墓参り

1

 墓参りなんて嫌いだ。じい様の母親の墓の前に立たされていた。私が会ったこともない人の墓なんてただの石でしかない。こんなに寒い中、なんで私がボロ頭巾でカビの生えた石を拭かなけりゃいけんのんだ。かじかむ指を震わせながら、バレないように適当に拭いていた。早よ終わってくれんかのう。


「もっと丁寧に拭かんかい!」とじい様が私にブチ切れた。そがいに言うなら自分で拭けばいいのに。そう思っていたが、じい様はばあ様の墓をそでまくって丁寧に拭いていた。寒いだろう。私は言い返すことを諦めて、黙って墓を拭いた。草をむしった。線香に火をつけた。すると、じい様がばあ様の墓に花を添えていた。町にまで出て買った一番良い花だそうだ。そこまでするもんかね。こんな石に。私は早く帰りたかった。


2

「お待たせしました」


「いや。待ってない」


 婚約者の秋子あきこが私の元まで小走りで来た。秋子とは来月に籍を入れる。両家りょうけ顔合わせも済ませてあった。今日は2人で町まで出掛けて映画を観に行くのだ。


琢磨たくまさん。本日はお誘い頂いて、誠にありがとうございます」


「構わん。気を使うな。それにしても、見たことのない着物だな」


 秋子は空色の訪問着ほうもんぎで来ていた。胸元に牡丹ぼたんがらが添えられており、手には白い手袋をつけている。


「母が本日のために箪笥たんすから出してくれたのです。大切に扱わなければいけませんね」


「そうか。乗るぞ」


 路面列車が来た。私は駅員から切符を二枚買うと、列車に乗り込んだ。秋子が後ろを小さな歩幅で着いてくる。私はそのまま窓を背に席へ座る。秋子は私の前で立っている。


「疲れるだろう。横に来い」


「お心遣いありがとうございます。失礼します」


 秋子が隣に座る。にごりない、ふんわりとした胡蝶蘭こちょうらんの香り。じい様がばあ様に送っていた花束を思い出した。人はなぜ故人に花束を贈るのか。枯れていく花に何を乗せているのだろうか。


 映画館に着いた。私は上映が始まると、ハットを膝下に置いて腕を組んでそれを眺めていた。ふと、秋子の方を見ると、口をポカンと開けて「はあ。へえ」と頷きながら映画に釘付けになっていた。そんなに面白いものかね。私はバレないように小さく欠伸をした。


「映画、面白かったですね」


「そうだな」


 帰りの道中どうちゅうで茶屋に立ち寄った。私は甘いものが苦手だったため、塩気の効いた饅頭まんじゅうを頼んだ。秋子はふんだんに小豆が入った饅頭を嬉しそうに頬張っている。


「琢磨さん、途中で欠伸されてませんでしたか?」


「気のせいだ」


 私達は食事を済ませると、駅に向かいつつ、商店街を訪れた。空襲の影響もあって、戦後の復興ふっこうは長い時間がかれると考えられていたが、日本人は強かった。今では出店もちらほらと見える。


「気になるのか?」


 秋子が桜色のかんざしを眺めていた。艶やかでいて若々しい。秋子に似合うと思った。


「いえ。とんでもございません」


「これを頂こう」


 私はかんざしを手に取って料金を払うと、秋子に手渡した。秋子は首をブンブンと振って、両手でそれを押し返そうとする。


「頂けません。こんな価値のあるもの」


「もらえ」


 秋子は渋々とかんざしを受け取ると、私に向かって頭を下げた。


「こんなに良くして頂いて、返せるものなど何も...」


「秋子」


 私はしゃがんで秋子の顔を覗き込んだ。まん丸とした瞳の中に涙が浮かんでいる。寒いようで、鼻と頬が赤らめている。


「私たちは夫婦になる。与えるも返すもない」


 秋子は顔を上げた。下唇を噛み、溜め込んだ涙が頬を伝っている。綺麗に泣く女だと思った。


「長い旅だ。しっかり、ついてこい」


「はい。旦那様」



2

 今思い返せば、あの時の言葉は自分に言い聞かせたのかもしれない。結婚という人生の節目。誰かを守る立場になるという重圧。それを自分に言い聞かせたのだ。なあ、秋子。お前は私と生きて楽しかったか?


 秋子の墓石をゴシゴシと拭く。シャカシャカと鳴るジャンバーを脱いで、スウェットの袖をまくり、新品の雑巾で汚れの一つも残さないように丁寧に拭き取る。息を吐くと白いモヤが浮かび上がり、空気となって消えていく。秋子はもういない。孫達が気怠そうに墓の周りで座っている。早く帰りたいのだろう。私はずっとここに居たいぐらいだった。秋子と会えるのは、もうここしかないのだ。秋子、見ているか。孫達は大きくなっていく。私は随分と歳を取った。いつ死んでもいいように、悔いは残さぬようにしてきたつもりだ。ただ、一つだけ悔いがあるのなら、生きているうちにまたお前に会いたい。会いたかった。秋子。私はお前と生きてきて、幸せだった。私を選んでくれてありがとう。今でも、片時かたとにも忘れん。私は目を瞑り、線香を前に手を合わせた。秋子の顔が瞼の裏に蘇る。孫に会った時の優しい顔、息子達を叱る怖い顔、テレビを見て笑う無邪気な顔。かんざしを身につけてはしゃぐあの若い頃。もう、戻らないのだな。


 私は胡蝶蘭の花を生けて、帰り支度を始めた。孫達がファミレスに行きたいと駄々をね始める時間だろう。私の駄々に付き合ってもらったのだ。無理はない。ただ、最後にもう一度、太陽の元で微笑む胡蝶蘭に鼻を当てた。故人に花を贈るのは、その人の香りを思い出すため。私はそう考える。


「おじいちゃん!早く!お腹空いた!」


「ああ。今行くよ」


 曲がった腰で杖をつきながら、ゆっくりと車へ戻る。じゃあな、秋子。生きていればまた来るよ。


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