墓参り
1
墓参りなんて嫌いだ。じい様の母親の墓の前に立たされていた。私が会ったこともない人の墓なんてただの石でしかない。こんなに寒い中、なんで私がボロ頭巾でカビの生えた石を拭かなけりゃいけんのんだ。かじかむ指を震わせながら、バレないように適当に拭いていた。早よ終わってくれんかのう。
「もっと丁寧に拭かんかい!」とじい様が私にブチ切れた。そがいに言うなら自分で拭けばいいのに。そう思っていたが、じい様はばあ様の墓を
2
「お待たせしました」
「いや。待ってない」
婚約者の
「
「構わん。気を使うな。それにしても、見たことのない着物だな」
秋子は空色の
「母が本日のために
「そうか。乗るぞ」
路面列車が来た。私は駅員から切符を二枚買うと、列車に乗り込んだ。秋子が後ろを小さな歩幅で着いてくる。私はそのまま窓を背に席へ座る。秋子は私の前で立っている。
「疲れるだろう。横に来い」
「お心遣いありがとうございます。失礼します」
秋子が隣に座る。
映画館に着いた。私は上映が始まると、ハットを膝下に置いて腕を組んでそれを眺めていた。ふと、秋子の方を見ると、口をポカンと開けて「はあ。へえ」と頷きながら映画に釘付けになっていた。そんなに面白いものかね。私はバレないように小さく欠伸をした。
「映画、面白かったですね」
「そうだな」
帰りの
「琢磨さん、途中で欠伸されてませんでしたか?」
「気のせいだ」
私達は食事を済ませると、駅に向かいつつ、商店街を訪れた。空襲の影響もあって、戦後の
「気になるのか?」
秋子が桜色のかんざしを眺めていた。艶やかでいて若々しい。秋子に似合うと思った。
「いえ。とんでもございません」
「これを頂こう」
私はかんざしを手に取って料金を払うと、秋子に手渡した。秋子は首をブンブンと振って、両手でそれを押し返そうとする。
「頂けません。こんな価値のあるもの」
「もらえ」
秋子は渋々とかんざしを受け取ると、私に向かって頭を下げた。
「こんなに良くして頂いて、返せるものなど何も...」
「秋子」
私はしゃがんで秋子の顔を覗き込んだ。まん丸とした瞳の中に涙が浮かんでいる。寒いようで、鼻と頬が赤らめている。
「私たちは夫婦になる。与えるも返すもない」
秋子は顔を上げた。下唇を噛み、溜め込んだ涙が頬を伝っている。綺麗に泣く女だと思った。
「長い旅だ。しっかり、ついてこい」
「はい。旦那様」
2
今思い返せば、あの時の言葉は自分に言い聞かせたのかもしれない。結婚という人生の節目。誰かを守る立場になるという重圧。それを自分に言い聞かせたのだ。なあ、秋子。お前は私と生きて楽しかったか?
秋子の墓石をゴシゴシと拭く。シャカシャカと鳴るジャンバーを脱いで、スウェットの袖をまくり、新品の雑巾で汚れの一つも残さないように丁寧に拭き取る。息を吐くと白いモヤが浮かび上がり、空気となって消えていく。秋子はもういない。孫達が気怠そうに墓の周りで座っている。早く帰りたいのだろう。私はずっとここに居たいぐらいだった。秋子と会えるのは、もうここしかないのだ。秋子、見ているか。孫達は大きくなっていく。私は随分と歳を取った。いつ死んでもいいように、悔いは残さぬようにしてきたつもりだ。ただ、一つだけ悔いがあるのなら、生きているうちにまたお前に会いたい。会いたかった。秋子。私はお前と生きてきて、幸せだった。私を選んでくれてありがとう。今でも、
私は胡蝶蘭の花を生けて、帰り支度を始めた。孫達がファミレスに行きたいと駄々を
「おじいちゃん!早く!お腹空いた!」
「ああ。今行くよ」
曲がった腰で杖をつきながら、ゆっくりと車へ戻る。じゃあな、秋子。生きていればまた来るよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます