第1話 軽い余興と運命の歯車

「いやーっ、助けてー!」


「魔物が出た! 誰か先生呼んで来い!」


「逃げるんだよっ! はやく!」


 ――うるさい。


 ドタバタと節操のない足音が大地を響かせ俺の睡眠を妨害する。これほどの不快感は久しく忘れていた。――否、アイツと絡むよりは断然マシか。

 そんなことを考えつつ起き上がれば、顔の上に置いてあった剣術書がばたりと地に落ちた。


 林間演習の最中だったなと想起し、澄んだ空気を肺に納める。自然の空気は味わい深く美味なのだ。こんな猥雑とした騒ぎの中でも、相も変わらずに心身を穏やかにしてくれるのだから。


 そんな繁茂した緑の先を半眼で見やると、腰を抜かした女子生徒の前に巨大な猿の魔物が鎮座していた。学園の敷地内といえども、鬱蒼と生い茂る森林の空地なのだからそんなこともままあるだろう。


 ただ、俺の眠りを妨げたツケを払ってもらえれば――それでいい。


「オマエ、皇女カ? 殺スゥゥゥ……」


 淫蕩に耽るように、巨躯の猿は下品な嗤いを張り付かせる。

 眼前の少女を嬲るように視姦し、滂沱と垂れる唾液は彼女の玉肌を無遠慮に噛み千切るという下劣な狂気を含む嗜好から。きっと極上の美味で至極の悦楽に浸れるに違いない、そんな意志を感じ取った俺は遠慮なく切り刻むことに決めた。


 その醜い眼球を狙い斬撃スキルを放つ。


 スキルとは魔法の如き現象を起こす異能のことだ。数十万人に一人という割合で生まれながらにして持っていたり、唐突に発現したりする。

 そして、俺が唯一持つスキル《魔力斬撃》は斬撃を魔力消費なしで発動できる能力である。


 剣を振れば魔力で生成された斬撃が飛ぶ。

 こんな風に――


「ガァアアアアッツツ‼」


 猿が苦鳴を上げ、もう片方の血走った眼球で俺を睨む。

 熱がこもった殺気を受けて、こちらも俄然意欲が掻き立てられる。戦闘という命の賭け合いへの高揚感が沸騰するように。


「キシャァアアッ!」


 魔物は巨大な体躯とは思えない素早さで距離を詰め、物騒な鉤爪を振るう。

 それに合わせ、俺も剣を振るった。


 ――――――結果。


 キーンという甲高い金属音と共に剣の方が粉微塵に破砕した。

 さもありなん、敵の爪に鉄剣が負けたようだ。


「ああっ……」


 背中から嘆きの声が漏れ、俺は良いことを思いついた。

 地に座り込んだ女子生徒も腰に剣を携えているのだ。それも相当の代物を。ならば、使わない手はない。


 瞬間的に跳び退り、敵の追撃をコンマ遅らせる。

 それだけで充分、彼女の腰から豪壮な黄金の剣を抜き、流水の如く滑らかに踵を返す。

 振り向きざまに斬撃を飛ばしたが、怯まず敵は押し迫る。


 彼女ごと押し潰すつもりか、猿はダンプカーめいた重量と速度で捨て身の突進を敢行する。


「いやぁああ――」


 ――――――――斬。


 途端、猿の正中線を真っ二つに割断した。

 豪華な象嵌が施された黄金の剣はやはり凄まじい鋭さで、皮、肉、骨、あらゆるものを容易く斬り裂いた。

 恐ろしいほどに切れ味の良い宝刀はきっと、なんちゃって貴族である俺が今後一生振るうことのない業物だろう。


 血を振り払い、腰が抜けた女子生徒の元鞘に剣を納める。


 良い体験ができたと、俺は上機嫌でその場を後にした。



       ◇



 わたくしは終始腰が抜けていた。

 昨日の夜、あんなことがあって。

 そして、今日は学園の敷地内にある林間で魔物に襲われた。


 本当にこの国はどうなっているのか。皇女であり、この国で一番麗しく美しいわたくしの警備がなぜこんなにも手薄なのか。確かに学園なら安全だという先入観はあったが、同じクラスの生徒は真っ先に逃げてしまった。

 本当に薄情極まりない奴らである。話しかけても会話が続かないし、なにより面白くない。


 そして、腰を抜かして動けないわたくしなど誰にも認知されていなかったのだ。ふざけるな、こんなにも可愛いというのに。しかし、それも今思えば幸いなことだった。恐怖によって失禁した姿を見られなくて済んだのだから。


 ――――そう、彼以外は。


 剣を以て魔物を見事討伐した彼の名は、ギルフレット・ライズ・アレキサンドライト。この学園で優秀な成績を収めているが、貧乏騎士爵家の者。つまり、下賤なる平民である。


 わたくしがそこら辺にいる衛兵に殺せと命じれば三秒で処理できる身分の者である。

 しかし、そんなことはしない。失禁を見られてしまったのは死ぬほど恥ずかしいが、それでも命を助けてもらったのだから礼を尽くすべきだろう。あと、口止め――こちらがメインである――もする必要がある。


 そう思い至り、後日わたくしは学園内で彼を探した。

 皇女が失禁したという噂は広がっていないため、案外身の程を弁えているヤツなのかもしれない。


「そこのあなた、ギルフレットを知りませんこと?」


「申し訳ありません。クリスティーナ皇女殿下……」


「そうですの……」


 こんな淡泊で素っ気ない質疑応答が何度も続く。


 わたくしは飽きて、そこら辺にいた凡夫どもに探させた。金貨一枚で床に這いつくばるような俗物、上流貴族だからと横柄な態度で学園を謳歌する拝金主義の無能ども。実に扱いやすくて反吐が出るほど汚らわしい類の輩。

 わたくしを見る目が心底気色悪いが、これも致し方ないことだ。目立つところにいなかったギルフレットのせいなのだから。


 数分後、彼は輩に連れられて姿を現した。


 身長は百九十ないくらいの長躯であり、筋肉質で頑強な体型。そのため制服を正しく着た姿は気品を感じさせた。左右に位置するだらしない輩によるギャップ効果か、質実剛健さは実に際立つ。

 黒髪に金色の三白眼という、相手に威圧感を与えそうな第一印象はわたくしにとっては悪くなかったものだ。


 輩どもに謝礼として金貨を数枚ばら撒いたら、せっせと拾い失せていく。

 その様を見た彼は露骨に鼻白んだ。


 そして、目つきを鋭くして無礼にもわたくしに問う。


「何の用だ?」


 ――この態度である。


 処してやろうか、そうしよう。極刑方法は好きなものを選ばせようか。

 そんな物騒な内心を抑えつつ、平静を装い微笑を湛える。この世界で一番美しいわたくしの笑みなのだから、きっと誰もが泣いて狂喜乱舞するに違いない。


「……ようがないなら、失礼する」


 ――処しますわよ‼


 危ない危ない、心の内に秘めた般若が喉まで出かかった。

 再度冷静になり、適切な言葉を紡ぐ。まずは感謝を伝えるのだ、そして、見返りを求めさせる形に持ち込めば口止めも容易い。人は金のためならば何だってする。戦争だって嬉々として起こすのだ。先程の輩のように、人脈と金をチラつかせるだけで人心掌握が可能になるのだから、わたくしにとっては赤子の手を捻るようなものである。


 まずは礼という体で金を渡し、お願いを後付けで伝える。わたくしの失禁を見なかったことにしてほしいと。


 ――其方への功績を称え――


「あのとき、助けていただいて感謝していますわ」


 その言葉はすんなりと口からでた。

 思考の内で紡いだ権力者として威厳ある文章と、それはひどく乖離していた。


 こんなことを言う筈ではなかった。

 こんなの――わたくしじゃない。


「いいさ、軽い余興だから……」


 彼は用が済んだと去っていく。

 その姿はあの夜と同じ。

 言い難い寂寥感でわたくしはどうにかなってしまいそうだった。


 あの瞬間、心から笑えたのに。

 オカマは微笑を湛え、月明かりへと去っていった。


 感謝すら伝えられなかったのに。

 泣きたくなる孤独感に苛まれながら、わたくしは彼の手を取った。

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