第5話 魯趙子と篝氣功掌

「お主、澄川孝謙すみかわこうけんの娘だろ?」


 日本語が堪能な謎の老人の核心をつく質問に、カンナは何故分かったのだろうと思案した。


「あー、さっきの男の話聞いてたんですね?」


「それもあるが、篝気功掌かがりきこうしょうの呼吸法と技を見て確信した」


「……え? 技はともかく、視認出来ない呼吸法が分かったんですか??」


「そりゃあ儂は氣の動きを読むこ事が出来るからな。体内の氣の循環をコントロールする事で運動能力は変えずに心拍数を平常時と同じに抑える篝氣功掌の呼吸法『収束連環しゅうそくれんかん』。その技により、いくら激しい動きをしても呼吸が乱れない」


「え……凄い、貴方……何者ですか?」


 自分の技を見破ったこの老人に、カンナは興味を示した。試しにこの老人の体内の氣を感知してみると、篝氣功掌の使い手であれば、神経を研ぎ澄ませる事で相手の氣の大きさを感じ取る事が出来る。

 カンナの感知によると、確かにこの老人の氣の洗練度は一般人とは違うようだ。

 益々この老人に興味が湧いた。もしかしたら───


「儂は魯趙子ろちょうしという者だ。孝謙とは以前親交があった。日本語もその頃覚えた」


「魯趙子さん! 捜してました! 澄川カンナと申します! 良かった……お会い出来て」


 カンナは目的の人物、魯趙子にようやく出会えた事に歓喜し、硬かった表情が一瞬にして笑顔になった。


「捜していた? 何故?」


「父が亡くなる間際に貴方を頼れと言ったんです。理由は分かりませんが、父の最期の言葉でしたので……」


 澄川孝謙が亡くなった事は世界に報道されていた為、魯趙子は驚いた様子を見せない。


「お父さんがお主に遺した言葉はそれだけか?」


「はい」


孝謙こうけんめ、儂に丸投げしなくとも、直接娘さんに言ってやれば良いものを」


「何の話ですか?」


 カンナは首を傾げる。


「お主のお父さんの使命じゃよ。以前会った時はその話ばかりしていた」


「使命……? 銃のない世界を作る事ですよね?」


「それは奴の中では達成した目標だ。現実がどうであれな」


『現実がどうであれ』という言葉に、カンナはしゅんと肩を落とす。実際に銃は消え去っていないのだから間違いではない。父の悲願は叶っていない。


「それじゃあ……」


「武術を世界に広める事。特に孝謙の指名は篝氣功掌かがりきこうしょうの普及じゃよ」


「あ……はい、やっぱり。父から聞いた事があります」


「この世界の武術家には武術の普及という使命がある。それぞれが極める武術を広める事が古より伝わる武術家の使命。特に篝氣功掌は使い手が少なく絶滅寸前で、孝謙の道場が唯一のものだった」


 確かに、幼い頃に父から『篝氣功掌は使い手がいないから道場を開いた』と聞かされていた。そこでカンナも父の一番弟子として篝氣功掌を学んだのだ。

 だが、我羅道邪の襲撃を受け、孝謙が殺され道場も破壊され門下生もことごとく殺されたと報道された。


 魯趙子は酒を一口飲むと白い顎髭を触った。


「知っているなら話は早いのだがな。何故儂のような老いぼれに娘を合わせたのか……」


 魯趙子は怪訝そうに言いながら、同じく怪訝な顔をするカンナの頭から爪先までを探るように見ると、ハッとした様子で顔を上げた。


「そういう事か」


「何ですか?」


「カンナよ、今のお前さんは篝氣功掌かがりきこうしょうを使いこなせていない。故に孝謙は儂に修行をつけさせ、それから道場を開かせるつもりだったんじゃよ」


「は? 私が、篝氣功掌を使いこなせていない? 私は道場で一番強かったんですよ?」


 カンナの凛々しい瞳に力が入った。


「見てたんですよね? 私がさっきの男達を倒していたところ」


「そうじゃな。篝氣功掌は体術のみの技である『篝一式かがりいっしき』と氣を使う技である『篝二式かがりにしき』がある事は知っているな?」


「釈迦に説法ですよ」


「先程の戦闘を5段階で辛口評価すると、篝一式は『3』、篝二式は『2』。そしてお前さんの通常時の氣の洗練度を見させてもらったが、『3』といったところじゃな」


 魯趙子の評価を聞いたカンナは拳を握りしめて身体をフルフルと震わせる。


「何だ。凄い人かと思ったのに、適当な事を言う人だったなんて、お父さんは何でこんな人を頼れと言ったんだろう」


 自信満々だったカンナは、魯趙子のあまりの酷評にムッとして文句を口にした。


「プライドが高いところは父親そっくりじゃな」


 カンナは腕を組みそっぽを向いた。

 3年間捜し続けた男がただのペテン師であるはずがない事は分かっている。実際にカンナの体術が篝氣功掌である事を見抜いているのだ。

 しかし、魯趙子が何者なのか分からないこの状況で自分の鍛え抜いてきた武術を酷評されるのはいい気分ではない。


「なら魯趙子さん、私と手合わせしてください。それで私がどれ程強いのか分かるはずです。言っときますけど私、体術では誰にも負けませんから」


 すると魯趙子は呵々と笑った。


「何を言っとるんじゃ。こんな老いぼれ相手に勝っても自慢にもならんぞ」


「なら、お弟子さんと戦わせてください。貴方程の武術家ならいますよね? 中国では有名な武術家なんですよね?」


「生憎、弟子は取らん主義でな。それに儂は武術は引退したんじゃ。もう歳じゃからな」


 魯趙子は飄々としながらまた酒をグビリと飲んだ。


「そうですか」


 カンナは肩を落とし足もとにあった木箱に腰をかけた。


「まあ、そう不貞腐れるな。カンナよ。1つアドバイスをしよう」


「アドバイス?」


「ああ。今のお主にピッタリの場所がある」


「私にピッタリの場所……ですか?」


「そうだ。そこへ行けば、未熟なお主に必要なものが全て手に入る。夢のような場所『浪臥武術院ろうがぶじゅついん』。通称『序列学園じょれつがくえん』だ」


「学園ですか? 何でそんなところ……私22ですよ? 学ぶ事なんてありませんよ」


「儂はお主と手合わせしてやる事は出来んが、学園そこの連中ならば、相手になってくれるだろう。そして、自分がどれ程未熟か知る事が出来るだろう」


「そこには、私より強い人がいるんですか?」


「ああ。しかもそこでは生活費も学費も無償。武の修練に集中出来る。合わなければいつでも抜けていい。どうじゃ? 行ってみるか? 儂を見つけ出してこの後やる事もなかろう?」


「1つ教えてください。通称・・『序列学園』とはどういう意味ですか?」


「おお、良い質問じゃ。『序列学園』と呼ばれるようになった由来は、その名の通り、学園内では生徒毎に序列が決められ、下位の序列の生徒は上位の序列の生徒には決して逆らってはいけない、絶対的な序列制度が施行されているからじゃ」


「序列制度……」


「だが、その序列は己の武によって入れ替える事が可能。云わば、己の武によって序列を上げていくことが出来る、弱肉強食の学園なのじゃ」


「学園内での強さが一目瞭然という事ですね。なるほど、面白そう」


 カンナは武術家の血が騒いだのかニヤリと笑う。


「随分な自信のようだが、そう簡単に上位にはなれんぞ。お主のプライドをズタボロにされるやもしれん。それでも行くか?」


「行ってみます」


「ほう、案外あっさり許諾するんじゃな」


 言われてカンナは木箱から立ち上がる。


「父が死ぬ間際に貴方を頼るように言った。その貴方が序列学園へ行けと言う。なら、私はそれに従ってみます」


「よし、分かった。学園の総帥とは知り合いだから紹介状を書いて送付しておこう。お主は学園へ向かうだけで良い」


「分かりました。ありがとうございます。それで、学園は何処にあるんですか?」


「お主の故郷、日本だ」


 魯趙子が言うと、カンナはホッとしたような顔をした。


「学園の場所は地図には載っておらん。明日の最終便で日本へ帰国しなさい。成田空港だ。そして成田に着いたら搭乗口辺りで待っておれ。日本の武術省の者を案内役に向かわせる」


「武術省……って、貴方何者なんですか??」


 カンナが目を丸くして訊いたが、魯趙子はそれを手で遮った。


「カンナよ、もしお主が学園で序列1位になれたなら、篝氣功掌の道場を開く手伝いをしてやろう。それで孝謙の果たせなかった使命を受け継ぎなさい」


 すると、カンナの目はキラリと煌めいた。


「本当ですか? 約束ですよ?」


「ああ、約束じゃ。ただし、何年も待ってはいられないからな。儂も見ての通りのジジイじゃ。いつ死ぬか分からん」


「そんな、まだまだお元気そうですけど。では、サクッと序列1位になってきますよ」


 カンナは自信満々に言うと、魯趙子に一礼してその場を後にした。


「ああ、あと」


 カンナは立ち止まって魯趙子を見た。


「何じゃ?」


「お酒は程々に」


 ニコリと微笑んだカンナに対し、魯趙子も微笑み、黙って酒瓶に蓋をした。



 ◇


 カンナが去ると、魯趙子のもとに1人の若い男がやって来た。


「老師、捕まったのは王飛龍おうひりゅう撈月ラオユエの末端組織の下っ端の男のようです」


「ご苦労、張基ちょうき。末端とは言え、撈月ラオユエの傘下を1人の女が叩きのめしてしまったのじゃ。首領の青幻せいげんがどう動くか」


王飛龍おうひりゅう達を倒したのが澄川の一族だと知られれば、命を狙われるかも」


「気の毒に。我羅道場からも狙われ、青幻からも狙われたとあっては、この世界では生きづらいな」


「……そうですね。それにしても老師。あの学園で序列1位になったらなんて無理難題を。一生かかって無理でしょうに」


 張基の言葉に魯趙子は黙って頷く。


「身を隠しなさい。カンナ。せめて地図にも載っていない楽園で」


 魯趙子はそう呟くと、カンナが去っていった方向をしばらくの間眺めていた。

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