第33話

「まるで、のんちゃんみたいよね」


 希未は背後から志乃に抱きしめられた。志乃の手に握られた、二色のブーケ――そして、右手の小指に嵌ったイエローゴールドのピンキーリングが見えた。

 天羽晶と澄川姫奈の挙式が無事に終わり、皆は『お誕生日会の会場』に移動した。今この時、中庭には希未と志乃以外に誰も居ない。

 しかし、直にホテル従業員が教会の清掃に訪れるだろう。希未は周辺からの視線を気にした。このような姿を、誰かにあまり見られたくない。

 それに――志乃からの抱擁が嬉しいはずが、なんだか心細かった。つい先ほどまで達成感に満たされていたのだから、なおさらだ。

 志乃の弱々しさが、ひしひしと伝わる。


「……成海さん?」

「のんちゃんは、良い人よ。だから、縋ったの」


 希未はこれまで――出会った時から、その言葉を志乃から何度も聞いてきた。他に『真面目』という印象を持たれていることも、自覚している。

 手に持っている白いミニブーケが、目に映る。この綺麗な百合のように『純潔』や『無垢』とも思われているようだ。

 いや、勝手に印象付けられているように、希未は以前から感じていた。


「不倫されたことに、私が悪くないとも限らない。むしろ、私の何かが悪かったのかもしれない。私はただ……のんちゃんみたいになりたかった。貴方のように、真っ直ぐな人間に……」


 志乃から強く抱きしめられる。

 友達のように接してきたのは、出会ってすぐ、こちらの心の内を曝け出したからだと思っていた。しかし、それだけではないようだ。

 志乃の詳しい事情も、実際の是非も、希未にはわからない。どうしてこのタイミングで真意を話したのかも、わからない。

 ただ、想像する。志乃は実質の離婚状態でひとりこの地へ、逃げるようにやって来た。冷静さを失い自身を責めることを、希未は全く理解できないわけではなかった。何かに縋りたい気持ちは、わからなくはなかった。

 騙されたと、感じないわけではない。真意が残念でもあり――それ以上に、志乃が不憫だった。


「あたしは、良い人じゃありませんよ」


 希未は苦笑し、志乃の腕から抜け出した。振り返り、向き合う。


「天羽さんの言うことを聞かなかった、悪い人です」


 自身が聖人ではないのは事実だ。

 ただの謙遜ではない。きっと理由をつけて志乃の真意を否定したいのだと、希未は思った。

 騙されたことにしたくなかった。


「ていうか……成海さんこそ、良い人じゃないですか」


 志乃は晶と姫奈から預かった二色のブーケを大切に抱えながら、不安げな表情を浮かべていた。

 そんな志乃に、希未は微笑みかける。


「成海さんが居なければ、この案件を受けられることも、こうして無事に成功することも無かったです。全部、成海さんのお陰です。胸を張ってください」


 志乃無しでこの現在は、間違いなく成立しない。もしも、出会っていなければ――希未は怖くて、とても考えられない。

 振り返ると、この二ヶ月半はずっと志乃と一緒だった。

 一緒に喜び、一緒に悲しみ、そして時には意見が衝突することもあった。だが、それらは全て、希未にとってかけがえのない時間だった。仕事もそれ以外も、とても充実していた。

 大切な気持ちを思い出させてくれたのは、晶と姫奈だけではない――志乃もだ。


「いいえ……。私は何もしていないわ」

「そんなことありません! ありがとうございます!」


 希未はただ、感謝を伝えたかった。

 RAYの解散から始まった十年だった。流れる時間の中、自分ひとりだけが立ち止まっていた。だが、志乃に腕を引っ張られ、現在ここに立っている。

 晶と向き合うことが出来たのは、志乃が傍に居たからだ。他にも辛い時は、支えられた。

 それらは全て、間違いなく志乃の善意きもちと言えよう。騙す意図など一片も無いに違いない。


「成海さんは、あたしのために頑張ってくれたじゃないですか!? あたし、とっても嬉しかったんですから!」


 いざ言葉にすると、おこがましい態度を取っている自覚があった。だが、志乃からの温かな気持ちを受けていたのは事実だ。

 晶と姫奈を見てきた身として『幸せにしたいという願いを向けられていること』を幸せの定義とした。

 だから希未は、自分がそれに該当していると言える。もうとっくに幸せだったのだと、胸を張って言える。

 希未は志乃を見上げ、真っ直ぐに見つめた。瞳の奥から熱いものがこみ上げるが、ぐっと堪えた。


「私……のんちゃんの傍に居てもいいの?」


 志乃から心細い、縋るような瞳を向けられ――希未は躊躇なく頷いた。


「成海さんは今の仕事、好きですか?」


 志乃が結婚も花も良く思っていないことを、希未は知っている。生きる術をそれしか持っていないことも、知っている。

 だが敢えて、今この場で確かめておきたかった。


「わからないわ……。でも、のんちゃんとなら……変われると思う」


 きっと、この二ヶ月半での手応えからだろう。思っていた通りの返答に、希未は笑みが漏れた。


「それなら、あたしとこれからも頑張ってくれませんか? 難しく考えなくても、いいじゃないですか。あたしだって……成海さんと仕事したいです」

「のんちゃん……」


 教会の清掃に訪れた従業員の姿が、希未の視界に入った。

 志乃の顔から不安が消えたわけではない。だが幾分和らいだように見え、希未はここで話を切り上げた。志乃と共に、中庭から立ち去った。


 希未にとってこの一件が、気がかりでないわけではない。一度は大きく感情が揺れ動いた。

 しかし、晶と姫奈の挙式をこうして無事に終えた今、余韻がとても心地良かった。希未は難しく考えなかった。志乃とのことは良い方向に向かうだろうと、楽観的に捉えていた。

 結果的には――この後場所を移してでも志乃と話を詰めておくべきだったと、希未は悔いることになる。



   *



 四月一日、月曜日。

 グループ本社では入社式が行われているが、ここへの研修や配属はまだ先だ。四月になったとはいえ、真新しさは特に無い。春は結婚式の人気シーズンであるため、先月からの繁忙期が来月まで続く。

 希未は頑張ろうと前向きな気持ちで、いつも通り午前九時前に出社した。大安の日曜日を終え、ホテルは落ち着いていた。昨日の慌ただしさが嘘のようだ。

 午前十時過ぎ、希未はある案件の装花に関することで、担当である志乃に相談しようとフラワーサロンを訪れた。


「失礼します。……あれ? 成海さん、どこか行きました?」


 志乃の姿が無かった。シフトでは出社日だと把握しているので、きっと今は手洗いや教会に――タイミングが偶然悪かったと、希未は思った。


「遠坂さん、聞いてないの?」


 他のフラワーコーディネーターからそのように訊ねられ、なんだか嫌な予感がした。どうやら、一時的な離席ではないようだ。


「何をですか?」

「成海さん、今日と明日と急に休み取って……前の職場に帰ったよ」



(第11章『祝福』 完)


次回 第12章『腕を組んで歩けた日』

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