第26話
――私個人的には、結婚に良くないイメージを持ってるの。
午後三時過ぎ、希未は婚礼課の事務所に戻った際、ふと思い出した。
違和感の正体はこれだと気づく。どちらかというと結婚に否定的な志乃から、あのような言葉が出たのが意外だったのだ。
いや、違う解釈をすれば、仕事としての気持ちとも、他者の結婚には前向きとも――或いは希未を肯定しているだけとも、様々な意味合いで捉えることが出来た。
何にしても、志乃のことがわからない。イチゴビュッフェから立ち寄った教会での様子から、おそらく以前の職場で何かがあった。花について仕事以外で否定的なことも、それが関係しているのだろう。
志乃に対する感情の正体はさておき、特別視している人物だからこそ、志乃が何を抱えているのか不安になる。
天羽晶と澄川姫奈の結婚式、そして成海志乃のこと――希未はどちらも複雑なだった。事務所でコーヒーを淹れると、浮かない気分で自席に座った。
机は引き出しの中も散らかっている。そこから市販のチョコレート菓子を取り出し、暴食した。
「遠坂、荒れてるねぇ。でも、オヤツのやけ食いは後々くるよ?」
その様子を見ていたマネージャーの加藤絵里子が、自身の頬を指さした。ニキビが出来るとの意味だ。
最近はイチゴビュッフェでも肌が荒れたばかりなので、希未は仕方なく残りを引き出しに仕舞った。
「で、どうしたん?」
「何でもないです……」
希未はコーヒーを飲んで、自身を落ち着かせた。
天羽晶の案件については報連相の対象にしろ、話がややこしい、かつ私的な感情が入っているため話せなかった。志乃については、なおさらだ。
ふと、机の卓上カレンダーが目に入る。三月八日に星印を付けていた。
まずはこれから片付けなければいけないと、希未は思った。特別な日だけではなく、バレンタインでの礼も兼ねている。強引に、気持ちを切り替えた。
「加藤さんは、誕生日に貰って嬉しいもの……何かありますか?」
休憩時間なので、何気なく訊ねたつもりだった。
そう。三月八日は志乃の誕生日だ。
希未は盛大に祝うつもりだったが、まだプレゼントすら用意していない。何を贈るか、悩んでいた。
「え? 私、まだまだ先だけど?」
「ち、違います。加藤さんじゃなくて、その……友達に」
なんだか語弊があるように、希未は思った。それでも志乃のことを言えるはずがなく、誤魔化した。
「友達なら、何だっていいんじゃないの? そういうものでしょ?」
「そりゃまあ、そうですけど……」
絵理子が首を傾げる。
至極当然の反応だと、希未は思う。確かに、友達と呼べる間柄なら悩まない。だが実際は『気になる相手』なのだから、そうはいかない。
「よくわからないけど、大切なのはモノよりもハートじゃないかなぁ。想いが込められていたら、誰に何をあげても喜ぶからね……たぶん」
これもまた、当たり前の内容だった。
しかし、希未は見落としていたような気がした。二十八歳が三十二歳に贈るものとして、どれほど高級なものなら喜んで貰えるだろうとばかり、考えていた。あくまでも、値段は選んだ結果なのだ。
「けど、まあ……私ら、サプライズのプロだよ? モノよりも、そっちで勝負するべきじゃない?」
「だいぶ限られてるというか、あんまり応用利きませんけどね」
カップルの馴れ初めとして、プロポーズの事例を希未はこれまで数え切れないほど聞いてきた。ほとんどが、サプライズで行われている。そして、結婚式の――主に披露宴で、ゲストを喜ばせるためのサプライズ演出も、これまで何度も新郎新婦と共に考えてきた。
それらに関しては、希未は確かに自信がある。だが、誕生日に使えそうなアイデアが、全く見当たらない。やはり、誕生日と結婚は、観点や仰々しさが違うと思った。
「うーん。気持ちを込めてのサプライズですか……」
とはいえ、希未にはウェディングプランナーとしての誇りがある。それで勝負をしてみたい気持ちも、少なからずある。
もう一度考えてみると――ぼんやりと、花束が思い浮かんだ。サプライズ、そしてプロポーズと、連想したまでだ。
何も、志乃に対してプロポーズをするわけではない。恥ずかしくなるが、それも一瞬だった。
花が一切置かれていなかった志乃の部屋を、ふと思い出した。仕事以外で花をそれほど好きではないと言っている志乃に、花を贈って喜んで貰えるだろうか。
いや、その是非ではない。志乃の私生活に彩りを与えたいと、希未は思った。もう枯れてしまったが、バレンタインに貰ったフリージアで前向きな気持ちになることが出来た。とても嬉しかった。
フラワーコーディネーター相手に同じことをしたことろで、同じ気持ちになって貰えるのかは、わからない。それでも、自らの経験を大切にしたい。志乃には彩りが『必要』だと考える。
どのような種類かはさて置き、希未は花を贈ることに決めた。だが、それだけでは誕生日プレゼントとして流石に味気ないと思った。
何かもうひとつ、志乃に与えたいものは――次に浮かんだのが、志乃の手だった。荒れているわけではないが、爪にデコーレションやマニキュアも無く、働き者を彷彿とさせる。
ある意味で、花屋らしい手なのかもしれない。だが、寂しいほどに素っ気ないと、希未は以前から感じていた。あの手にも、彩りを与えたい。そう考えると、
「加藤さん、ありがとうございます。お陰で、大体決まりました」
「え? 私、何かした?」
絵理子は唖然としているが、希未にとっては良い助言だった。
思いついたふたつは、志乃のことを想って選んだものであり――そして、渡す際のサプライズも可能だ。きっと志乃に喜んで貰えるだろう。
「誕生日に、サプライズか……」
希未はぽつりと口にする。
ふと突然、頭に降ってきた。実に些細な脈絡だが、今だからこそ、それにたどり着いたのだと思う。
この時、志乃の誕生日とは別で、ある考えが浮かんだのであった。
希未は休憩を終えて事務仕事を片付けると、午後五時になっていた。
今日中に渡さなければいけない書類があるため、フラワーサロンを訪れた。
「お疲れさまです、成海さん。これ、発注書です」
「のんちゃん、わざわざありがとう」
眼鏡をかけてパソコンの前に座っていた志乃に、書類を渡す。
希未にとってこの用事は、志乃に会う口実でもあった。
「思ってたより、大丈夫そうね」
志乃が優しく微笑んだ。
何のことかと希未は思うが、今日の昼過ぎ――澄川姫奈の件で思い詰めていたことを心配されていたのだと、察した。
確かに、思い返すと今でも釈然としないところはある。
「成海さんに言われた通り、割り切ることにしましたから」
だが、結局はそうする他に無い。『出来れば』の願いを汲んで『ふたりが幸せを誓い合う儀式』を乱してはいけない。希未は取捨選択をしたつもりだった。
容易いことではなく、辛かった。しかし、志乃から励まされたこと、そして志乃の誕生日プレゼントを考えていたことから――今は気持ちが和らいでいた。
「そうなのね……」
小さく頷く志乃に、希未は既視感を覚えた。
どこか遠くを眺めるような横顔は、別のホテルの教会で見たものと同じだった。
「成海さんこそ、大丈夫ですか?」
打ち合わせを終えて、数時間しか経っていない。志乃は現実的に捉えているようだったが――この間に、何か思うところがあったのだろうか。
希未はなんだか、気持ちの変化がすれ違ったような気がした。
「ええ。大丈夫よ……」
志乃は眼鏡を外し、目頭を押さえた。
きっと眼精疲労に参っているのだと、希未は捉えた。
「ちょっとだけ考えたのよ。もしも周りからのお祝いがあれば、どうなるのかしらって……」
目を押さえたまま、志乃がぽつりと漏らす。
その先の
希未は志乃の頭をそっと撫でた。
「それが、どうでもいいわけじゃありません……。でも、ひとまずは……あたしが成海さんの誕生日を、お祝いします」
そう遮ると、志乃が降参したかのように微笑んだ。
「ありがとう、のんちゃん」
逃げていることは明らかだった。本来であれば結婚式に携わる者として、ふたりで向き合わなければならない。ふたりで、正解の無い問いに頭を抱えなければいけない。
しかし、希未は志乃の手を引いた。
そうしなければ、自分以上に――志乃が『何か』に押し潰されそうだと思ったのだ。
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