おじさん

1

 田舎の電車は人が少ない分、常に椅子取りゲームが行われている。女性車両がない分、冤罪には気をつけないといけない。俺はカバンを抱っこして、目を瞑りながら吊り革に両手で捕まっていた。クスクスと女性の笑い声が聞こえてくる。目を閉じたまま、耳を澄ましてよくよく聞いてみた。


「ケバブじゃん」


 俺のことかな。たしかに、最近は腹が出てきた気がする。目を開けるの怖いな。電車はアナウンスのすえ、ゆっくりと止まった。俺はその場から逃げるように降りると改札を抜けて会社へと向かった。


2

「すみませんでした。私のマネジメント不足です」


「すみませんじゃなくて、どうするの?また君のチームだよ?」


 今日は部下のミスで2回も怒られた。自分のデスクに戻ると失敗をした部下を呼んで、しっかりとフィードバックをする。


「〇〇くん、取引先に送ったメールだけど、郵送商品の台数に間違いがあったよ。二重チェックはしっかりとお願いね」


「いやー、したつもりだったんすけどね。ミスってましたわ。気をつけます」


 つもりじゃダメだろう。本当にわかってくれたのだろうか。猛烈に不安になる。だが、強くは怒れない。俺は怒られるけど、最近の若者を叱ってはダメなのだ。


3

 昼休憩が30分ほど取れたので、妻が作ってくれた弁当を電子レンジで温めた。ちくわにハンバーグにポテトサラダとトマト。どれも美味しそうだ。


「いただきます」


 俺は手を合わせて箸で摘んでたいらげた。


「ご馳走様でした」


「△△さん!電話きてます!外線8番です!」


「ああ、わかった」


 電話を取って、対応をした。けっきょく、休憩は20分しかとれなかったな。


4

 パソコンを打ちすぎて、少しだけ目が痛い。体を伸ばして缶コーヒーを飲み干した。19時30分。もう少し追い込もう。俺は再び、キーボードを打ちながら資料の二重チェックと稟議の押印。取引先への問い合わせを行った。早く帰りたいな。


5

 猫背になって電車に乗った。席が空いていたので、そこに座る。疲れたので、目を瞑った。まだ火曜日か。きっつ。


「お前昨日の試合での送球ミスエグすぎやろ。監督ブチギレてたな」


「あれマジ死ぬかと思ったっすよ。先輩がライトから拾ってくれたから何とかなったけど、あれはやばいっす」


 野球部の会話。こんな時間まで部活だろうか。いいな、青春だ。俺も野球やってたっけ。最近は草野球もやってないな。いいな。懐かしいな。俺、高校生やってたんだっけ。制服なんて着て学校行って、授業がダルくて昼寝して、それで、彼女と売店でパン買って、部活行ってみんなで騒ぎながら帰ってたっけ。アイツら元気してるかな。俺なんで働いてるんだろう。悔しいな。戻りたいな。


 目の前の高校生が肩パンを始めた。俺はカバンを抱いて椅子に座って、自分の体臭が臭くないかを心配している。なんか虚しいな。戻りたいな。若くいたかったな。


6

 駅から歩いて、自宅へと帰った。駅近の賃貸でよかったと改めて思う。エレベーターで登って鍵を開ける。


「ただいま」


 野球部だった頃の声量はどこかへ忘れてきたようで、自分でも驚くぐらい細い声だった。すると、リビングのドアが開いて、バタバタと何かがこちらに走ってくる。


「パパおかえり!!」


 娘が抱きついてきた。こんな日だと、目頭が熱くなる。俺、生きてきたんだな。頑張って来たんだな。帰ってきたんだな。


「こら、こんな時間まで起きて、ダメだろ?早く寝ないとオバケが出ちゃうぞ」


「いいのお!パパと寝るの!」


 そう言って、昨日は寝返りで俺を足置きにしていたくせに。この小さな生き物は何ともズルい悪魔のようだ。リビングまで抱っこして運んでやると、愛犬のポンキチがシッポを振って走って来た。ほんとう、コイツらは元気がいい。


「おかえり。カレーが冷蔵庫にあるから、チンして食べてね。サラダも忘れないように」と妻が洗濯物を畳みながら言った。テレビではアンパンマンが流れている。


「ああ、ありがとう」と俺が返すと、妻は「うん」と適当に返事を返して鼻歌を歌い始めた。娘は俺から離れると犬を抱っこしてアンパンマンをまた見始めた。


「♪もーし、自信をなーくして、挫けそーうになーったら、良いことだけ、良いことだけ、思いっ出せ」と妻が鼻歌を続けている。俺は電子レンジでカレーを温め、テーブルに座った。甘口カレーは少し物足りなかったが、人生で1番美味しく感じた。

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