第02章『推しの現在』
第04話
午後八時過ぎ、希未は展示場からホテルの事務所に戻った。
「ただいまです」
「おかえり、遠坂」
事務所にはもう、マネージャーの加藤絵里子しか居なかった。おそらく、部下の帰りを待っていたのだろう。
希未は有り難く思うと同時、既婚者かつ子持ちの彼女を留めたことに少しの申し訳無さもあった。
「浮かない顔して、どうしたん? 今ひとつだった?」
「いえ……収穫は良かったですよ」
希未は鞄から、内覧予約者の顧客シート――その束を取り出し、絵里子に渡した。
「おお、いい感じじゃん。何が不満なのよ?」
確かに、出展費に見合うだけの仕入れが、合同ブライダルフェアであったと思う。だが、複雑な表情をしている自覚が希未にもあった。
閉場間際に訪れたふたりに対し、未だに困惑しているのであった。
希未はダウンジャケットのポケットから缶コーヒーを取り出すと、椅子の背もたれにかけて自席に座った。そして、ぬるいコーヒーを一口飲み、鞄から一枚の顧客シートを取り出した。
「原因はこれです。一旦保留ですけど……とりあえず書いて貰いました」
あのふたりをどう扱えばいいのか、希未にはわからなかった。中途半端な判断を下し、営業職として情けなかった。
「保留って、珍しいね。曰く付き?」
「まあ、そんなところです。問題がいくつかあるんですよ」
希未は顧客シートの内容を確かめることなく、絵里子に渡した。
扱いがわからないというより、ひとりで判断出来なかったのだ。ホテル側の意向を仰がねばいけない案件だ。
「
絵里子としても、真っ先にその氏名に目がいったようだ。
希未を含め前後の世代では、この国で特定のひとりを指すほどの有名な氏名だ。もしも同姓同名の人物が存在するならば、確実に名前負けすると希未は思った。
「紛れもなく、天羽さん本人です。幽霊でもありません。どういうことか……生きてました」
プラチナベージュの長い髪の、凛とした小柄な女性を、希未ははっきりと覚えている。
髪色と共に印象も大きく変わっていたが、かつての国民的アイドルグループRAYのひとり――十年前にグループ解散へと至った原因である、交通事故で亡くなった人物だった。
失礼なので、本人に訊ねたわけではない。だが、希未は一目見て確信した。かつて希未が熱狂的に推していた人物であり、二十八年の人生で最も尊敬していた人物でもある。見間違うはずがない。
もしも偽名を使われていても同じだっただろう。むしろ、天羽晶が本名なのか芸名なのか、わからない。だが隠す様子が無く堂々とした振る舞いからも、こうして記入したことからも、きっと本名なのだろう。
「えっ、マジで? そっか、騙してたわけだ……。私も驚いてるけど……あんた大好きだったから、辛いでしょ」
事情はわからないが、十年前の『天羽晶死亡』の報道は虚偽となる。希未は芸能事務所が執り行った、彼女の告別式にまで参加していた。
このホテルに入社してからの付き合いである絵里子には、RAYそして天羽晶のファンであることが知られている。
希未は絵里子から、沈んだ様子が裏切りによるものだと思われていると察した。しかし――
「騙されて辛いのか、生きていて嬉しいのか……正直、わかりません」
どちらも全く無いわけではないが、どちらに傾くこともなく、ふたつが複雑に絡み合っていた。
希未にとっては、十年振りの思わぬ再会だった。だが、世間で天羽晶の存在が風化したように、希未もまた気持ちの整理がとうに着いていた。
もっと早くに彼女の生存を知っていたなら――そして、違うかたちで再会していたなら、きっと違っていただろう。ファンとアイドルではない。ウェディングプランナーと顧客として、接触したのだから。
希未はこの現実を頭では理解しているが、驚く以上に、まだ受け止められずにいた。
「それよりも、加藤さん……ウチで同性婚できるんですか?」
これがふたつ目の問題であり、保留にした大きな原因だった。
天羽晶がパートナーとして連れていた人物は――元々はどういう間柄だったのか希未は知らないが、晶から九歳年下の女性だった。
かつての『推し』が生きていただけでも、受け止められなかった。さらに同性婚を持ち出され、希未は頭がどうにかなりそうだった。
この国で同性婚は認められていないため、籍を入れることはできない。だが、ブライダル業界では祝福する儀式として、同性婚を扱う式場がある。現在は世界中で『少数派』に理解を示す風潮であること、そして業界が下火であるため形振り構っていられないこと。皮肉にも、ふたつが重なり合った結果であった。
とはいえ、このホテルでは同性婚を扱った前例が、希未の知る限り無い。可不可の返答はホテルグループにとっての意思表示にもなるため、絵里子と話し合って決定できるものでもない。
「そうきたかぁ。ご時世的に、たぶん大丈夫だと思うけど……明日、
希未の思っていた通り、おそらく可能だが確証は無い状態だった。
絵里子が渋る様子もなく前向きな姿勢を見せてくれたこと。そして、内心どう思っているのかわからないが――同性婚への『偏見』を見せなかったこと。そのふたつに、希未は安心した。
初めて同性婚の問い合わせを受け、確かに驚いた。しかし、希未としては過去より理解を持っているつもりだった。
「お願いします。あたしは牧師さんに訊いてみます」
「うん、そっちも大事だね」
ホテル側だけでなく宗教面でも執り行えるのか、確認が必要だ。こちらもおそらく問題無いだろう。
「私ら、こういう事態に全く備えてなかったけどさ……遠坂、これはグッジョブだよ。早い内にフォーマットも作っておこうね」
絵里子が顧客シートを希未に見せ、名前欄を指さした。
顧客シートのフォーマットでは、新郎と新婦の名前を記入するようになっている。だが、希未は新郎の文字を二重線で削除し、手書きで新婦と付け加えたうえで記入を求めた。顧客が不快な思いをせぬよう、配慮したまでだ。
実際のところ、同性婚では『新郎新婦』と呼べない。かといって『新婦新婦』や『両新婦』が正しいのか希未も、おそらく絵里子もわからないだろう。
「同性婚の問題は現実的にクリアできそうだけど、まだ他に何かある?」
「はい。日程です」
「どれどれ……希望は三月三十一日。いや、無理じゃん」
すぐに式場を押さえて最短で準備するにしても、四ヶ月の時間を要する。現実的には間に合わない。
希未はふたりに、その旨を話した。
「披露宴は無しで、式だけでいいみたいです」
「それなら、ギリギリ出来なくもないか……」
式だけならば、準備は最短で二ヶ月となる。それでも慌てることになるが。
披露宴を元々考えていなかったのか、それとも日程のためにやむなく諦めたのか、希未にはわからない。その希望に沿い、ゲストの予定人数も訊ねなかった。
「って思ったけど、やっぱ厳しいね」
絵里子が壁のカレンダーを眺め、そう漏らした。
希未はブースで確かめたので、その日が日曜日かつ大安であることを知っている。
「どうしても年度内に挙げたいのかな?」
「そうじゃないと思います。その日は、天羽さんの誕生日なんですよ……たぶん、三十四歳の」
「なるほど。そういうことね」
希望する理由をふたりに訊ねたわけではない。天羽晶のパートナーがその日を強く推していたので、希未は察した。
良い曜日と日柄が重なったのは、ただの偶然だろう。
「ていうか、日程が一番のこだわりみたいで、場所は正直どこでもいいみたいです」
希未はブースでふたりと喋った感触から、そのように捉えた。
曜日と日柄として今から押さえることは困難であると、ふたりは理解していた。だから、合同ブライダルフェアで各式場に訊ねて回っているようだった。
「まあ、ウチで出来なくはないよ」
絵里子が腕を組み、苦笑した。
希未も壁のカレンダーを眺めると――希未の担当が無いにしろ、午前も午後もやはり枠が埋まっていた。とはいえ、式だけならば夕方に執り行うことが可能だ。
「でも、
披露宴が無ければ、売上は大きく下がる。
それに、式だけにしろ短い準備期間で『ねじ込む』ことになるので、ホテル側も無理をすることになる。ウェディングプランナーは各所に頭を下げ、理解を求めなければならない。
業界として不景気な昨今、式を挙げて貰えるだけでも有り難い話だと希未は思う。しかし、労力に見合わない案件であるとも思った。
保留にしている現在、適当に理由をつけて断ることは可能だ。
「私は、やるなとは言わない。前向きに考えると……同性婚の前例を作る、良い機会じゃん。学ぶことも多いだろうし、営業の幅も広がるよね」
希未には絵里子の言葉が、綺麗事を並べているだけにしか聞こえなかった。背中を押すことも引くことも、干渉は避けたい意図が見える。そして、責任者としては妥当な発言だと思った。
希未はモヤモヤした気持ちのまま、缶コーヒーを飲んだ。
「あんたが頭を抱える案件なのは、凄くわかる。さっき言った通り、私は訊いてみるから――あんまり悩む時間も無いけど、遠坂が納得いくように動いてみなよ。あんたが選んだ方を尊重するからさ」
元より、希未は絵里子の助言を期待していなかった。合同ブライダルフェアでの特記事項として報告しただけであり、想定通りに着地した。
だが、こうして話したことで、頭の中で整理することが出来た。
この案件の問題点は三つ。元著名人である天羽晶が当事者であること。これまで経験の無い同性婚であること。式だけだが、こちら側としては非効率であること。
後ろのふたつは、まだ解決可能だ。
「わかりました。ありがとうございます……」
結局のところ、前のめりになれず立ち止まっている一番の原因は、ひとつ目だ。この世にもう居ないはずの『推し』にどう向き合えばいいのか、希未はわからなかった。
ブースで十五分ほど話しただけだ。生きていると頭では理解しても、なんだが実感が湧かなかった。
この揺れる気持ちに、十年という長い月日が過ぎたのだと改めて感じた。
無理をしてでも彼女の幸せを支える役目を買って出るのか、それとも売上を考えて切り離すのか――希未は選択を迫られた。
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