第17話

 二月十二日、火曜日。

 午後二時過ぎ、希未はドレスサロンに足を運んだ。一角にある広い試着室へと向かう。


「重いし、バカみたいに締め付けられるし……もうちょっと何とかならないものか……」

「何言ってるんですか! せっかく綺麗なんですから、しゃんとしてください!」


 純白のウェディングドレスを試着した天羽晶が苦しそうな表情を浮かべ、猫背で立っていた。正面では半裸姿の澄川姫奈が、携帯電話で写真を撮りながら叱っている。

 その様子を眺め、まるで母娘のようだと希未は思った。


「こんにちは。お世話になっております。どうですか? お決まりになりそうですか?」


 苦笑しながら挨拶をすると、ふたりから会釈された。

 そう。今日はふたりの、二度目の衣装の打ち合わせだった。


「なんかもう、軽いやつなら何でもいいような気がしてきた……」


 晶はどうやら、着心地であまり乗り気でないようだった。一度目からそうだったが、想像と違っていたらしい。

 一般的なウェディングドレスは三から四キロの重さがある。そのうえ、くびれが締め付けられる構造であり、立っているだけでも息苦しい。希未は過去、研修の一環として着た経験があった。事前に慣らしておかなければ、まともに動けないほどだ。

 新婦はさらに重さ三キロのブーケを持つのだから、女性にとって結婚式はとても過酷な儀式だと思う。


「ダメですよ。ちゃんと似合うやつにしないと」


 次はブライダルインナー姿の姫奈が、ドレスコーディネーターから着せられた。

 新婦ふたりで試着する光景を、希未は初めて見た。ドレスコーディネーターも三人が付き添っている。同性婚ならではであるため、新鮮だった。

 純白のウェディングドレスといっても一概ではなく、デザインや刺繍の柄、シルエットや雰囲気等で様々だ。人によって似合うものと似合わないものは、確実に存在する。中でも、希未が個人的に気にかけている要素が――


「この前も言いましたけど、裾が控え目なやつでお願いしますね」


 バージンロードを歩く際の、裾の広がり方だった。これまで何度も実際の式を観てきた身として、値は張るが――豪華に広がるロングトレーンの後ろ姿は美しく映える。多くの新婦が憧れるひとつだ。

 ただし、それはタキシード姿の新郎と歩く場合である。ロングトレーンドレスの新婦ふたりが腕を組んでバージンロードを歩くことは、現実的に不可能だ。

 結婚式におけるウェディングドレス選びは心踊ると、希未は思う。しかし残念ながら、同性婚の場合は制限が課せられるのが実状だった。


「はい。逆に選択肢が狭まって、良かったかもしれません」


 姫奈が無邪気な笑みを見せた。

 物事をそのように捉えることが出来るポジティブな人間だと、希未は内心で讃えた。

 ドレスの打ち合わせ回数と共に、試着回数も必然的に定められている。気に入ったドレスが他の新婦が先に抑えている場合があり、タイミングにも左右される。その中で決めなければいけないのは、どの新婦も同じだ。ある程度の妥協も必要になるだろう。

 幸い、一度目の時点でふたりの候補は絞られているようだった。この様子ならば、予定通り次回には決まるだろうと希未は思った。


「おふたり共、とってもお似合いですよ」


 世辞ではく、本心だった。試着段階だがドレス姿のふたりは想像以上の美しさであり、素直に見惚れた。希未も私的に写真を撮りたいところだが、堪えた。

 希未の言葉に、ふたりが微笑む。


「あとは、花の方ですけど……」


 青色と橙色のブーケが事前に決まっているとはいえ、ふたり共やはり純白のドレスを選んだ。その代わり、前撮りのカラードレスは花によるヘアアレンジを希望した。

 ドレスと共に髪型も決まるため、フラワーコーディネーターも出来ればこの場で欲しいところだった。


「すいません。次は成海も来ますので」

「まあ……まだ決まってないんだから、今日は構わないだろ」


 しかし、都合がつかずに志乃は来れなかった。

 せめて本決まりの際は本人の目で確かめ、イメージを掴んで欲しいと、希未は思った。



   *



 二月十四日、木曜日。

 午前十一時に、希未は自宅であるワンルームマンションのベッドで目を覚ました。休日とはいえ、十時間ほども睡眠を取ったのは久々だった。身体が気だるく、頭はぼんやりとしている。

 それでも空腹を感じたので、白湯を飲んだ後、棚から買い置きのカップ麺を取り出した。部屋の中心に置かれたこたつのテーブルで、テレビのワイドショーを観ながら、それを食べた。

 今日は日頃の疲れを回復させることに努めるつもりだった。同時に、何もする気にはなれなかった。買い物やクリーニングの受け取り等、やらなければならないことはあるが。

 独身女性の休日はこういうものかと、ふと思う。否、以前までは確かにそうだった。

 先月、志乃と共にカフェで過ごした休日は――天羽晶に対する特別な事情こそあったものの、楽しかった。振り返ると、志乃とならどこかへ一緒に出かけたいと思う。


「どーして休日オフがズレるかなぁ」


 希未はベッドで横になり、不満を漏らした。

 シフトが似ていたが、ここ最近は先日のウェディングドレス試着といい、どうも合わないことが多い。

 申請はそれぞれが行った。休日が重なったことも重ならないことも、どちらも偶然だった。次からは合わせようかと思ったところ――あることに気づいた。


「成海さんのことばっかり考えてるじゃん、あたし」


 枕に顔を埋め、足をジタバタとさせる。仕事も休日も少しすれ違っただけで不満になった自分が、恥ずかしかった。

 希未にとって志乃は、仕事のパートナーだ。そして、仲の良い友達のような存在――とは少し違うと思った。

 出会った時点で、こちらの本音を包み隠さず話したからだろう。割と心の深いところまで触れらているが、不快ではなかった。それだけ気を許している自覚はある。年甲斐にもなくそのような存在が出来たことが、嬉しく思う。

 ただ、友達と呼ぶのには一方的だった。希未は志乃のことを、ほとんど知らない。特に、どうして結婚にも花にも否定的なのにフラワーコーディネーターという仕事をしているのか、疑問だった。

 かといって、こちらから志乃の深いところに触れるのは、なんだか気が引けた。

 希未はベッドで仰向けになる。

 志乃のことをばかり考えていたからだろう。何か忘れていることを、思い出しそうになったところ――携帯電話が鳴り響き、着信を告げた。驚いてベッドから起き上がる。

 志乃からの電話だった。仕事の急用かと思ったが、時刻は正午過ぎであり、あちらは昼休憩だと理解した。


『ちょっと、のんちゃん! 今日休みだなんて、聞いてなかったわよ!』


 希未は応えると、志乃にしては慌てた声だと思った。


「すいません。てっきり、シフト確認してたものだと……」

『大事なことなんだから、言っておいてよ! チョコ渡せないじゃない!』


 そういえばチョコレートを作ると言っていたことも、今日がバレンタイン当日だということも、希未は忘れていた。部署内の男性には昨日の内に市販のチョコレートを配ったので、終わった気でいたのであった。

 伝えなかったことも忘れていたことも、こちらに非がある。かといって、わざわざ電話するような用件かと思った。希未としては、貰えることは確かに嬉しい。しかし、翌日でも構わなかった。職場の冷蔵庫で保管しておけば、一日ぐらいなら保つはずだ。

 たかがチョコレートに、どうしてここまで熱が籠もるのだろう。

 とはいえ、怒り気味である志乃の声から、とても言える状況ではなかった。


『今日の帰り、のんちゃんの部屋まで持っていくからね!』

「え……」


 突然の言葉に、希未は理解が追いつかなかった。


『ついでに、ご飯も作ってあげる。どうせ、ろくなの食べてないんでしょ? 住所送っておいて』

「は、はい……。ありがとうございます」


 希未は流し台に置いたままのカップ麺の容器を眺めながら、棒読みで感謝した。そして、通話が終了してしばらくしてから、内容を理解した。

 志乃がこの部屋にやって来る。チョコレートを渡されるだけではなく、夕飯まで振る舞われる。

 ようやく目が覚めたような気がした。全く予想していなかった展開になり、驚いた。

 志乃の部屋にはもう二度ほど訪れているので、こちらに招かないわけにはいかない。しかし、志乃の部屋と違い――ここはどちらかというと散らかっている。さらに、希未自身は素っぴんの部屋着姿だ。

 急な訪問となり希未は焦るも、時間はまだあると自分を落ち着かせた。志乃の仕事帰りなので、早くても午後七時以降だろう。


「とりあえず、片付けよう……」


 部屋を見渡すと乗り気はしないが、腰を上げざるを得なかった。

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