入学編

第6話 武術省の迎え

 魯趙子ろちょうしという老人と会った翌日の最終便で澄川カンナはすぐに中国から日本へと飛んだ。

 3年間滞在した中国に未練はなかった。

 ホテルを点々とし、会えるかどうかも分からない魯趙子を見付ける為に見ず知らずの土地をあちらこちらへと放浪した。そして、ようやく魯趙子を見付ける事が出来、目的を達成し肩の荷が下りたのも束の間、またすぐに新たな目標が出来た。


 それは、日本にある世界の武術を学べる学園へ行く事。

 そこで序列1位になる事。


 魯趙子がカンナに与えた目標。

 カンナはほとんど迷う事もなく浪臥武術学園ろうがぶじゅつがくえん、通称『序列学園』への入学を決めた。

 魯趙子を捜し出した今、カンナには目標がなかったので、この魯趙子の提案は丁度良かったのだ。

 もし新たな目標がなかったら、自分は何をしただろう。そう考えた事もあったが、今は忘れる事にした。

 きっと良くない事を考えてしまう。

 だからカンナは武術の事だけを考えるようにした。自分の完璧な体術をも上回る武術家がいるという学園で、あっという間に序列1位に勝ち上がる自分の姿を考えている方が楽しい。


「久しぶりの日本だ」


 成田空港に降り立ったカンナは久しぶりの日本の空気に、普段の無表情が若干緩んだ。

 季節は梅雨。だが、空港の中は空調が効いており蒸し暑さは感じない。


 そんなカンナのもとに、スーツの男が1人近付いてきた。

 中国マフィアの件もあり、スーツの男にはいい思い出がない。

 カンナはすぐさま緩んだ表情をいつもの無表情に戻す。


「カンナ様ですね? 先生の言伝ことづての通り、お迎えに上がりました。武術省の花菱はなびしと申します。以後お見知りおきを」


 スーツの男は軽く頭を下げるとニコリと微笑んだ。

 男は30代くらいで、黒髪をピッチリと整髪剤で七三分けに固めたお役所の官僚といった雰囲気だが、武術家であるカンナは花菱の佇まいからすぐに只者ではない事に気付く。


「よく私が魯趙子さんの紹介の人だと分かりましたね」


 カンナが言うと、花菱はカンナの耳元で囁くように言う。


「それは間違えるはずがありません。貴女のお父上とほぼ同じ氣の感じ。それが貴女が孝謙氏の娘のカンナ様という証拠に他なりません」


 花菱はそれだけ言うと、カンナから離れまた笑顔を見せた。


「なるほど、武術省の方は、皆武術を嗜まれているのですか?」


「はい。武術省に入省したら、武術は必修なのですよ。私の場合は入省前から剣術を嗜んでおりましたが」


「そうでしたか。何はともあれ、ちゃんとお迎えが来て安心しました。スマホで学園の事を調べましたが、全然情報がないので騙されたのかと内心不安でした」


「学園の事はある事情から情報を制限しているのです。魯先生も、詳しくは話せなかったでしょう」


「あ、そういえば、魯趙子さんという方の情報もネットにありませんでした」


 カンナが言うと、花菱は微笑みを浮かべながら、空港の出入口を手で示す。


「お話の続きは車の中で。外に待たせております」


 カンナは「はい」と頷くと、花菱は踵を返し出入口の方へ歩き出した。

 カンナもそれに黙って着いて行った。



 ♢


 黒塗りの高級車の後部座席に案内されたカンナはシートベルトを締めた。

 空港から出た瞬間に蒸し暑さを感じたが、車内はやはりエアコンが効いており快適だ。


 運転手も黒スーツので、白い手袋をしている50代くらいの中年の男だ。バックミラーでカンナをチラリと一瞥しただけで何も口を効かず、花菱が助手席に乗り込むとすぐに車を出した。


「改めまして、私は武術省の花菱と申しまして、学園への入学希望者や保護対象者をエスコートする役目を仰せつかっておりますので何でも聞いてください、カンナ様」


 花菱がカンナを下の名前で呼ぶのは恐らく『澄川』という名が我羅道邪がらどうじゃの一派から狙われているからだろう。迂闊にその名を口にして、カンナの命が狙われたら一大事である。それを危惧しての対策だろう。


「聞きたい事はたくさんあるのですが、まず、武術省というのは、武術庁の事で合ってます?

 私の父が発足した」


「はい、文科省の外局であった武術庁は、3年前に武術省に昇格しました」


 カンナが中国に行ったのは4年前。その間にカンナの知る武術庁は武術省に昇格していたのだ。日本の時事など一切興味を持たず、必死に魯趙子を捜していたカンナはそんな事知る由もなかった。


「なるほど。武術振興を目的とする武術省が武術の学園と繋がっているのは特段不思議はありませんが、国が一学園に私のような入学希望者のエスコートをするなんて、余程特別な学園なのでしょうね。それに、保護対象者というのは?」


「流石、孝謙こうけん氏の御息女。聡明ですね。浪臥武術学園ろうがぶじゅつがくえんは少しばかり特別な学園でして、詳細はお伝え出来ないのですが、国が認めた極秘機関という扱いになります。保護対象者というのは、世界の身寄りのない子供達を保護して、武術を教え、社会に出て行く力を培う。浪臥武術学園の正体は孤児院なんですよ」


「孤児院ですか。国指定の」


 カンナは窓の外を見る。

 高層ビルが次々と後ろに流れていく。空は厚い雲に覆われ、今にも雨が降りそうだ。


「もちろん、武術を学びたいという方なら生い立ちや年齢に関係なく入学は可能です。今は5歳から30歳くらいまで幅広く所属しています」


「そうですか。魯趙子さんが私より強い人がたくさんいるって言っていたので行ってみる事にしましたが、もし大した事なかったらすぐ帰っていいんですよね?」


「あー……はい、出て行くのは問題ありません。ただ、魯先生がそう仰るのなら、出て行く心配は無用かと」


「魯趙子さんて何者なんですか? 武術庁の貴方がそんなに敬うって事は、相当腕の立つ武術家とかですか?」


「『世界二大武術家』はご存知ですよね?」


「もちろん、歴史の教科書に載ってますから、常識ですよ。武芸十八般を極めた生涯無敗の天才武術家『割天風かつてんぷう』。そして、篝氣功掌かがりきこうしょうの源流、誰にも使えないと言われる『掌幻八卦しょうげんはっけ』という氣功体術の開祖『穿海空せんかいくう』」


「そうです。その穿海空せんかいくうこそ、魯趙子ろちょうし先生なのですよ」


「え!?? 嘘!?? 初耳ですよ、そんなの!! 歴史の教科書に載ってる人だから、てっきり亡くなっているものと思ってました……ネットにもそれ以上の情報ないし……」


 驚きを隠せないカンナは身体を乗り出す。


「まあ、割天風先生の方は、本当に世に情報が出回っていないだけですが、魯先生の方はご本人のご意向で我々武術庁が情報統制しておりますから」


「え、何でですか?」


「魯先生に弟子入りを志願して来る者が後を絶たず、もう歳だからという事で隠居生活をしたいとの事で、武術庁が魯先生に辿り着く情報は全て消すようにしているのです」


「そんな……だから見付けるのに4年も掛かったのか……。魯趙子さんが穿海空なら、もっと色々お話したかったな……」


 カンナは脱力して肩を落とし、また外の景色に目をやった。


「武術の事なら学園で教われば良いのです、カンナ様。その為に魯先生は貴女を学園へ推薦したのですから」


 窓の外を眺めたまま、カンナは気だるそうに答える。篝氣功掌の源流である掌幻八卦の使い手なら、氣功体術の専門家だ。魯趙子以上にこの世界に氣功体術の事が分かる人間が居るはずがない。


「魯趙子さんより凄い人じゃないと、上がらないです。テンションが」


「大丈夫だと思いますよ。その学園の総帥は世界二大武術家のもう1人、『割天風』先生ですから」


「え!? 本当ですか?? 割天風さんもご存命なんですか!?」


 勝手に想像の中で偉人を2人も殺めていた事を反省しつつも、満面の笑みでカンナは花菱の顔を覗き込む。


「はい。割天風先生は確か100歳を超えておりますが、今も現役で学園を取り纏めております」


「わあ、凄い! なら、早く行きましょう! そういえば、学園は何処にあるんです? あと何時間くらいで着きますか?」


 目をキラキラと輝かせるカンナを見て、花菱は苦笑しながら前を向く。


「学園のある浪臥島ろうがとうは小笠原諸島の果て。まず東京竹芝桟橋から出るフェリーに乗っていただき──」


「え!? 小笠原諸島?? フェリー?? 船で移動ですか??」


「はい、空港はありませんので」


「そ、そうですか……ちなみに、船はどのくらい乗ります?」


「30時間くらいですね。まあ、長旅になりますが──」


 カンナは青ざめた顔でシートに深く座った。花菱が何か説明しているがもう何も聞こえなかった。

 船。

 以前家族と旅行に沖縄に行った時に遊覧船に乗った事があったが、その時に酷い船酔に襲われて、その後の楽しい旅行が台無しになった記憶が蘇っていた。

 遊覧船で船酔いする程なのに、果たして30時間の船旅に耐えられるのだろうか。

 想像しただけで、何だか既に気持ちが悪い気がする。


 一気にテンションが下がったカンナの心と連動するかのように、次第にパラパラと雨が降ってきた。

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