第24話
希未は志乃と教会、そしてホテルを出た。それから駅周辺のビルで衣服やコスメ、雑貨を見て回った。
やがて腹の落ち着いた午後三時半、帰宅することになった。アフタヌーンティーは、今日はやめておいた。
「あたし、もうちょっと見るものがあるんで……」
「そう。それじゃあ、私はお先に失礼するわね。お疲れさま」
「お疲れさまです。今日は、ありがとうございました」
帰る方向が同じであるため、同じ電車に乗ることになる。希未は適当な理由をつけて、それを避けた。
志乃と別れた希未は、逆方向の電車に乗った。ひとりで向かった先は、河沿いのカフェ『stella e principessa』だ。
今日は志乃との楽しい時間を過ごした。だが、ひとつだけ――以前の職場について訊ねた際の物寂しい横顔が、今も頭から離れなかった。
それについてひとりで考えたところで、志乃の過去がわかるわけではない。ただ、戸惑う気持ちを落ち着かせたい。せっかくの休日でもあるため、わざわざ遠いカフェまで足を運んだ。
「ホットコーヒー、トールで」
店に入ってすぐ、レジで注文する。今日は天羽晶も澄川姫奈も、カウンター越しに姿が見当たらなかった。
時刻は午後四時前。席はほとんどが埋まっていた。制服姿の学生も目につく。
希未はコーヒーを受け取り、どこに座ろうかと店内を眺めていたところ――誰も居ないと思っていたテラス席に、姫奈の姿が見えた。
扉を開き、テラスに出る。二月も終わり空は晴れているが、まだ寒い。
テラスに設置されている丸い機械がうるさく震え、熱と共にコーヒーの強烈な匂いを漂わせていた。コーヒー豆を炒っているのだと、希未は理解した。
「こんにちは、澄川様」
機械の傍に立っている姫奈に、大きな声で挨拶した。
「遠坂さん……お世話になってます」
振り返った姫奈が、行儀よく頭を下げた。そして、テラス席の隅を指差し、ふたりで移動した。機械の騒音が、幾分小さくなった。
偶然にも、以前訪れた際、煙草を吸っていた晶と話した場所だった。
「今日はどこかにお出かけですか?」
「はい。
希未の格好から、姫奈はそのように察したのだろう。
食べすぎたという仕草のつもりで腹を擦りながら、希未は苦笑した。
「わぁ。いいですね」
「甘いものは美味しかったですけど……コーヒーは断然ここの方が美味しいですよ」
希未はブラックコーヒーを一口飲む。酸味と苦みが絶妙なバランスの味は、やはり上質だ。忌憚のない感想だった。
「ありがとうございます! 喜んで貰えると、嬉しいです!」
「というわけですので……今日は
すいませんと、希未は頭を下げる。
志乃のアイデアである、バージンロードにアネモネの花びらを散らせることを、以前の打合せで提案した。思っていた通り、ふたりに快く受け入れて貰えた。
それから他に何か提案することも要望を受けることも、現在のところは無い。
「
挨拶だけでは寂しいので、希未は何か話そうとしたところ――真っ先に出たのがそれだった。晶が居ない今、もしかすれば姫奈の本音が聞けるかもしれないと思った。
「はい。ワクワクだけじゃなくて……多少は」
今日も無邪気で明るい様子の姫奈だったが、どこか神妙な面持ちで、小さく頷いた。
大抵の当事者はこうなるため、希未は特に驚かない。無事に成功するのかという不安は、どの新郎新婦にも有る。
「結婚って、何なんでしょうね」
姫奈は遠い空に両手を掲げ、凝った身体をぐっと伸ばして見せた。
仕草だけではない。希未には言葉も、何気ないものに聞こえた。
「パートナーシップ制度ってあるじゃないですか? 晶さんから一度は訊かれたんですけど、断ったんですよ。わたしは、どうでもいいというか……籍を入れられるわけじゃないですし……」
この国では同性婚が認められていないため、パートナーシップ制度というものがある。自治体によっては『婚姻に相当する関係』だと認める施行だ。その証明書を提示することで、ローンや保険が婚姻関係として扱われることもある。
しかし、絶対の法的効力は無い。
希未には、同性婚の当人達が入籍代わりに申請する制度という印象があった。所詮は自己満足として見てしまう部分も、少なからずある。
実際に、姫奈の言い草から虚しさを感じた。とはいえ、この制度で認定されていると思っていたので、意外だった。
「たぶん、誰かに認めて貰いたいわけでもないんですよね」
この無邪気な女性に強い顕示欲があると、希未は思えない。彼女の言動に納得した。
晶に対しても同じだった。あるがままに我を通している印象を持っていた。
「それじゃあ、結婚式を挙げる理由は――」
「気持ちの整理、みたいなものでしょうか。綺麗なドレスを着て誓いを立てたら、
姫奈は左手を空に掲げ、薬指に嵌った指輪を眺めながら苦笑した。
式を挙げたいと言い出したのは姫奈だと、希未は晶から以前聞いている。そして、結果的になのかはわからないが――結婚式に対するふたりの心持ちが、同じなのだと理解した。
パートナーシップ制度で擬似的に認定されるよりも、儀式を通じて誓い合う。ふたりの絆を確固たるものにする。
これこそまさに自己満足だと、希未は思う。証明書はおろか、かたちとして何も見えないのだから。確かに、おかしな話だ。
「おかしくなんか、ありません! おふたりが婦婦だと言うのなら、婦婦です!」
しかし希未はとても心打たれ、肯定した。
パートナーシップ制度と結婚式――同性婚に於いて、どちらが正しいというわけではない。結局は、当人達次第だ。どちらも踏んでいるカップルも居ることだろう。
希未はウェディングプランナーとして、そのような心持ちで結婚式に臨むふたりを応援したい。ふたりの幸せを、心から支えたい。
「ありがとうございます。そう言って貰えると、嬉しいです」
姫奈は左手を下ろし、希未に微笑んだ。
「晶さんがわたしと家族に成りたいって言ってくれた時は、とっても幸せでした。憧れから始まって、支えたいって思って、あの人と何年も一緒に夢を追いかけて……これから先、同じ
そのように話す姫奈はうっとりした様子で、希未にはとても幸せそうに見えた。
およその馴れ初めは把握している。だからか嫉妬や焦燥は無く、素直な気持ちで姫奈の幸せに触れていた。
「そういうの、素敵ですね」
「それでも、ここだけの話……将来に不安が全く無いわけじゃありません。たぶん、楽しいことばっかりでもないと、覚悟はしてます」
同性婚だけではない。『亡くなったはずの元トップアイドル』がパートナーであることも、不安材料のひとつだろうと――晶と以前話したことを、希未は思い出した。晶本人は、かつての身分に負い目を感じていた。
「晶さん……何かあったら、ひとりで抱え込んじゃうんですよ。キャパ狭いから、すぐパンクするのに……。だから、何があってもわたしは晶さんを支えます。意地でも幸せにしてみせます」
――私がどうなっても構わない。残りの人生全部を使って、あいつだけは絶対に幸せにするつもりだ。
心持ちだけではない。まるで示し合わせたかのように、願いも同じだった。
ふたりが互いの
静かに驚いた後、自然と笑みがこぼれた。
「おふたりなら大丈夫ですよ」
結婚とは何か。幸せとは何か。
希未はこれまで、結婚とは――ひとつの幸せに向かってふたりで歩いて行くイメージがあった。それはきっと、間違ってはいない。だが、そう考えても独身だからか、なんだか釈然としなかった。
そのような希未でも、ふたりの姿には、とても納得した。
互いがパートナーを幸せにしたいと、強く願っている。実に単純な構図だ。年齢や立場の上下だけでなく、性別すら付け入る余地が無い。
希未はそれが、とても美しい関係だと思った。そして、幸せにしたいという願いを向けられていることが『幸せ』なのだと、客観的に感じた。
支え合うとは、まさにその相互だ。結婚とは、それを確固たる『かたち』にしたものだ。
一組の同性カップルに、希未はようやく答えを得たような気がした。ここまで強い絆があれば、この先どのような壁にぶつかっても乗り越えられると、確信した。
「まずは式から、絶対に成功させましょう!」
「はい。よろしくお願いします」
希未は姫奈と頷きあった。
志乃との一件で戸惑い、気持ちを落ち着かせるために訪れた。姫奈とこのような話になるのは想定外だったが、今はとても清々しい気分だった。
「ゲスト様が不在ですけど、お花のアイデアを気に入って頂けて幸いです。とっても素敵な雰囲気になると思いますよ。あたしとしても、おふたりが歩くところを、早く見たいです」
昂りから、つい口走ってしまった。
それに――ゲストを誰も呼ばないことに、希未はもう悲観しなかった。ふたりが誓い合うための式であり、本当に祝福を求めていないのだと理解したからであった。
だからこそ、アネモネの花びらによる『希望』のバージンロードは、ふたりに相応しいと思う。
「晶さん頑固なんで、正直諦めてるんですけど……。わたしとしても、絶対に必要かと言われたら、そうでもないんですけど……。ていうか、一ヶ月前で今さらですけど……」
姫奈は苦笑しながら、首を動かして周りを見た。
晶の姿が無いことを確かめているように、希未には見えた。
「ここだけの話……誰も呼ばないのはちょっと寂しいなって、思うところはあります」
(第08章『幸せのかたち』 完)
次回 第09章『想いを込めて』
希未は志乃の誕生日を祝う。
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