第20話
午後二時から、希未は天羽晶と澄川姫奈の、三度目のドレスの打ち合わせがあった。
とはいえ、確認程度だった。本人達はこれまで撮り合った写真を参考に一週間悩み、決めていたようだ。
ウェディングドレスと前撮りのカラードレスをそれぞれ着て、スタッフ向け資料としての写真を撮った。前者はティアラを冠るが、後者は生花のヘアアレンジを希望している。今日は成海志乃も同席し、実際の格好を見たうえで、およそのイメージを提案した。ふたりに承諾され、話はまとまった。
午後四時半に打ち合わせが無事終わり、希未は他のスタッフと共にふたりを見送った。ドレスと髪型に関することが、予定通り三度の打ち合わせで全て決まり、ひとまず安心した。
「のんちゃん、ちょっといいかしら?」
だが、希未は一息つく間も無く、志乃に十五階の教会へ連れて行かれた。
二月も後半に差し掛かるが、この時間はまだ――ガラス屋根から見える空は暗い。フロアの室内灯の他、教会自体がライトアップされている。
志乃は教会内へと入り、希未も続いた。淡い光が灯り、日中とは雰囲気が違った。
「実験に付き合ってくれない?」
志乃が聖具室から、ひとつの花を持ってきた。とても不格好な、赤い花だ。
「なんですか? それ」
「造花よ。普通は、花びらを雌しべに糸で縫い付けてから、ボンドで固めるんだけど……これはボンドで強引に形作っただけ。しかも、ボンドを塗ってまだ五時間だから、生乾きね」
だからそのように不格好な花なのだと、希未は理解する。しかし、実験の意図がわからなかった。
志乃は花を教会中程の長椅子に、レースのリボンで固定した。ちょうどバージンロードを歩く際、向かって両端に位置する箇所だ。一本だけだが、一般的な装花のつもりなのだろう。
「ふたりで歩いた時に、花びらがちゃんと落ちるかの実験よ」
「なるほど。そういうことですか……」
敢えて花びらが落ちやすいように造った理由を、希未は察した。
入場からになるが――頭上ではなく腰の位置からになるが、いわば擬似的なフラワーシャワーだ。この花でバージンロードを囲み、歩く度に花びらが舞い落ちる演出が理想なのだろう。
ゲストが誰ひとり居ないことが前提の、演出だった。
そう。以前から志乃に頼んでいた、天羽晶と澄川姫奈の挙式向けだ。希未には無理難題を振った自覚があったが、こうして案が挙がり、嬉しかった。
「さあ、歩いてみましょ」
志乃が慎重に花から離れると、扉の前に立った。そして腕を折り曲げ、笑顔で肘を差し出している。
希未はなんだか以前も同じ姿を見たような気がしたが、今回は内心でドキドキした。戸惑いを誤魔化す意味で、半眼を向けた。
「一緒に足を動かせばいいだけですよね」
結局は、女性ふたりが歩く衝撃での検証となる。必ずしも腕を組む必要は無い。
希未は仕方なく、志乃の隣に立った。
「いきますよ。せーの」
掛け声と共に、並んで歩き出した。志乃の歩調に合わせる他、踏み込みに力を入れず自然に歩くことを意識した。
やがて、花の側を通り過ぎ――視界の隅で、布製の花びらがヒラヒラと落ちたのが見えた。
「へぇ。意外と落ちるものですね」
ふたりで立ち止まり、振り返る。全ての花びらが落ちたわけではないが、往復を考えると丁度いいと言える。
狙い通りの結果に、希未は満足した。だがすぐに、自分の体重が関係あるのかと疑った。
恥ずかしそうに志乃を見上げると、何やら神妙な面持ちで、バージンロードに落ちた花びらを眺めていた。
「――ダメね、これ」
そして、あっさりと否定した。
実験は成功だ。いったい何がいけないのか、希未にはわからない。ただ、志乃の釈然としない様子に、職人気質な一面を感じた。
「想像が足りなかったわ。花びらが落ちるのは……縁起が悪いわね」
その理由に、希未は納得した。
花びら自体を投げかけるフラワーシャワーと違い、花びらが雌しべから剥がれ落ちる様は――即ち、枯れ落ちることを意味する。確かに、結婚式という門出の場には相応しくないかもしれない。
とはいえ、希未は解釈の問題だと思った。
「そうかもしれませんけど……これが続いたら超綺麗だと、あたしは思います」
一本だけでの実験だが、もしも全ての長椅子に備えられていたら――十一メートルのバージンロードを歩いた際にどうなるのか、想像した。きっと、縁起が悪いと感じる余裕すら無いほど、美しい雰囲気に浸ることが出来るだろう。
重い花びらが真っ直ぐ落ちるのではなく、軽い布製が舞い落ちる。それに、可能かはわからないが、一部の花びらのみ剥がれるようにすれば、縁起の悪さも和らぐはずだ。
何にしても良いアイデアだと、希未は思った。
「ダメよ。こんなの、提案できない」
だが、志乃は険しい表情で否定する。
「提案すらしないんですか? 決めるのは、天羽さんと澄川さんですよ?」
当事者ふたりに断られたなら、希未はまだ納得できるだろう。選択肢として差し出すこともないのは、何か違うと思った。
「ええ。縁起が悪いことを提案するのは、失礼よ」
「縁起が悪いかも……おふたりがどう感じるかなんて、わからないじゃないですか。もし気まずくなったら、あたしが謝ります」
やはりそのように解釈する志乃に、希未は反論した。
志乃の表情は、相変わらず険しい。聞く耳を持たない様子だった。
このような志乃を、希未は初めて見た。戸惑うが――志乃の瞳を真っ直ぐ見据えた。
「謝ればいいってものじゃないの。お客様をちょっとでも不快にさせちゃ、いけないのよ。お願いだから、のんちゃん冷静になって……私のセンスを信じて」
志乃からどこか憐れむような目を向けられる。
希未はその態度よりも、言葉の内容が引っかかった。確かに、フラワーコーディネーターである志乃の方が、花に関する感性は優れているだろう。だからといって、必ずしも正しいとは限らない。他者の意見を無条件で拒む理由にはならない。
それに、希未はこれまで花に一切触れていないわけではない。ウェディングプランナーとして六年のキャリアで、式でも披露宴でも、花を散々見てきた。そのうえでの意見だ。志乃の言い草では、それを否定しているかのようで――悲しかった。
「
冷静さを欠いてる自覚が、希未にはあった。ここで感情的になり立場を持ち出すことは、悪手だと思った。それほどまでに、自身を抑えられなかった。
志乃から口出しを許されず、そしてキャリアを否定され――もはや何に対して怒っているのか、わからなかった。論点が何なのか、着地点はどこなのか、それすらも見えなかった。
血の上った頭では何も考えられず、ただ志乃を睨みつけた。
そんな希未を志乃は不機嫌な表情で見下ろし、大きく溜め息をついた。
「なによ……。もう、好きにすればいいじゃない。私は知らないから」
そして、そのように言い残し、教会を出ていった。
希未は拳を握りながら、立ち去る背中を眺めた。
「成海さんの、バカ」
ひとりきりになった教会で、希未はぽつりと漏らす。
まだ怒りは収まらないが、志乃と初めて意見が対立したのだと、ようやく理解した。
自分の言い分が間違っているとは思えない。非が無いはずだ。だが、心の中で何かが引っかかっていた。モヤモヤしているのは、怒りだけのせいではない。
希未は長椅子に固定されたままの不格好な造花を見下ろし、奥歯を噛み締めた。
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