第27話

 三月八日、金曜日。

 午後八時に希未は仕事を終えた。ロッカーから、小さなショップバッグを取り出す。中には、休日だった昨日に購入したものが入っている。

 そして冷蔵庫から取り出した、昼間にラウンジで購入したケーキの入った箱を手に、ホテルを出た。携帯電話で成海志乃に電話をする。


「もしもし、成海さん。今から向かいますね」

『ええ。待ってるわね』


 希未はそれだけを伝えると、電車の駅へと歩いた。

 今日は志乃の、三十二歳の誕生日だ。希未は約三週間前に知り、祝うことを約束した。しかし、仕事上がりの時間を合わせることが困難であるため、外食みせの予約はしていない。結局は、プレゼントを用意しただけだった。

 それに、明日は先勝の土曜日だ。希未が担当する式は無いものの、志乃は朝早くから忙しい。希未は今夜、志乃にプレゼントを渡し――なるべく早くに去るつもりだ。

 日中、仕事の合間に渡すことも考えた。だが、志乃への想いを込めたプレゼントを、丁寧に渡したい。

 希未は電車の窓から街の夜景をぼんやりと眺めながら、ショップバッグの取っ手を力強く握った。


 午後八時四十分頃、希未は志乃のマンションに到着した。

 エントランスのインターホンで連絡し、四階の部屋に上がる。


「いらっしゃい」

「お疲れさまです、成海さん。誕生日、おめでとうございます!」


 希未は玄関で志乃の顔を見るや、まずは祝った。

 今日も日中にフラワーサロンを何度か訪れたが、志乃が周りから祝われている様子は無かった。おそらく、今日が誕生日だということを周りは知らないのだろう。志乃が言いふらすとも思えない。だから希未は、日中はこっそり祝うに留めておいた。


「ふふっ、ありがとう。それじゃあ、お肉焼くわね」


 志乃がエプロン姿だと、希未は気づく。


「もうっ。明日早いんですから……先に食べておいてくださいって、言ったじゃないですか」

「誕生日にひとりぼっちのディナーなんて、嫌よ。それに、のんちゃんがせっかく来てくれるんだもの」


 そういうことなら、仕事を途中で投げ出しても定時で上がったのに。レストランの予約もしたのに。

 希未はそのように思うが、口に出すのはやめておいた。志乃の気遣いに、素直に感謝した。


「これ、冷蔵庫にお願いします。後で食べましょう」


 ケーキの入った箱を、志乃に渡す。

 そして、もう志乃に見られているだろうが――プレゼントの入ったショップバッグは、鞄の影に隠した。


 リビングでルルに構っていると、肉の焼ける豪勢な音が聞こえ、香ばしい匂いが漂ってきた。

 やがて、ダイニングテーブルにステーキの載った皿がふたつ運ばれた。志乃はさらに、赤ワインのボトルを開けた。


「それじゃあ、食べましょうか」

「何だかすいません……本当に」


 希未はテーブルに志乃と向かい合って座り、ワイングラスで乾杯した。

 ステーキは溢れる肉汁や盛り付け等、外観は披露宴しごとで普段見ているものと遜色無かった。


「うわぁ。柔らかくて、超美味しいです」

「表面は強火でさっと焼いて、内側は予熱を通すのが良いのよ」


 志乃の言っていることが希未にはよくわからないが、焼き加減が絶妙だと感じた。スパイスとオニオンソースの味付けも良く、ワインが進む。味も遜色無いだろう。

 もしかすれば、値の張る肉なのだろうか。ふとそう思い、祝いに訪れたのにもてなされていると、今さらながら少し情けなかった。


「バレンタインの時……ひとりぼっちじゃないって、のんちゃん言ってくれたじゃない? あれ、とっても嬉しかったのよ」


 軽い酩酊状態なのだろうか。少し紅潮した志乃が、ワイングラスを手にぽつりと漏らす。

 確かに、そのように言った記憶が希未にはあった。本心であり、その気持は今も変わらない。


「はい。あたしでよければ、傍に居ますよ」


 とはいえ、このもてなしといい、志乃が露骨に孤独を避けている――いや、嫌っているようにも感じた。希未は志乃に寂しがりやという印象を持っていないため、意外だった。

 しかし、こうして求められることに、悪い気はしなかった。


 夕飯をもてなして貰った礼、というより申し訳無さがあり、片付けは希未が行った。

 そして、ケーキと紅茶をふたつずつ、リビングへと運ぶ。志乃がソファーで、ルルとくつろいでいた。


「このケーキ、ウチのやつです。美味しいですよ」

「へぇ。ありがとう」


 イチゴのショートケーキだ。少なくとも、街のケーキ屋以上の味であると、希未は自信があった。

 ふと、自身の誕生日を思い出す。近年は誰かに祝って貰った記憶が無い。ひとりで少し値の張る夕飯と、このように職場のケーキを食べるぐらいだ。

 夕飯はまだしも、ひとりきりの自宅でケーキを食べることに、虚しさを感じていた。


「ケーキは誰かと食べると、美味しいですね」


 だが、客側の希未も不思議と満たされていた。誕生日にひとりではないだけで、こうも違うのかと、志乃の言い分に納得する。

 だから、自分の誕生日の時も、志乃が傍に居て欲しいと思う。


「ひとりで欲張るのも、あたしはアリですけど」

「もうっ。のんちゃんったら」


 しかし、その気持ちを言えずに、誤魔化した。

 志乃ならきっと応えてくれるはずだ。それでも、今夜だけは『弱さ』を見せて縋りたくなかった。


 ふたりでケーキを平らげると、希未は食器を片付けた。

 キッチンからリビングに戻る際、鞄の影からショップバッグを手に取った。


「最後になりましたけど……あたしからの誕生日プレゼントです。受け取ってください」


 希未はショップバッグから、リボンで装飾されたドーム状のガラス容器を取り出す。片手で持てるほどの大きさだが、両手で丁寧に抱えた。

 容器の中には、ピンク色をした大輪の花が入っていた。ガーベラのブリザードフラワーだ。

 希未は花言葉を調べたところ、ピンクのガーベラは『感謝』を意味するらしい。また、ブリザードフラワーなので香りは無く、容器に入っていることからルルが誤って口にすることも無い。そして、何より――


「あたしは、成海さんのお花のセンスが好きです。だから、仕事以外でも……お花を好きになってくれませんか?」


 その想いを込めて選んだのであった。

 どこか物寂しいこの部屋に彩りを与えるため、まずは志乃が花を向き合わなければいけない。

 志乃の――おそらく触れて欲しくないであろう部分であると、理解している。事情を知らないのに、自分勝手な押し付けをしている自覚がある。

 それでも、希未は志乃に対する気持ちを素直に伝えた。


「のんちゃん……」


 志乃は不安そうな目でガーベラを見つめた後、希未に微笑んだ。


「すぐに気持ちが変わるかは、正直わからないわ。でも、のんちゃんがそう言ってくれるなら……前向きに考えてみようかしら」


 差し出されたガーベラを、志乃は受け取った。

 希未は、この場で拒まれる可能性を覚悟していた。だが、こうして志乃の手に渡り、ひとまず胸を撫で下ろした。


「あら……これ」


 ガラス容器を眺めていた志乃が、ふと気づく。


「はい。それだけじゃありません」


 希未は志乃の隣に座ると、ガラス容器を一旦取り上げた。ドーム状の蓋を開ける。

 容器の底には、ひとつの小さな指輪が置かていた。否、希未が事前に添えたものだ。それを取り出し、志乃の右手に触れる。


「がんばりやさんな成海さんの手が、ちょっとは華やいでもいいと思うんですよ」


 希未は普段使いを意識し、シンプルなデザインのピンキーリングを選んだ。イエローゴールドのそれを、志乃の小指に嵌めた。何度か手を繋いだことがあるので、その記憶でサイズを選んだが、ちょうどよかった。

 志乃の手に彩りを与えるだけではない。右手小指の指輪は、幸福を呼ぶと言われている。


「ありがとう、のんちゃん……。とっても嬉しいわ。最高の誕生日よ」


 志乃は右手を立て、うっとりと眺めた。

 肌馴染みが良く、希未の目からも似合っているように見えた。


「喜んで貰えて、良かったです」

「それにしても、お花に指輪のサプライズって……なんだかプロポーズみたいね」

「しょ、職業柄ですよ……たぶん」


 希未も薄々はそのように感じていたが、いざ言われると恥ずかしかった。


「私ね、プロポーズされるのは、これで二回目なの」


 だから、プロポーズじゃありませんって――希未は反射的にそう言いかけて、理解が追いついた。

 志乃の何気ない言葉だった。志乃自身も、何気なく微笑んでいる。

 だが、これまで伏せられていた、彼女の過去だ。


「成海さん?」


 その事実自体は、希未にとってどうでもいい。問題は、それに対して志乃がどう答えたかだ。

 二択のどちらかだが――希未は嫌な予感がした。不安な目で志乃を眺めていた。

 志乃は右手を膝に下ろした。


「のんちゃん……これまで黙っていて、ごめんなさい。私、結婚してるの」



(第09章『想いを込めて』 完)


次回 第10章『悔やまないために』

希未は志乃の過去を知る。

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