知恵やこの頃のニュースなどであり、二人で語らうのもまた一興。


 故に、信頼できる友であると私は見ている。


「近いうち、冒険者ギルドにマンティコアが入る予定よ」


「左様ですか。アレの尻尾には毒がありまして、適量を特定のドリンクに薄めて飲むと各別ですよ」


「毒を?」


「ええ、少量なら媚薬効果もあります。大量に摂取した場合でも、毒素はチェリーに含まれる成分で中和できますので、ご心配なら口直しにチェリーカクテルをお飲みになられると良いかと」


「尻尾の先に毒があるのかしら?」


「ええ、毒嚢は高価で取引されます」


 ふーんと唸り、オカマは席を立った。


「また近いうちに来るわ」


「またのお越しを心よりお待ちしております」


 ぱたん、と扉が閉まる音が静かに聞こえたのは私への配慮なのだろうか。

 テーブルに置かれた一枚の金貨はおつりが不要だと物寂しく暗に伝えていた。


 私は早くもいつかの夜を待ち望む。良き友人と出会えた運命に感謝して。

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