第30話
三月十九日、火曜日。
天羽晶と澄川姫奈の、前撮りの日が訪れた。
「おはようございます」
午前十時過ぎ、希未は封筒を手に控室を訪れた。
晶が青色、姫奈が橙色のカラードレスに身を包み、化粧を施されていた。午前九時から着付けが行われているが、化粧やヘアセットも含め、準備に二時間ほどを要する。
フラワーヘアアレンジのために成海志乃が控えていたので、希未は会釈した。そして、鏡に向き合っているふたりに近づいた。
「おふたり共、コンディションは最高ですね」
化粧で肌の血色が良く見えているのかもしれないが、ふたりの目はとても活き活きしていた。体調が優れている他、緊張している様子も無かった。
前撮りとは結婚式の『予行練習』だと、希未は考える。着慣れない衣装と大層な化粧で、緊張する新婦は多い。それでも式当日と違い人目が無く、進行の時間も余裕があるため、ゆったりと慣らすことが出来る。挙式だけ、しかもゲストを呼ばなくとも、事前にこうして味わうことで当日は違うはずだ。
もっとも、姫奈はまだしも――元アイドルである晶はこの手の空気に慣れているだろうと、希未は思った。
「はい。わたしは早く寝たんですけど……晶さん、はりきっちゃって」
姫奈が鏡越しに目だけを動かす。
希未はそれを追うと、紙袋が置かれていた。プロップスやガーランド等、前撮り用の『小物』が入っていた。おそらく、晶が手作りで準備したのだろう。
「天羽様は、大丈夫ですか?」
それほど乗り気でない印象を持っていたので、意外だった。希未はニヤニヤと笑みを浮かべながら、訊ねた。
「……少し寝不足だが、問題無い」
晶は化粧中のため、逃げ場が無い。
照れくさそうな表情が、希未は鏡越しに見えた。
可能であれば撮影が終了するまでふたりに付き添いたいが、他に仕事があるためそうはいかない。
「それでは、本日はリラックスして撮影をお楽しみください。あたしは失礼します。そうそう……領収書、置いておきますね」
希未は頭を下げた後、封筒を鏡越しにヒラヒラと振り、紙袋近くのテーブルに置いた。正確には、領収書ではなく送金控えと支払明細書が封筒に入っている。
そう。前撮り準備の様子を見に来ただけでなく――入金が完了したという連絡に訪れたのであった。
対価は貰った。後は、一ヶ月半をかけて決めた内容通りのサービスを提供するだけだ。これから先、原則として変更は利かない。全ては確定した。
用事を済ませた希未は、控室を後にした。
やがて正午になり、希未は事務所で昼食を取った。
その後、フラワーサロンに足を運んだ。
「成海さん、見学に行きませんか?」
「いいわね」
志乃を誘い、ホテル内で行われている前撮りの様子を覗くことにした。撮影は、午前十一時から二時間を予定している。
十五階に上がるが、教会には居なかった。ふたりで周辺を探すと――六つある披露宴会場のひとつ、その一角で発見した。
綺麗に着飾られた晶と姫奈が、高砂席に並んで座っていた。それぞれプロップスを手にし、正面のカメラに、とても幸せそうな笑みを向けていた。
希未にしてみれば、よく目にするシルエットだった。しかし、九十名まで収容可能な明るい空間は、今はガランとしていた。高砂席だけが浮いていた。
もしもゲストを呼んでいたら、もしも披露宴を行っていたら――きっとあのような高砂席なのだろうと、安易に想像できる。
誰が提案したのかは、わからない。どちらも叶わないのだから『擬似的』な写真を撮っているようだと、希未は思った。
「のんちゃん……」
会場入口で撮影の様子を眺めていると、隣の志乃から肩に手を置かれた。
きっと、志乃も自分と同じような気持ちなのだろう。希未は志乃を見上げることなく、肩の手に自分のを重ねた。
「順調みたいで、何よりです。行きましょうか」
志乃ではなく自分に言い聞かせているようだと、希未は思った。
このような光景は、どちらかというと見たくなかった。複雑な気持ちで、静かに立ち去った。
前撮りは特に問題無く終了した。
希未は、着替え終えたふたりを見送った。とても満足そうだった。
次に会うのは三月三十一日――挙式当日だ。もう十二日後にまで迫っていた。
やがて午後九時を過ぎ、希未は仕事を終えた。
ブライダルサロンを出るが帰宅せず、十五階の大浴場へ向かった。他に誰も居ないサウナに入り、定位置に腰掛ける。
考え事――というより、焦燥に駆られていた。
ゲストを誰も呼ばないことに、未だ納得できなかった。姫奈の本心としては、寂しいのだと捉えていた。
姫奈に提案可能なアイデアならある。残された時間と、費用が掛からないことから、おそらく『確定後』の現在も実現は可能だ。しかし、言い出せずにいた。
いや、姫奈の許可は要らない。希未ひとりが動くことで『サプライズ』の準備は出来る。
こうすることで、姫奈の本心を満たせるだろう。だが、この挙式はあくまで『ふたりの儀式』だ。晶の気分を大いに害する可能性が考えられる。
だから、実行の有無はどちらが正しいのか、希未にはわからなかった。それでも残り少ない時間は、刻一刻と過ぎていく。追いやられながら、ただ思い悩んだ。
サウナに入り、五分ほどが過ぎた。希未は全身から汗が流れ出るのを感じていた。
ふと扉が開き、顔を上げた。
「のんちゃん……やっぱり、ここに居た」
成海志乃だった。微笑むと、希未の隣に座った。
志乃とここで一緒になるのは意見が衝突して以来だと、希未はぼんやりと思い出した。
日中は目にしていた志乃の――右手小指のピンキーリングは、今は嵌っていなかった。当たり前だが、脱衣所で外したのだろう。
「昼間のことで、思うところあったんじゃないかなって……」
「お見通しですね、成海さん」
希未は誤魔化す気にもなれず、苦笑した。
心配されていることよりも、志乃から理解されているのだと感じる。その点は、とても嬉しかった。
「それで……どうなの?」
「アイデアなら、一応あります――まだ、ギリギリ間に合いそうなのが。でも、やっていいものか悩んでます」
「そう……。私から、ひとつアドバイスするわね。ていうか、失敗談かしら」
失敗談という言葉と話の流れから、希未は志乃の結婚が思い浮かんだ。
志乃についても、過去を知ってから戸惑いがある。悲しい話を聞かされるかもしれないと、身構えた。
「私もね、あのふたりみたいに……ゲストがゼロの挙式オンリーだったの」
望まれない結婚だったと、以前聞いている。反対を押し切って結婚式を挙げたとも聞いた時点で、それは想像可能だったはずだ。だが、希未にそこまで考える余裕は無かった。
きっと、ぼんやりと重なっていたものの正体はこれだ。希未は納得すると同時、素直に驚いた。
同じ挙式だったという事実だけでなく――あのふたりに対し、志乃がどのような気持ちで接していたのだろうと思う。しかし、想像できなかった。
「あの時ゲストが居なかった事と、こうなってしまった事に、関係が無いとも思えないのよ」
「誰かに祝福されていれば、その……旦那さんが不倫することもなかったと?」
そう訊ねると、志乃が頷いた。
客観的な事実に、希未としては因果が有るとも無いとも思える。だが、文字通り『失敗談』であることから、不思議と説得力を感じた。
「ゲストは証人……抑止力のようなものかしら。神様だけじゃなくて、誓いの言葉を聞き届ける人間が必要だと、私は思うわ」
志乃の言葉に、希未は納得した。だが、天羽晶と澄川姫奈の挙式とは、そもそも前提が違う。
「すいません。あたしは、あのふたりが上手くいかないと思えません」
未来のことはわからない。それでも、希未は晶と姫奈を見ている限り、破局はあり得ないと確信している。だから、対比にならないと思った。
「それは私も同じ意見よ。でも、そうじゃないの。たぶん……お祝いされたら、誓いはもっと強いものになるんじゃないかしら」
実経験ではないので、志乃の憶測に過ぎない。しかし、希未にとっては賛同に値する内容だった。
これまで、祝福とは顕示欲を満たすためのものだと思っていた。無いことで、寂しさだけが問題だと思っていた。
「そういうことなら……やっぱり必要ですね」
賑やかにするためではない。ふたりが誓い合う儀式――本来の結婚式を、確固たるものにするためだ。
「お客さんがゲストを呼ばないって聞いても、私は正直どうでもよかったわ。でも、のんちゃんが悩んでいるのを見ていると、考えてしまって……特に、ここ最近は……」
希未は言葉を詰まらせた志乃を見ると、苦しそうな表情で俯いていた。
この件に関して、志乃の意見はこれまでと変わった。それを責めるつもりは、希未には無い。きっと自分以上に思い詰め、本心にたどり着いたのだと思った。
「私達は、誰かの幸せを支えることが仕事よ。だから、後悔だけは無いようにしましょう」
顔を上げた志乃が、希未を見上げた。希未には、縋るような目に見えた。
熱気に包まれた空間で、汗が流れ出る。出会った時もここだったと、希未はふと思った。あの時は志乃の正体を知らず、悩みを打ち明けた。
きっと自分も、かつてはこのような弱々しい目をしていたのだろう。他者の幸せと向き合うことが億劫になり、ウェディングプランナーという職業から逃げようとしていた。
だが、今は違う。長い時間を置き、仕事にやり甲斐を感じるまでに至った。
ここで選択を誤ってはいけない。後悔するのは、顧客だけではない。きっと、ウェディングプランナーとしての『誇り』もまた、後悔するだろう。
「はい。お客さんの幸せを第一に考えるのが、あたし達の仕事です」
希未は立ち上がり、志乃を見下ろした。そして、力強く頷いた。
志乃と出会い、共に仕事をすることで、良い方向に変わることが出来た。そして、こうして最後に背中を押してくれたことに対しも、感謝している。
彼女が結婚にも花にも快く思っていないと理解できる。それでも身を挺して悩んでくれたからには、応えたい。いや、根本にある気持ちは自分と同じはずだと、希未は思った。
もう迷いは無かった。たとえ特殊な案件であろうと、これまでのキャリアから成功させる『自信』がある。
「ありがとうございます、成海さん。あたしは――」
(第10章『悔やまないために』 完)
次回 第11章『祝福』
三月三十一日を迎える。
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