第21話
午後九時過ぎ、希未は仕事を終えた。本来ならもっと早くに片付く分量だったが、集中できずに捗らなかった。
ブライダルサロンを出るも、帰宅せずに大浴場へと向かった。
衣服を脱ぎ、サウナに入る。他に誰も居ない、ひとりきりの狭い空間で――希未は定位置に腰を下ろした。
テレビには目も耳を貸さず、ぼんやりと虚空を眺めた。
希未は未だに頭がモヤモヤしていた。夕方に、成海志乃と揉めた一件だ。まだ数時間しか過ぎていないが、教会で別れて以来、志乃と会うことも話すことも無かった。
志乃に対して、思うことはある。しかし、このまま放っておいてはいけない。仕事への支障だけでなく――単純に、仲直りしたかった。
管理者と職人の立場である以上、折れなければいけないのは前者である自分だと理解している。志乃の言っていた『縁起が悪い』も、落ち着いた今でなら納得できる。
志乃に頭を下げて謝罪する準備なら、出来ていた。
ただ、どうしてあそこまでムキになって食い下がらなかったのか、自分の言動が解せなかった。
希未は熱気に満たされた空間で、その理由を考えた。
サウナに入ること、約十分。
ふと扉が開き、希未は汗だらけの顔を上げた。
「……」
頭と身体にタオルを巻いた志乃が、無言で立っていた。胸元のタオルの縁に手指を引っ掛けながら、不機嫌な表情で希未を見下ろしていた。
夕方と同じだった。希未は気まずさも含め、嫌な気分で俯いた。謝罪の準備は出来ているつもりだったが、いざ本人を目の前にすると戸惑った。のぼせ気味でもあるため、ひとまずこの場を立ち去りたいぐらいだった。
だが、どうしてわざわざここを訪れたのか、理由がわからなかった。会いに来たのは明白だ。怒った様子から、口論の続きでもするつもりだろうかと、希未は思った。
志乃はふと、希未の隣に座った。
あれだけの口論を繰り広げておきながら、どうして隣なのだろう。希未は距離を取られると思っていたので、意外だった。
そして、気まずさが一層強くなった。だが、この状況では余計に逃げられないため――観念する意味で、溜め息をついた。
「あたし、嫌だったんですよ……。成海さんがせっかく考えて、準備してくれたのに……びっくりするほどあっさり、ボツになって」
希未は俯いたまま、謝罪よりも先ず言い訳をした。
全身から汗を流しながら、その理由にたどり着いた。アイデアとして素晴らしいと感じたのは事実だ。だから、アイデア自体と志乃本人と肯定したかったのだ――たとえ、志乃の意見と衝突しようとも。
「違うでしょ? 優先するべきは、私じゃなくて……お客さんよね?」
志乃の呆れるような、訴えかけるような声が、希未の耳に届いた。ウェディングプランナーとして、正論にしか聞こえない。
「はい。あたしが間違ってました……。すいませんでした」
希未はようやく顔を上げ、志乃に頭を下げた。
あの時は冷静さを欠いていただけではない。管理者としての判断能力も、著しく低下していた。職人である志乃の意見が限りなく正しいため、素直に受け止めるべきだった。
いくら志乃と仲良くしたいからといって、公私混同の域に入っていたと希未は思う。無条件に肩を持つばかりでなく、仕事としては時に否定することも必要だ。
「わかればよろしい」
志乃は腕を組み、引き締まった態度で話を切り上げた。そして、希未に微笑みかけた。
「でも、ありがとう……。のんちゃんにそう言って貰えると、報われたっていうか……頑張った甲斐あったわ」
たとえ一本だけでも、試行のために特別な造花を用意した本人が、誰よりも残念だったに違いない。辛さも含め険しい様子だったのかと、希未は思った。
確かに、自分の言動は間違っていた。だが、こうして感謝される一面もあると、少しは嬉しかった。自然と笑みが漏れた。
「次からは、気をつけます」
モヤモヤしていた気持ちが、ようやく晴れた。志乃との一件が思っていたよりも早く片付き、ひとまず安心した。
「ええ。それじゃあ……別の作戦、練りましょうか」
どうやら、ここでこのまま会議を始めるらしい。確かに、早々に切り替えるべきだと希未は思うが、この空間に居続けるのが限界を迎えていた。
「すいません。その前に、ちょっと身体を整えてきます」
希未は立ち上がり、サウナを一度出る。シャワーでさっと汗を落とした後、水風呂に入った。独特の快感と共に、頭が覚めたような気もした。
会議と言えば大袈裟だが、そもそもサウナで仕事を話をしていいのだろうか。いや、密室かつ時間制限が設けられた空間のため、合理的なのかもしれない。
そのように考えながら、先の出来事を振り返っていると――天羽晶より成海志乃を選んだのだと、ふと気づいた。無条件で志乃を肯定するということは、即ちそれを意味する。
無意識下での言動に、希未は静かに驚いた。少し以前までなら、考えられないことだ。
そう。かつての『推し』よりも、仕事のパートナーを優先したのだ。天羽晶がどうでもいいわけではない。これまで世話になった恩人であることに違いない。顧客の目線で考えることを怠ったわけでもない。
それ以上に、何らかの心変りがあったことになる。その正体は、わからなかった。
水風呂に入って約一分。希未は冷たさを覚えた頃、再びサウナへと向かった。
志乃の隣に座る。
「おかえり。ちょっとベタかもしれないけれど……バージンロードに花びらを散らせておくのは、どうかしら?」
志乃の首筋から胸元にかけて流れ落ちる汗と、組んだ脚の素肌が、希未にはとても艶かしく見えた。横目で見ていると、ドキドキして落ち着かなかった。
「ちょっと、のんちゃん――聞いてる? 生の花びらを事前に撒いても、大丈夫なの?」
「ひゃ!?」
志乃から太ももを触られ、希未は思わずおかしな声が漏れた。その様子に、志乃が首を傾げる。
ここでようやく、希未は言葉の内容を理解した。至って真面目な、仕事の話だ。聞いていなければ、再び志乃の機嫌を損ねるだろう。ぼんやりしていたことが、情けなかった。
「はい。大丈夫です」
バージンロードを汚す可能性があるため、造花の花びら以外を断る式場があると、希未は聞いたことがある。しかし、このホテルはフラワーシャワーを含め、可能だ。
志乃の提案に『フラワーシャワー後のバージンロード』を想像したが、少し違うと理解した。他者から与えられる祝福ではなく、あくまでもバージンロードを彩る演出だ。また、歩くふたりの花びらを踏みつける機会が、必然的に増す。だから確認したのだと、志乃の意図を察した。
「やるなら、赤いバラの花びらですか?」
希未は解釈を確認する意味で、訊ねた。フラワーシャワーの定番としては――プロポーズの花でもあるそれが、選ばれることが多い。
「ううん……。白とピンクのアネモネがいいと思うの」
やはり、違うようだ。
聞いたことのある名前だが、希未は恥ずかしながら、どのような花なのか知らなかった。
「どっちも花言葉が『希望』だから、ふたりの歩く道にぴったりだと思って」
「なるほど。最高に素敵じゃないですか」
希未は花の姿形が浮かばずとも、象徴のアイテムとして最適だと思った。他者からの祝福を拒むふたりには、とても合っている。逆に、フラワーシャワーには不向きだろう。
「これなら、自信を持って提案できますね」
この案件に限らずとも、フラワーシャワーを行わないカップルに提案できる。それほどまでに、汎用性が高いと感じた。
志乃がこの案件のために、一度は取り下げたものの――これだけ素晴らしいアイデアを再び出してくれたことが、希未は嬉しかった。両新婦の喜ぶ姿が、目に浮かぶ。きっと採用してくれるだろう。
そして、それ以上に、志乃のセンスに感心した。ブーケに始まり、顧客に見合うものを確実に捉えている。業種こそ違うが、同じブライダル業界で働く身として、尊敬する。
いや、憧れる。
「ええ。見積もり出しておくわね」
「ありがとうございます」
近頃の充実感は、天羽晶を顧客として扱うだけでもなく、初めて同性婚を扱うだけでもなく――やはり、志乃と仕事をしていることが大きいと、希未は気づいた。
天羽晶と向き合うことに戸惑っていたところ、背中を押してくれた。それだけでなく、支えてくれている。何もかもを頼るつもりはないが、これからも一緒に仕事をしたいと思う。
「無茶振りしましたけど……ここまで考えてくれて、どう感謝していいのやら」
「もうっ。そういうの、やめてよ。のんちゃんのためだもの……」
希未は志乃と、汗を流しながら笑いあった。
この仕事に対して思うことがあったが、今はただただ楽しかった。
もしかすれば、他者の幸せに堂々と触れることが出来るかもしれない――他者の幸せを心から祝えるかもしれない。そう予感した。
(第07章『ケンカと心変り』 完)
次回 第08章『幸せのかたち』
希未は志乃とイチゴビュッフェに行く。
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