第23話

 自分にとって成海志乃は何なのだろうと、遠坂希未は考える。


 以前、仕事で意見が衝突した際、かつての『推し』だった天羽晶よりも志乃を無意識に選んでいた――それに気づいたことが、きっかけだった。

 偶然の出会いから、心の内を曝け出していた。だから、志乃は仕事のパートナーであると同時に『理解者』でもあった。

 そのうえで適度な距離を保たれることを、希未は期待していた。少しの助言を貰えるだけで充分だった。

 だが、想像以上に志乃が寄り添ってきた。仕事外で食事に出かけるのは『友達』と呼べる仲だ。希未としても、一緒に居て楽しかった。気兼ねなく接することが出来た。

 そして、天羽晶がゲストを呼ばない理由を知った際は、行き場の無い悔しさに苦しみ――志乃が代わりに涙を流した。

 一緒に笑うだけでなく、一緒に泣く間柄にもなっていた。さらに、志乃に艷やかさを覚え、彼女の言動にドキドキした。純粋に、一緒に居たいとも思う。

 振り返れば、この頃から希未は志乃に『友達』以上の絆を感じていた。ただ心地良く、より求めた結果があの選択に繋がったのだろう。


 志乃と一緒に居ると充実感があり、毎日が活き活きとしている。仕事が楽しく、やり甲斐を感じているのは久々だった。

 そう。希未は志乃がかつての天羽晶の『代わりとなる存在』だと理解しようとして――それは違うと思った。

 晶から『与えられる』立場だったが、志乃とは『共有』だ。あくまでも『対等』のうえでの充実感だ。

 そして、晶に対しては無くて、志乃に対しては有るモノ。この感情に、ある予感が芽生える。

 だが、受け入れられなかった。


 志乃が同性だからだ。

 過去より客観的には理解しているつもりだったが、いざ主観に回ろうとすると戸惑った。

 この気持ちは本物なのだろうか。一時の気の迷いではないだろうか。かといって、これまでの『過程』を無かったことにしたくはない。志乃は確かに大切な存在だ。

 希未は肯定したいのか否定したいのかすら、わからなかった。どうしても掴み取りたいわけではない。違っていても構わない。強いて言えば、まだ様子を見たい。

 それに――自分にとっての『幸せ』が何であるのか、未だに答えを得ていない。この充実感が『幸せ』であるのかも、わからない。そうだとしても、志乃は本当に必要なのだろうか。

 いや、それらは言い訳に過ぎない。同性である以上、希未は何よりも、志乃に拒まれることを最も恐れていた。天羽晶と澄川姫奈のように、上手くいくとは限らない。

 そう。現在最も大切なことは、この関係の維持だ。だから希未は深く考えることをやめ、自然に接することを選んだ。これで充分だと、自らに言い聞かせた。まだ『疑惑』であるため、切なさに苦しむことは無かった。


「のんちゃん……大丈夫?」

「はい。ギリギリ動けます」


 会計を済ませ、希未は志乃とラウンジを出た。

 志乃は顔色がやや悪い。希未もまた腹がたまらなく苦しいが、血糖値の上昇を抑えるためにも軽く動いておきたい。

 九十分のビュッフェを終え、時刻は午後一時半だった。希未はこの後のことを、特に考えていなかった。

 ひとまずエントランスへ戻ると、志乃がエレベーターに向かった。どこへ行くつもりだろうと、希未は首を傾げる。


「敵情視察するんでしょ?」


 フロア案内の前で、志乃が振り返る。

 そういえばそのような体裁だったと、希未は思い出した。


「なんかもう、ありえない構造ですね」


 希未も案内を眺めると、このホテルは三十七階建てだった。二十四階以上が客室となる。

 六階に式場とスパ、そして披露宴会場と思わしきものが二階から四階にかけて、他の設備と共に散らばっている。新郎新婦専用のエレベーターがあるのかもしれないが、それでも希未は頭が痛くなった。一般客と出くわす可能性が、充分に考えられる。


「ふふっ。手厳しいわね」

「いやー。普通のホテルは、どこもこんな感じだと思いますよ」


 結婚式に特化した自分達のホテルが異常なのだと、希未は考えを改めた。


「とりあえず、チャペル見に行かない?」


 志乃が笑顔で提案する。どこかソワソワした様子だった。

 このような高級ホテルだからだろう。単純に志乃自身が興味を示しているように、希未には見えた。


「いいですよ」


 希未は頷くも、教会には期待していなかった。

 ふたりでエレベーターに乗り、六階まで上がる。そもそも教会を見ることが出来るのかと希未は思っていたが、その『部屋』は扉が開き、解放されていた。入口から中を覗く。

 白いバージンロードの両脇に長椅子が並べられ、奥には十字架の載った祭壇がある。白を基調とした綺麗すぎる空間は天井が低く、希未には強い違和感があった。

 これは教会ではない。教会の内部を模した『紛い物』に過ぎない。希未が思っていた通り、ホテルウェディングでの一般的な光景だ。


「うーん……。チャペルはウチが勝ってるわね」


 志乃も期待外れだったようで、苦笑しながら小声を漏らした。

 タイミングとして、同じくイチゴビュッフェの客だったのだろうか。教会内には他にも、希未達と歳の近そうな女性ふたりが、先客として内覧していた。彼女達を気遣っているようだ。

 希未としても、同じ意見だった。宗教様式が全く同じであるため、比較は容易だ。それに、ここのゲスト収容人数は八十名ほどだろう。内装や雰囲気だけでなく、単純な広さも――教会に限っては、自分達の勤務地の方が遥かに優れている。おそらく、誰が比較しても同じ意見だと思った。


「でも……披露宴会場と料理は、たぶん勝てません」


 そのふたつは高級ホテルの強みだ。希未は実際に目にしなくとも、先ほどのイチゴビュッフェで敗北を確信した。

 可能な限り都合よく考えれば、一長一短と言える。挙式に限ってはここよりも満足させられる自信が、希未にはある。

 だが現実的には――挙式よりも披露宴の時間が一般的には長く、打ち合わせや費用面でも多く必要だ。また、どちらかというと後者をメインに考えている顧客も、希未は多く感じる。それに『知名度のある高級ホテルで式と披露宴を執り行った』という実績は、今後の人生で誇れるものだ。

 それらを考えると、希未は引き分けと思えなかった。悔しいが、このホテルの婚礼事業は間違っていないと、納得した。


「そうかもしれないけど、スタッフの質はウチらの方が絶対に上よ」


 希未はにこやかな志乃から、腕を掴まれた。そして、奥へと歩いていく。

 突然の行動に、希未は驚いた。

 志乃にとっては、折角だから見ておきたいといった、何気ない行動なのだろう。だが、希未は――いくらこの式場を見下しているとはいえ、ふたりでバージンロードを歩くという行為を意識してしまう。

 普段、職場で教会内を歩くのとは違い、なんだか新鮮だった。天羽晶と澄川姫奈も、この視点で歩くのだと思った。

 やがて、奥の祭壇にたどり着く。十字架を前に、希未はドキドキした。しかし、かろうじて冷静だった。


「たぶん、もうちょっとしたらプランナーがやって来ます」


 廊下に居たホテル従業員から、ここに入っていく姿を見られていた。おそらく婚礼課に連絡がいき、営業が訪れる。いや、先客が居たことから、既に連絡がいった後なのかもしれない。

 どちらにせよ面倒になりそうだと、希未は思った。なるべく早く立ち去りたいところだ。


「私達が結婚しますって言えば、どうなるかしら」


 志乃は相変わらず、にこやかだった。

 もしもここのウェディングプランナーが訪れたとしても、きっと『新婦とその友人』として捉えるはずだ。先客のふたりも、そうに違いない。だが、同性婚の当事者ふたりだとすれば、どのような反応を示すだろうか――志乃の言いたいことを、希未は理解した。


「冗談でも、そういうのはちょっと……」


 希未は想像するよりも、そう漏らして視線を落とした。

 婚礼業に従ずる人間として、軽々しく口にしてはいけない。実際に扱っているのだから、なおさらだ。

 しかし希未は、それとは別の意味で悲しかった。意外にも嬉しさや恥ずかしさは無く、気持ちを踏みにじられたように感じた。


「ごめんなさい、のんちゃん。私、浅はかだったわね」

「いえ。その……次からは気をつけてください」


 志乃の重い声が聞こえ、希未は慌てて擁護した。落ち込むほどでなくとも、反省の念を見せてくれるだけで充分だった。


「そういえば……成海さんが以前勤めていたチャペルは、どんな感じだったんですか?」


 希未は話題を変えようとして、咄嗟に出たのがそれだった。

 先ほどの様子から、志乃がこれまで一般的なホテルウェディングに、あまり――或いは全く縁が無かったように感じた。だから、純粋に気になったまでだ。


「こじんまりしたゲストハウスよ。ガーデンが綺麗で、そこで式も挙げれたし……離れに、ちっちゃいチャペルもあったわ」


 扉へと振り返った志乃が、ゆっくりと話す。

 その言葉に、のどかなイメージが希未に浮かぶ。志乃にぴったりな場所とさえ思った。

 だが、希未も振り返って志乃を見上げると、どこか遠くを見るような目をしていた。なんだか物寂しい横顔だった。

 ここでようやく、志乃の過去に初めて触れたのだと理解した。以前までは敢えて避けていたが、何気なく踏み込んでしまった。


「へぇ。良い所っぽいですね」


 あたしも行ってみたいです――とは言えなかった。

 まだ触れてはいけなかったと、希未は少し後悔した。否、いつになれば触れていいのかすら、わからない。

 とはいえ、偶然に近いかたちでも、志乃の過去をひとつ知ることができたことは嬉しかった。話した内容自体は、嘘ではないだろう。

 どうして転職したのか。どうして結婚に良いイメージを持っていないのか。どうして花が好きではないのか。

 それらの疑問は、まだ残る。希未は志乃を理解したいのに――訊ねられる気がしなかった。この様子から、きっと志乃は触れて欲しくないのだろう。

 希未は複雑な気分になった末、ある疑問に辿り着く。


 果たして志乃は今、幸せなのだろうか。


「そろそろ行きましょうか」

「は、はい」


 志乃が扉を指差し、ウェディングプランナーがやってくる前にふたりで教会を出た。

 入った際は腕を掴まれて一緒に歩いたが――出る際は、希未は志乃の数歩後を歩いた。追いつけなかった。

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