第06章『たかがチョコレート』

第16話

 二月十一日、月曜日。

 世間は三連休の最終日だ。しかも先負であるため、午後からも――今日は式が一組も無かった。

 代わりに、内覧が四組あった。内一組を、希未が受け持っていた。


「こちらがチャペルになります。先ほどの控室から階を跨がない導線になっていますし、万が一雨が降っても心配ありません」


 午後二時頃、三十代の新郎新婦を十五階の中庭へと案内していた。全天候対応の天井を指さした後、教会へと入った。

 敢えて他の組とも時間を被らせたので仕方ないが、先客が一組居た。とはいえ特に問題無く、希未は会釈して自分の担当を案内した。

 天井の高い本格的な教会に――彼らも例に漏れず、圧倒されているようだった。バージンロードを歩きながら、手応えを感じた。

 祭壇にふたりを立たせ、式の進行をざっと説明した。そして客席を見渡した後、再びバージンロードを歩いた。


「フラワーシャワーがあると、とっても綺麗ですよ」


 白いバージンロードを歩く新郎新婦に花びらが舞い落ちる光景を、希未は何度も見てきた。腕を組んで歩く当人達の目にどのように映るのか、わからない。だが、端から見ていても、まさに祝福の象徴だった。

 バージンロードから、扉を出る。


「式が終われば、ブーケトスも出来ます。フラッシュモブが行われたこともありました」


 希未は中庭の広さを強調した。よほど大それたもので無い限り、大体の余興は可能だ。

 特にブーケトスはメジャーな演出であり、大抵のカップルが行っている。一般的には『幸せのお裾分け』の意味合いだが、希未は――主催がゲストのために金を払って行うことから『祝福の感謝』のように捉えていた。

 このような繋がりは、あくまでただの理想だ。誰かが強要するものでもなく、是非を問うものでもない。

 しかし、祝福も感謝も無い挙式が想像できなかった。否、想像したくなかった。

 三月三十一日に天羽晶と澄川姫奈は、一体どのような気持ちで教会を出るのだろう。一切の曇り無く、幸せに満たされているのだろうか。

 希未は内覧客を前に笑顔を浮かべながら、ふと思った。


 その後、六つある披露宴会場を順に案内した。

 内ひとつで他の組と合わさり、試食会が行われた。料理の都合で、こうして時間を合わせたのであった。

 今日の試食会は普段に比べ、量が少なめだった。というのも――


「さて。バレンタイン直前ということで……皆さんにはケーキのデコレーションをして頂きます。世界でひとつだけのケーキを、おふたりでお作りになってください」


 チーフの希未は四組の前に立ち、説明した。それぞれのテーブルに小さなスポンジケーキと、生クリームやチョコレートペン等のデコレーション食材が運ばれる。

 バレンタインフェアと称した、調理課からの図らいだ。この時期の定番イベントだった。

 希未は毎年、全く意味が無いように思っていた。披露宴のウェディングケーキに特注のデコレーションが施された前例が、無いわけではない。それでも極めて稀な事例であり、結婚式と披露宴の内覧という観点からは大きくかけ離れている。通常通り、ウェディングケーキを試食させるべきだと思う。

 だが、内覧客はそれぞれデコレーションを楽しんでいた。そして、出来上がったものを新婦が新郎に食べさせ、ファーストバイトの真似事をしていた。

 このイベントが契約の決め手になるとは到底思えない。しかし、ホテル側のもてなしとして、良い判断材料のひとつにはなっているのだろう。

 笑顔の溢れる不思議な光景が、希未はなんだか解せなかった。自分がもしも独身で無いのなら――せめてバレンタインに縁のある立場なら、また違った捉え方になるのかもしれないと思った。


 一通りの案内を終えた後、希未はブライダルサロンでアンケートとヒアリングを行った。

 そして午後四時頃、担当したふたりを見送った。


「今日はありがとうございました。とっても良かったです」

「私達、ここを前向きに考えてみます」


 とても満足そうなふたりに、希未は確かな手応えを得た。

 以前までなら、この時点で営業として数字の計算をぼんやりと行っていただろう。


「はい。良い返事を頂けると、信じています。おふたりの幸せを、あたしに支えさせてください」


 希未は満面の笑みで頭を下げた。

 喜びに満ち溢れたこのふたりに、関わりたい。それは紛れもない本心だった。つまらない計算よりも、込み上げる気持ちを抑えていた。


 一段落ついた希未は、書類を持ってフラワーサロンに向かった。手渡す用事のついでに、少し休憩するつもりだ。

 サロンでは成海志乃が眼鏡をかけ、パソコンに向き合っていた。

 なんだか珍しい光景だと、希未は思う。おそらく花の発注等の事務作業だろう。


「お疲れさまです、成海さん」

「のんちゃんも、お疲れさま。どう? いい感じに終わった?」

「はい。手応えはありました」

「ふふっ。また仕事が増えそうね」


 志乃がキーボードを打ちながら、嬉しそうに微笑む。

 希未は先ほどの内覧を事前に伝えてあるうえ、実際にここを案内した。


「バレンタインフェアだなんて……やる意味、あるんですかねぇ。婚約してるんですから、今さらのように思いますけど」


 テーブルに書類を置き、適当な椅子に座った。そして、試食会の件と解せない気持ちについて、詳しく話した。


「あら? 妬いてるの?」

「違います!」


 希未はここでようやく、愚痴をこぼしていることに気づいた。確かに、聞く側としては独身の妬みと捉えるだろう。


「バレンタインって、チョコと一緒に気持ちを伝えるイベントだから……何も告白だけじゃなくて、確かめるのも全然アリじゃないかしら。私は、枠な図らいだと思うけど」


 楽しそうにケーキをデコレーションしていた内覧客を思い出す。

 希未が新郎新婦に関わるのは、結婚式までだ。結婚後の長い時間で、あのように気持ちを確かめ合う機会は、きっと数え切れないほどあるのだろう。


「ふんっ。どうせ独身ぼっちのあたしには、わかりませんよ」


 想像は容易くとも、やはり内覧という観点では納得できない。希未はあくまでも否定の方向へと運び、拗ねるように口先を尖らせた。

 その様子に、志乃が小さく笑った。


「それにしても……バレンタインもう近いのね」


 志乃はキーボードを打つ手を止めると、眼鏡を外して壁のカレンダーを眺める。

 なんだか遠くを見るような目であり、憂いのある横顔に、希未は見えた。何か思い入れがあるのだろうか。疑問はあるも、口に出来ない雰囲気だった。

 だが、それも一瞬だった。


「のんちゃんは、バレンタインいつもどうしてるの?」

「あたしは……市販のチョコ買ってきて、男の同僚に配るぐらいです」


 いつもの様子に戻った志乃から訊ねられ、希未は正直に話す。

 一応は義理チョコになるのだろうか。これまで深く考えたことがなかった。

 同僚からねだられたことも、必ず渡さなければいけない空気も無い。ただ世間の風潮に従っているだけであり、特別な意味は一切無かった。もしも今年渡さなくとも、何ら問題は無いだろう。

 希未にとっては、その程度のイベントだった。

 もっとも、職場内外で好意を寄せる人間が居るならば、また捉え方は違ってくるのだろうが。


「私はチョコ作るつもりだから……のんちゃん、受け取ってくれる?」

「え……。あっ、はい」


 志乃の言葉に驚くも、希未は反射的に頷いてしまった。

 恥ずかしい記憶を振り返ると――志乃の部屋で一緒に泣いた夜、夕飯を食べさせて貰った。志乃が普段から料理をしている印象を持っているので、チョコレートを作るとなっても不思議ではない。

 それなのに、どうして驚いたのか希未はわからず、内心で戸惑った。

 ちらりと志乃を見ると、いつものにこやかな様子だった。

 バレンタインに加藤絵里子をはじめ女性の同僚から、高級チョコレートを一口貰うことがある。過去から『友チョコ』と呼ばれる文化があり、女性達だけで寄り合うことは珍しくない。

 きっとその一環なのだと、希未は割り切った。他意は無いはずだ。


「ふふ。気合い入れて作るわね」


 しかし、二月十四日のバレンタイン当日は、希未は休日だった。

 貰うにしても翌日になるだろうと思うが――休日であると、この場で言えずにいた。婚礼課のシフト表なら配布していると、自分を正当化した。


「楽しみにしています……」


 後ろめたさだけではない。希未はなんだか複雑な気持ちで、悶々とした。

 たかがチョコレートだと、自分に言い聞かせた。

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