第03話
希未は正確には、ホテルグループに所属している。
同系列のホテルが、全国各所に二十ほど構えている。一般的なものがほとんどだが、宿泊より結婚式に特化したものがいくつかあった。ここは、そのひとつだ。教会式と神前式のふたつが執り行える他、控室や式場は導線が考えられた配置となっている。
十四階と十五階には、披露宴会場が合計六つあった。広さと内装、雰囲気はそれぞれ違い、予算や人数を考慮して選べる。中には普段、レストランとして営業している所もある。
希未は志乃に、それらを順に案内した。従来はどのような装花を行っているかも、顧客向けの資料を交えて説明した。
全てを回った後、最後に向かったのがこのホテルの目玉――教会だ。
十五階は最上階ではないが、フロア中央はガラス屋根のアトリウムとなっている。緑が鮮やかな庭で、白いレンガ造りの教会が陽に照らされていた。
「わぁ。本格的なのね」
「ハリボテじゃなくて、ガチなやつですよ」
一般的なホテルウェディングの場合、ホテルの一室を教会内に見立てられることが多い。建物内に教会そのものがあるのは珍しいと、希未は思う。気品ある佇まいに加え、全天候に対応可能な点も強みだ。
式の無い日も扉は開放され、誰でも内覧することが可能だった。希未は志乃と共に入った。
長椅子が並んだ空間は、全方位のステンドグラスから淡い光が差し込んでいる。自然光だけでも充分に明るい。
ステンドグラスの神々しい模様、そして祭壇に置かれた十字架から――希未は慣れていても、いつも神聖な雰囲気を感じていた。この場に牧師が不在でも、礼拝堂としての機能を充分に果たしていた。
白いバージンロードを志乃と歩く。見学者のようにキョロキョロ見回すと希未は思っていたが、志乃はとても落ち着いていた。
やがて、祭壇で振り返った。カタログでは百二十名まで収容可能なこの空間は、今はふたりきりであり、厳粛なほどの静寂が満ちていた。
「こんな感じ?」
背筋を伸ばした志乃が腰で手を握り、腕をくの字に曲げた。新郎の真似事だ。
腕をひょいひょいと揺らして誘っているが、希未は乗る気になれなかった。代わりに、半眼を向けた。
そのようなことを意識したからだろう。いくら仕事とはいえ、スーツ姿とエプロン姿の女性ふたりがこの場に並んで立つのは、なんだか奇妙な感覚だった。
「のんちゃんは、ここで沢山の幸せを見てきたのね」
「はい……」
ウェディングプランナーとして進行を確認する意味で、後方から何度も式を見届けてきた。
この六年、多くの幸せに触れてきた。そしていつの間にか、仕事で祝福をしても、ひとりの人間としては出来なくなっていた。自分だけの時間が止まっていた。
他者の幸せに触れることが億劫になっている。どうにか心持ちを変えたいと思うが、現在は何も打開策が無かった。
「ねぇ。のんちゃんはさ……結婚って始まりか終わり、どっちだと思う?」
随分と抽象的な質問だと、希未は思った。
これまで周囲の人間や顧客から、結婚は幸せの始まりとも終わりとも、どちらの意見も耳にしていた。真っ先に浮かんだのはそれだが、経験が無い以上はどちらが正しいのかわからない。
だから、別の観点で考えた。
「あたしは、終わりだと思います……仕事の付き合いで」
後日連絡を貰うこともあるが、ウェディングプランナーが関わるのは式と披露宴までだ。その後の新郎新婦に関与することも無ければ、幸せが続いているかもわからない。
この祭壇から腕を組んだままバージンロードを歩き、教会を後にするシーンを何度も見てきた。約八ヶ月の準備を経て、扉から立ち去る後ろ姿は『終わり』の印象が希未に根付いていた。
「そうね、私も終わりだと思うわ。仕事とは別で……私個人的には、結婚に良くないイメージを持ってるの」
志乃は遠くを見るような目で、後方の開いた扉を眺めていた。
意外だと、希未は思った。ならば、どうしてフラワーコーディネーターという仕事をしているのだろう。単純に、花や装花が好きなのだろうか。
志乃がこれまで何を経験して今は何が見えているのか、希未にはわからない。興味が無いわけではないが、昨日今日出会ったばかりの人間相手に、踏み入った質問はまだ出来なかった。
「けど、まあ……実際どうなんでしょうね」
志乃に対してではなく、ひとり言のつもりだった。
祭壇から扉へと続く十一メートルのバージンロードを、仕事では長いと謳っているが、希未には短く見える。
もしも、自分が誰かと腕を組んでここを歩く日が訪れるなら、一体どのように感じているのだろう。扉の先には、何が待っているのだろう。
同性とだからだろうか。偶然にもこの場にふたりで立っていても、希未は想像すらつかない。
幸せとは何か。結婚とは何か。それらが日に日にわからなくなっている。
ただ、RAYがもう存在しない現在――ここを歩く際は、幸せであって欲しいとは願う。
しかし、きっと叶わぬ夢だ。希未は自嘲気味に、小さく笑った。
腕を組んで歩ける日まで
goodbye to the time gone by.
一月十四日、月曜日。
世間は祝日であり、三連休の最終日でもあった。
昨日と今日の二日間、結婚式場のポータルサイトが主催する合同ブライダルフェアが、展示場で開催されていた。希未が働くホテルの他、いくつもの式場が出展している。
今日はホテルから、チーフの希未が担当に充てがわれていた。希未としても、仏滅である今日は担当する式が無かった。
結婚する者も式を挙げる者も年々減り続け、業界は確かに不景気だ。それでも多くの来場者で混雑していると、希未はブースから感じていた。
女性ひとりや母親とふたりの参加者も中には居るが、やはり男女のカップルがほとんどだ。時期的に、クリスマスにプロポーズしたカップルが多いと希未は思っていた。
ブースに訪れた来場者に希未は営業を行い、十件の内覧予約を獲得した。成果は上々だ。
やがて午後四時半を回り、閉場まで三十分を切った。
この頃にはほとんどの来場者が会場を去り、落ち着いた頃だった。
「すいません。ちょっといいですか?」
ふと、ふたつの人影がブースの正面に立ち、希未は座ったまま顔を上げた。
一目見て、対称的なシルエットだと思った。ひとつは小柄のロングヘア、もうひとつは背の高いショートヘアだった。
どこにでも居るような男女のカップルだと把握しようとして――希未は違和感を覚えた。
聞こえた声は女性のものであり、位置としては後者からであった。よく見ると、男性にしては肩が細く、また髪型は黒いショートボブだった。身長が百七十センチほどの、スタイルの良い女性だった。
つまり、女性ふたりでブースを訪れたことになる。
友人を連れての参加は珍しくない。どちらが新婦だろうかと、希未はすぐにふたりの左手へ目をやった。
しかし、ふたりの薬指には全く同じ指輪が嵌っていた。
「なぁ、訊きたいんだが――」
もうひとりの女性が前に出る。
プラチナベージュの派手な髪色の通り、絶対の自信に満ち溢れたかのような、凛とした雰囲気だった。
希未は強い既視感に、自身の瞳が大きく見開いたのを感じた。
小柄ながらも力強い存在感を、画面越しに散々見てきた。整った美しい顔立ちを、忘れるわけがない。
しかし、ひとつだけ記憶との相違があった。オッドアイなのだろうか――衝撃に打ちのめされた頭は、こちらを見つめる瞳の色が左右で僅かに違うことを、かろうじて捉えた。
ここまで間近で『実物』を見たのは初めてのため、今まで気づかなかったのかもしれない。
いや、本来『実物』はもう存在してはならないのだ。この世に居ないはずの人間が目の前に立っていることに、希未の理解は追いつかなかった。
そして続く言葉もまた、理解までに時間を要した。
「ここで女同士の式を挙げられるか?」
(第01章『腕を組んで歩ける日まで』 完)
次回 第02章『推しの現在』
希未はある案件を引き受けるか、悩む。
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