第11章『祝福』

第31話

 三月三十一日、日曜日。

 午前六時半、希未は携帯電話のアラームで目を覚ました。

 朝食を摂った後に身支度をする。クリーニングから下ろしたてのスーツに袖を通し、いつも通りの化粧を行った。

 静かな朝に、気分はとても落ち着いていた。

 午前八時半、自宅を出た。柔らかい日差しが心地良い。もう上着が要らないほどに暖かい。すっかり春だ。桜の開花情報を、テレビでよく耳にする。

 世界は明るい。だが、新しい季節ではなく――希未に『終わり』を予感させた。穏やかな風が、感傷にそっと触れた。


 大安である日曜日の今日、ホテルはとても慌ただしかった。

 午前と午後にそれぞれ挙式と披露宴が執り行われるため、大勢のゲストが訪れていた。従業員も忙しさに追われていた。

 しかし、希未は自分でも信じられないほどに落ち着いていた。

 だから、あっという間に午後二時を迎えたように感じた。希未は化粧を直すと、控室に向かった。

 他の組と重なることは基本的に無いが、今日は既に二組を送り出しているので、この部屋になんだか物寂しさを感じた。

 純白のウェディングドレスが二着、並べられていた。そして、従業員と共にふたりの女性が居た。


「ご結婚、おめでとうございます。最後までおふたりに満足して頂けるよう、努めます。本日は、よろしくお願い致します」


 自分が担当する顧客である天羽晶と澄川姫奈に頭を下げ、挨拶をする。


「ああ、よろしく頼む」

「ありがとうございます。いよいよって感じですね」


 希未の目からふたりは、穏やかな様子に見えた。素っぴんで訪れているが、顔色はとても良い。両新婦に、問題は特に無いようだ。

 これから二時間近くをかけて、着付けと化粧が行われる。

 希未はふたりから指輪を預かると、控室を後にした。


 午後の組の挙式は午後二時半に終了した。

 午後三時に希未は牧師に指輪を渡し、その足で教会へと向かった。

 この頃にはもう、午後の組は披露宴会場に移っていた。教会の清掃を終えた従業員が立ち去る中、パンツスーツ姿の成海志乃が居た。

 バージンロードを囲むよう――長椅子の隅に、白いバラの装花を行っていた。最終的にはリボンで繋げる。

 このようなチェアフラワーは、花の香りで魔除けになると言われている。


「お疲れさまです。大丈夫ですか?」


 進行に問題無いと見ればわかるが、希未は管理者として念のため訊ねた。


「ええ、順調よ。ふたりはどう?」

「コンディションは最高です」

「よかったわ。後は……」

「はい。信じましょう」


 希未は志乃と頷きあった。

 この『挙式』はきっと上手くいくと、確かな予感がある。それは穏やかな笑みを浮かべている志乃も、同じようだった。


 午後三時半頃、希未は再び控室を訪れた。

 その頃にはもう、ふたりは準備をほとんど終えていた。

 この部屋でウェディングドレス姿の花嫁をふたり同時に見ることは、希未はおそらく初めてだった。極めて稀な光景だけでなく、ふたりの美しさに息を飲んだ。

 挙式の進行について改めて説明すると、午後四時五分前になった。

 ふたりのブライダルアテンダーに付き添われ、ふたりの花嫁が教会へと移動する。並んでの移動となると、廊下の対向は不可能だった。だが、従業員以外とすれ違うことなく、ガランとした中庭へと着いた。

 この時間でもガラス屋根からは、明るい日差しが差し込んでいた。夕暮れ時はまだ先のようだ。

 教会の扉は閉まっていた。その前で――成海志乃が、青色のデルフィニウムと橙色のチューリップで作られたブーケを手に、立っていた。

 扉の前で立ち止まったふたりに、志乃が頭を下げる。


「なあ……私の左側に立ってくれないか?」


 花嫁ふたりでブーケを受け取ろうとしたところ、ふと晶が姫奈を見上げた。

 晶が左に、姫奈が右に立っている。振り返れば、今日に限らずいつもこの並びだったと、希未は気づいた。ふたりは意識せずとも、どういうわけかこれが『当たり前』となっているのだろう。


「今だけは、視える所にお前が居てほしい」

「晶さん……わかりました」


 姫奈が微笑み、晶の左に立った。そしてふたりは内側の腕を組み、外側の腕でブーケを持った。

 希未はふたりの事情はなしがわからない。それでも腕時計を眺め、その時が訪れるのを待った。


「時間です。両新婦、入場――」


 希未の合図で、ブライダルアテンダーにより教会の扉が開かれる。

 両新婦は一歩を踏み出し、教会へと入った。そして向き合い、互いに頭のベールを下ろした。

 互いを災いから守る準備が整うと、歩き出す。

 白いバラに囲まれた白いバージンロードには、白とピンクの花弁が散りばめられていた。希望アネモネの道だ。

 本来であれば、バージンロードは新婦の人生を象徴する。母親からベールダウンを受け、これまで関わってきた人間に見守られながら、新郎の元へと歩いていくのだ。

 今回はそれが当て嵌まらなくとも――ふたりで明るい未来へ進むための道だと、希未は感じた。


 希未は志乃と教会に入り、扉を閉めた。隅に移動すると、ウェディングプランナーとして、ふたりのゆっくりとした足取りを見守った。

 今この空間に居るのは両新婦と牧師、そして希未と志乃の計五名だった。

 ゲストは居ない。聖歌隊の賛美歌も聴こえない。ガランとした教会内は厳粛さが際立つ一方で――全方位のステンドグラスから差し込む淡い光が、神聖さを醸し出していた。なんとも言えない不思議な雰囲気だと、希未は感じた。


 かつての『推し』が、大切な人と共にバージンロードを歩いていく。このような光景を見ると、二ヶ月半前までは考えられなかった。思いもよらぬ再会から始まり、あっという間に今この瞬間を迎えていた。

 澄川姫奈もだが、純白のウェディングドレスに身を包んだ天羽晶はとても美しく、神々しさすら感じる。希未は、きっとこの光景を一生忘れることが無いと確信した。しっかりと目に焼き付け――瞳の奥から熱いものがこみ上げた。

 神聖な空間に、ふたつのウェディングドレスの裾が擦れる音が微かに響く。希未は堪えながら、問題無く進行していることを、業務としてただ見守った。


 やがてふたりは、祭壇へとたどり着いた。初老の外国人――にこやかな牧師に迎えられる。

 三人だけで讃美歌を斉唱した後、牧師が聖書の一節を読み上げ、神に祈りを捧げた。

 次は、結婚の誓約だ。

 晶と姫奈は向き合い、両手を取り合った。


「新婦、晶。貴方はここに居る姫奈を、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も……妻として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」

「誓います」

「新婦、姫奈。貴方はここに居る晶を、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も……妻として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」

「誓います!」


 それぞれの返事が、教会内に響き渡った。

 聞き届けたのは、牧師の他に希未と志乃だけだった。とはいえ、神に対しての誓約であるため、何人たりとも意味が無い。きっと神も聞き届けてくれただろうと、希未は思った。

 続いて、指輪の交換だ。

 指輪は昨年のクリスマスに晶がプロポーズした際に用意したと、希未は聞いている。その時から着けていたものを、まずは晶が姫奈の手袋を外し――左手薬指に嵌めた。姫奈もまた、晶に指輪を嵌めた。


「それでは、誓いのキスを」


 牧師の言葉に、ふたりは互いのベールを上げた。ふたりの障壁を取り払うことを意味する。

 露わになった素顔で見つめ合った後――ウェディングドレス姿のふたりが、そっと唇を重ねた。

 女性同士のキスを、希未は初めて見た。しかし、その認知が無いほど見惚れた。あまりにも美しい光景に性別の概念が付け入ることは無く、感動すら覚えたのであった。


「今ここに、新たな婦婦が誕生しました」


 牧師がふたりの肩に手を置き、結婚を高らかに宣言する。

 本来であれば、ゲストに対しての『報告』だ。しかし、希未はふたりに対する『認定』のように聞こえた。

 両新婦も同じように捉えたのか、とても幸せそうな笑みを浮かべていた。

 この宣言も――続いての結婚証明書への署名も、法的効力は何も無い。ただの茶番に過ぎないのだろう。

 だが、互いの幸せを願うというふたりの気持ちが『かたち』になったと、希未は感じた。儀式の目的が確かに果たされたことを、見届けた。

 そして、ふたりの幸せが末永く続いて欲しいと願う気持ちを、祝福と呼ぶ。

 牧師伝いに神も、きっと授けてくれたはずだ。希未はそう強く祈り――涙を流した。

 本当に必要なのは、きっと神の祝福ではない。だが、この空間にふたりを祝福するゲストは誰ひとり居ない。

 希未は感情が整理できなかった。感動の涙なのか、それとも憐れみの涙なのか、わからなかった。

 ただ、希未はこの場に居るひとりの人間として、目一杯の祝福をふたりに捧げた。

 俯いて両手で顔を覆っていると、隣に立つ志乃から肩を抱きしめられた。


「のんちゃん……」


 志乃の声にも涙が含まれていた。

 過去に祝福の無い式を挙げた志乃がどのような気持ちで見守っていたのか、希未にはわからない。それでも、彼女もまた自分と同じであって欲しいと願っているのだろう。


「退場していくわよ」


 希未は涙を拭って顔を上げると、腕を組んで扉に向き合っているふたりの姿が見えた。無事に儀式を終えたからか、なんだか誇らしげだった。


「私達の仕事を、果たしましょう」

「はい!」


 神妙な面持ちの志乃と向き合い、希未は小さく、しかし力強く頷いた。

 ウェディングプランナーとして最後まできちんと、ふたりの幸せを送り届けなければいけない。


「両新婦、退場!」


 その合図で、ふたりの花嫁が胸を張ってバージンロードを歩いていく。

 希未は志乃と共に扉に向かい、ふたりの到着を待った。

 退場の場面は希未に、やはり『終わり』を彷彿とさせる。だが、希未自身はかつてないほどの達成感に満たされていた。

 この案件を扱ったことを、誇りに思う。ウェディングプランナーとして長らく忘れていた大切なものを、思い出させてくれた。もう二度と、忘れることは無いだろう。

 他者の幸せを支えることが、仕事だ。だから希未は、ふたりの幸せを考えて行動した。

 やがて、ふたりの花嫁がやって来る。

 希未は志乃と、扉を開けた。

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