第32話

 希未は志乃と共に扉を開け、ふたりの花嫁を教会から送り出した。

 教会の外は、ガランとした中庭のはずだった。だが、十ほどの人影が扉を囲んでいた――まるで、ふたりを待ち構えていたかのように。


「え? ええ!?」

「お前ら……」


 驚いた様子の両新婦に、全員が笑顔を向けた。

 事前の情報通りであるならば、八人であると希未は把握している。

 見渡す限り全員が女性だが、ドレス姿はひとりも居なかった。スーツ或いはキレイ目の私服、制服姿の学生までも居るため、およそこの場に相応しくない。

 だから、ゲストではないと希未は思う。だが、そのような言い分が通じるはずがない。


「申し訳ありません! あたしが、身勝手で出過ぎた真似をしました!」


 希未は、両新婦に深々と頭を下げた。

 そんな希未を庇うかのように、ひとりの女性が腕で希未を遮りながら、ふたりの前に出た。


「違うよ、晶。ここに居るのは私達の意思さ。皆であんたを驚かせたかったんだ」


 擁護されているのだろう。希未は顔を上げる。そして、このような状況にも関わらず、髪を切ったのだと思った。

 パンツスーツ姿の女性が立っていた。希未の記憶では、長い黒髪が印象的だったが――現在はショートヘアだった。『表舞台』から去って久しくとも、スラリとしたプロポーションを維持していた。長身がスーツに良く似合い、希未には格好良く見えた。

 もう天羽晶は一般人だが、彼女に対して堂々と振る舞える人間は限られていると、希未は思う。パートナーである姫奈、或いは晶と『同等』の人間ぐらいだろう。

 そう。この女性はRAYのひとり、林藤麗美りんどうれいみだ。


「今日は晶ちゃんのお誕生日じゃない。バースデーサプライズよ」


 もうひとりの女性が前に出て、麗美の隣に並ぶ。

 ブラウンのブラウスと白いチュールスカート――格好だけでなく、アッシュピンクの長い巻髪も含め、物柔らかな雰囲気だった。

 サプライズの仕草として両腕を広げたのだろうが、ぼんやりとした表情が微動だにしないため、希未はシュールに感じた。

 彼女もまたRAYのひとりであり、タレントとして唯一現在も芸能活動を続けている、柳瀬結月だ。

 かつてのメンバーが、ウェディングドレス姿の晶の前に現れた。

 残りの六名は『stella e principessa』の従業員だ。午後からは経営者に黙り、臨時休業だと希未は聞いている。


「何が、バースデーサプライズだ……」


 晶は、腕を組んだ姫奈と共にブーケを抱えたまま――今にも泣き出しそうな表情で、周辺を見渡した。

 希未は晶から、激怒もしくは失望されることを覚悟していた。

 三月三十一日は式日だけではなく、晶の誕生日でもある。麗美と結月をはじめ皆、それを祝うという体裁でここに集った。ゲストとして、挙式には参列していない。

 だが、所詮は当て付けに過ぎない。ゲストを誰も呼ばないという晶からの要望を破った自覚が、希未にはある。

 この『サプライズ』を根回ししたのは希未だった。志乃の誕生日プレゼントを考えていた時、このアイデアが浮かんだ。悩んでいたが、志乃から後押しされた末、行動に移した。

 希未だけではない。志乃、姫奈、そして晶――皆が後悔の無いよう、ウェディングプランナーとしてこの決断を下した。たとえ、晶を裏切ることになろうとも。


「誕生日なら、いいんじゃないですか? わたしは、こうして……皆から晶さんの誕生日をお祝いして貰えて、嬉しいです」


 姫奈が腕を組んだまま、からかうように肘をクイクイと晶に押し当てた。


「こんな所で何のコスプレしてるのかは知らないけど、すっごい綺麗だよ……姫奈ちゃんもね」

「ええ。ふたり共、とっても似合ってるわ。今日だけは、私も顔負けね」


 麗美と結月も、わざとらしい言葉と共に優しく微笑む。

 希未はただ、この場に温もりを感じた。どのカップルも迎える、一般的な式後の様子と相違ない。

 直接の言葉が無くても構わないのだろう。笑顔が溢れるだけで成立するのだと思った。


「祝福される資格なんて、無くてもいいんだと思います。期待から逃げる方が、よっぽど後ろめたいと思います」


 希未は改めて、晶から受けた要望を否定した。


「今ここに居る皆さんが、おふたりの証人です。だから、この先もずっと、何があっても――お互いに、幸せで居てください!」


 まるで牧師のようだと自覚したが、祝福している皆の前でこそ伝えなければならなかった。

 志乃の受け売りだった。納得したうえで、自分の言葉として発した。

 いや、素直にそうであって欲しいと願う。ようやく知り得た『幸せのかたち』を、いつまでも肯定するために。

 晶は涙を浮かぶ瞳で希未を見つめた後、周囲を見渡した。


「ああ、約束する! ありがとう。今日は、最高の誕生日だ!」


 晶の瞳から――どうしてか左目のみ、涙が流れ落ちる。涙を流しながら、皆に微笑んだ。

 心からの感謝が表れた、とても無邪気な笑みだった。ウェディングドレス姿でもあることから、希未がこれまでの人生で知りうる限り、最も美しい『推し』だった。

 希未もまた、自然と笑みが漏れた。顧客として接した二ヶ月半だけでない。きっと、十年越しに――ようやく報われたと感じたのであった。


「さあ。お祝いされたんですから、お返しをしましょう」


 いつの間にかこの場から姿を消していた志乃が、教会の裏から姿を現した。手には、白いミニブーケを持っている。


「こちら……出来合いで申し訳ありませんが、私共からのサービスです。後ろ向きで、放り投げてください」


 志乃は腕を組んだままの両新婦に近づき、二色のブーケを預かる代わりにミニブーケを渡した。ブーケトス用のものだ。

 端材で構わないから用意して欲しいと、希未が頼んだのであった。

 大輪の白い花は、百合だった。


「わぁ。投げるの勿体ないぐらいですね」

「いや……ふたりで一緒に投げるの、難しくないか?」


 晶の涙が落ち着き、物珍しそうに両新婦が受け取った。

 この場合は確かにふたりの花嫁が同時に投げるべきだが、後ろを向くため難しいだろう。上手く投げられないことも含めての『余興』を楽しんで欲しいと思いながら、希未は眺めていた。


「悪いんだけどさ……私ら、晶の誕生日を祝いに来ただけだから、受け取れないよ」

「もういっそのこと、お世話になった人にお礼したら?」


 麗美と結月が、そのように提案する。残る六人も頷き、賛成している様子だった。

 この期に及んでまだそのような体裁を保つのかと、希未は苦笑した。

 晶と姫奈は顔を合わせ――頷きあった。そして、希未の方を向いた。


「そういうことだ。私としても、プランナーさんに受け取って欲しい。このサプライズも込みで……本当に、世話になったな」

「約束してくれた通り、最高の式をありがとうございました。お陰で、一生忘れられない日になりました」


 腕を組んだふたりから、百合の花を向けられる。


「え……そんな……」


 希未は反射的に断りそうになるが、それが出来ない空気になっていることを感じた。

 戸惑っていると、背後から肩にポンと手を置かれた。


「受け取ってもいいんじゃないかしら」


 志乃からだった。

 大切な人から後押しされ、希未はようやく腕を伸ばして受け取った。


「ありがとうございます! あたしの方こそ、今日という日を一生忘れません!」


 深々と頭を下げるが、周りから温かな眼差しを向けられているのを感じた。

 希未はかつてRAYに支えて貰ったように、他者の幸せを支えたかった。そのために、この仕事を始めた。

 誰かに感謝されたいわけではない。だが、最後に感謝されると嬉しい。どれだけ仕事が辛くとも、やり甲斐を感じる。やってよかったと思える。

 今日この時は、一入だった。


「さあ、それじゃあ『お誕生日会』やろうか。ちょうど、このホテルのパーティー会場押さえてあるよ」

「晶ちゃんと姫奈ちゃんは、そのままの格好ね」

「ちょっと待て。お前ら知らないだろうが、ウェストきつすぎて、飲み食いどころじゃないんだぞ」

「はいはい。後でちょっと緩めて貰いますから、わたしと最後まで着てましょうね、晶さん」


 麗美と結月が取りまとめ、一行が移動を始めた。ふたりのブライダルアテンダーが駆けつけた。

 今日はレストランとして営業していた披露宴会場が突然貸し切られ、コース料理が振る舞われる。名義と支払いは麗美個人だ。

 限りなく近いが、厳密には披露宴ではない。だから、希未が関与するのはここまでだ。志乃と共に、一行が去るのを見送った。


 麗美と姫奈がそれぞれ振り返り、そっと会釈した。

 希未はこの『サプライズ』を、晶はともかく姫奈にも黙っていた。さぞ驚き、喜んで貰えたことだろう。

 そして、晶からまだ交流があると聞いていたRAYのふたりに頼った。とはいえ、現在はかつて所属していた芸能事務所の副社長である麗美に――『サプライズ』の用件を伝えられるのか、不安だった。会社の受付窓口で、晶の名を出すことは出来ない。だが、このホテルの婚礼課として麗美に問い合わせたところ、直接取り合って貰うことが出来た。晶絡みだと察しただけでなく、準備に動いてくれた麗美にも、希未は感謝している。


「良かったわね、それ。まあ、作ったのは私なんだけど……」


 一行が立ち去り、志乃が希未の手元を見下ろした。


「成海さんも込みで、今回の思い出ですから……よかったら、ブリザードフラワーにしてくれませんか? お金は払います」


 誰が作ろうと端材だろうと、関係無い。受け取ったミニブーケにはこの案件の全てが詰まっているように、希未は感じた。

 生花であるそれを花瓶に飾って枯らすには、勿体ない。これからも、大切にしたい。


「ええ、いいわよ。でも、その前に……百合の花言葉は『純潔』や『無垢』なのよ」


 希未はふと、背後から志乃に抱きしめられた。

 突然のことに驚き、手に持っていたミニブーケを落としそうになるが、なんとか抱えた。


「まるで、のんちゃんみたいよね」

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