第09章『想いを込めて』
第25話
三月五日、火曜日。
午後二時過ぎ、希未はフラワーサロンの四人がけテーブルで、成海志乃と並んで座っていた。
正面には天羽晶と澄川姫奈が座っている。今日は、二度目の花の打ち合わせだ。
とはいえ、一度目でおよそ決まっているので、内容の確認程度だった。
「それでは、ブーケはデルフィニウムとチューリップで作らせて頂きます」
志乃がテーブルに、小さな青い花と大きな橙色の花を、それぞれひとつずつ置いた。
デルフィニウムの花言葉は『高貴』を、さらに青色は『貴方を幸せにします』を意味する。
そして、チューリップの花言葉は『思いやり』を、さらに橙色は『永遠の愛情』を意味する。
志乃からそのように説明があり、ふたりは満足そうな笑みを浮かべた。
希未も、それぞれがふたりに相応しい花だと思った。志乃がいつからこれを考えていたのか、わからない。内覧で二色のブーケを提案した時から、ここまで頭にあったのかもしれない。
「ああ。それで頼む」
「正直どうなるのかと思ってましたけど、あのスケッチにドンピシャっぽいですね」
姫奈が二本の花を束ね、頷いた。
希未はかつて志乃が描いたスケッチをうろ覚えだが、貰った当人がそう言うのだから違いないのだろう。まさに、志乃が有言実行を果たしたと言える。
「ありがとうございます。今だから言えることですが……だいぶ前からチューリップは発注しておきました。三月になってからですと、品切れの危険がありましたので」
志乃の言葉にふたりと共に、希未も驚いた。
「へぇ。わたしは、春のお花だと思ってました」
「そのイメージは正しいです、澄川様。市場に出回るのが早くて――大体、年末から二月ぐらいなんですよ。春の花だからといって春に決めても、押さえられないことが多いです」
「なるほど。それを見越して、先手を打ってくれたわけか」
「はい。おふたりなら、当初の提案から変更が無いと……信じてましたから」
ふたりに対する信用というより、手応えと自信があったのだと、希未は思う。
結果的には称賛に値する行動を志乃が取ったが、なんだか釈然としなかった。管理者としての立場上、独断での行動が悪い可能性に転んでいた場合のことも考えてしまう。
「あの、成海さん……。超グッジョブなんですけど、あたしのとこに発注書回ってきてませんよ?」
「えっと……それはまあ追々ね」
希未は半眼を向けると、志乃が小さく笑いながらペロリと舌を出した。愛嬌よく振る舞っているつもりだろうが、どうしてか少し苛立った。
「わかりました。今日中に回してください」
とはいえ顧客の手前、ぐっと堪えた。正面のふたりは、このやり取りに笑っていた。
もしも、チューリップが常識では考えられないほど高級な花だったなら、どうすればいいのだろう――現実的にあり得ない話だが、可能性がゼロではない。希未に込み上げるその不安も、この場で口には出来なかった。
既に発注した『事後』だということは、それについての金額が希未の知らないところで『確定』したことになる。志乃から、せめて事前に一言でも相談して欲しかったと、希未は思う。
「ということで……式に関する事柄はひとまず、一通り決定しました。正式な見積もりを、近日中にお渡し致します」
そう。希未は最終段階で、当初の見積もりから大きく乖離しないことを心配していた。
このふたりには経済力がある方だと、希未は踏んでいる。かといって『思っていたより高い』という悪い印象を、多少なりとも与えたくない。これまでのところは誤差がほとんど無いので、チューリップが番狂わせにならないよう願った。
「ああ、そのまま請求してくれ。私としても、なるべく早く振り込みたいから……見落としが無いかのチェック、頼む」
「かしこまりました。天羽様と澄川様も、何かご要望がありましたら、今週中にお願いします」
「了解です。たぶん無いと思いますけど……」
姫奈が苦笑する。
以前までならば、希未は言葉通りの意味として受け取っていただろう。だが、姫奈と話して内に秘めた気持ちを知った現在――複雑だった。
その後、希未は志乃と共にふたりを見送った。
予定していた六週の打合せを、今日で全て終えたことになる。このままふたりから変更や新たな要望が無ければ、正式見積り、即ち請求へと移る。ここから先は、変更が難しくなる。
いつもであれば、この段階であれば確かな手応えを感じていた。だが、今回はなんだか釈然としない。
果たして、これでいいのだろうか。希未に焦燥が込み上げる。
「実はね……オレンジのチューリップが『永遠の愛情』って、超レアな意味なの」
志乃がテーブルのティーカップを片付けながら、ふと漏らす。
「花言葉としてメジャーなのは『照れ屋さん』の方よ。お祝いされて照れると、頬っぺがオレンジ色になるから……」
橙色の花全般に同じことが言えそうだと、希未は思った。花言葉はよくわからないが、どういうわけかチューリップに限るようだ。
「なんていうか……皮肉ですね」
姫奈のはにかむ様子が安易に浮かぶ。人柄の良さを知っている現在、希未の想像上では大勢に囲まれていた。
彼女は少なからず、それを望んでいた。しかし、あくまでも晶を尊重し、そして当事者ふたりのための儀礼だと割り切っているため――手を伸ばそうとはしなかった。晶には黙っておくよう、希未は釘を刺されている。
叶わない花言葉のブーケを持つのだと、希未は察した。少し調べればわかることだろうが、ふたりには本来の意味を知らずに居て欲しい。
「百パーセント満足のいく式なんて、どのカップルも挙げられないわ。妥協は絶対に必要よ」
希未は姫奈から聞いた胸内を、志乃にだけ事前に話していた。
その時から現在も、志乃の姿勢は変わらない。
「それでも……」
「しっかりして、のんちゃん。今から招待状の打ち合わせして、送って出欠取って……間に合わないわ」
大切な人間から、酷な現実が告げられる。
遅すぎたと言わないことが志乃なりの気遣いなのだと、希未は感じた。もっと早くに晶と姫奈から個別のヒアリングを行っていれば、違っていたかもしれないと思う。
「ていうか、何が何でもゲスト呼んでお祝いされたいわけでもないんでしょ?」
「はい。出来れば、ぐらいのニュアンスでした」
「なら、それでいいじゃない。私達も、軽い感じに割り切りましょう」
志乃から妙に冷たい態度を取られているように、希未は感じる。
だが、過去から言動が一貫して『現実的』なのだと、ふと思った。『のんちゃんのため』とよく耳にしていたが、前向きに手を貸してくれたのは、まだ可能性がある時だった。
本来であれば現実的な軸を作るのは、管理者である自分の役目だ。希未は情けなかった。
「そうですね。あたし達が今さらゴネたら、迷惑ですよね」
姫奈の言う通り、このタイミングで晶に伝えるべきではない。それに、バージンロードにアネモネの花びらを撒く提案は、ふたりに気に入って貰えている。志乃と共に最善を尽くしたつもりだ。見積書が請求書に変わるのを、待つだけだ。
希未は決して正当化しているのではない。互いを幸せにしたいと考えているふたりが、その気持ちを確固たるものにすると誓う場――それを提供するのがウェディングプランナーとして正しい判断だと、信じて疑わない。この挙式の場合、周囲の祝福は二の次だ。それを履き違えてはいけない。
「大丈夫よ、きっと。オレンジのチューリップは『永遠の愛情』になるわ」
希未もテーブルの書類を片付けて顔を上げると、志乃が微笑んでいた。
こういうところは現実的ではなく願望的なのだと思った。いや、志乃にしてみれば『現実的な可能性』なのかもしれない。
何にせよ、志乃からの前向きな意見が、希未は嬉しかった。仕事ではなく、心からそのように思っているようなので、なおさらだ。
しかし、正体はわからないが――志乃の言動には少しの違和感があった。
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