35 いるはずのない顔
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それは、昨日の晩のこと――
淡いピンク色の生地に、花柄があしらわれたワンピースドレス。
同じ色味の、つばの広いおしゃれな帽子。
ジーランド領に向かう馬車の中、私はジンさんから、この衣装を渡された。
「うわぁ……かわいいドレスですね」
「孤児院を訪問する前に、これに着替えてくれ」
「こんな上品な服装で向かうってことは、やっぱり『養子を探しているお金持ち』の設定で行くのですか?」
「そうだ。君には、
「…………つま」
「あぁ、妻だ」
「……つま、って、あの……?」
「他にどの妻があるのかは知らないが、一般的には婚姻関係を結んだ女性のことを指すな」
………………え。
「えぇぇええっ?! ななな、なんでそんな設定を?!」
「何故って、それが一番自然だろう? 友人同士の男女が孤児院を訪れる方が不自然だ」
た、確かに……
と納得しつつ、あまりに突飛な設定に心臓をバクバクさせていると、
「ジンと夫婦になるのがイヤなら、僕が夫役をやろうか? 僕たち、結構お似合いだと思うし」
ジンさんの隣に座るエミディオさんが、自分を指差しながら言う。
が、それに私が何かを言う前に、
「駄目だ。夫役は俺がやる」
ジンさんが、バッサリと却下する。
エミディオさんは「えぇ〜」と口を尖らせ、
「なんでよぉ。いいじゃん、僕とメルちゃんで夫婦役になったって。僕、潜入捜査のプロだよ?」
「駄目なものは駄目だ。お前は外で見張りをしていろ」
「でもでも、メルちゃんは『えぇー』って言ってたよ? ジンの妻役なんて嫌なんじゃないの?」
などと、意地悪な笑みを浮かべながら言う。
その言葉に、私が「えっ?!」と動揺していると、ジンさんが身を乗り出し、
「メル……俺の妻になるのが、嫌なのか?」
と、切なげな、縋るような目で私を見るので……
私は、胸がギュンッ! と締め付けられるのを感じ、堪らず目を逸らし、
「ぜ……全然、嫌じゃない、です……」
顔を熱くしながら、そう答えた。
♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎
――と、いうわけで。
私は今、身なりの良いご婦人風の装いで、ジンさんと共にファティカ様が拉致されたというウルブレア孤児院を訪れていた。
腰に手を回され、夫婦らしい距離感に早くもドギマギしているが、これは重要な任務だ。私情に流されるわけにはいかない。
そう気を引き締め、私は受付から出て来た職員の女性に笑顔を向ける。
女性はそれに応えるように、私とジンさんを交互に見つめ、にこりと笑う。
「まぁ、お若くて美男美女のご夫婦ですね。羨ましいわ」
「はは。よく言われます」
そこは謙遜してよ!!
と、限りなく素に近い返答をするジンさんにツッコみたくなるが、ぐっと堪える。
「では、こちらの記名帳にお名前を。名字だけで結構ですよ」
「わかりました」
ジンさんは私の腰から手を離し、差し出された記名帳に偽名をサインする。
私はほっと息を吐いてから、建物の中を今一度観察した。
木の材質そのままの、素朴な床や壁。真っ直ぐに伸びた廊下の向こうからは、子供たちの賑やかな声が聞こえてくる。その廊下の壁には、子供たちが描いたと思しき絵がたくさん飾られていた。
この、温かだけどどこか寂しい雰囲気や、木材の湿ったような匂いは、私が育った孤児院によく似ていた。
(ファティカ様はここで育ち、十三歳の時に攫われた。そして、ヒルゼンマイヤー家に連れて行かれ、『従わなければ他の子供を拉致する』とレビウスに脅され……
そのことを思うと、やはり腹の底から怒りが湧いてくるが……
一度頭を振り、冷静になるよう自分に言い聞かせた。
「子供たちはこちらです。今は朝食を済ませたばかりで、自由に過ごしています。年齢が近い子同士で部屋を分けていますが、何歳くらいの子をお考えですか?」
職員の女性が廊下を進み、案内を始める。
その後に続きながら、ジンさんがにこやかに答える。
「初めは一歳から三歳くらいの子を考えていたのです。やはり幼い子は可愛いですからね。しかし、跡継ぎとして引き取るなら、十歳以上の子の方が意思疎通しやすいのではとも考えまして……悩ましいところです」
ジンさんのその返答は、私でさえ騙されそうになるくらいに自然だった。
私たちが見たいのは、十三歳以上の子供がいる部屋だ。
ファティカ様が拉致されたであろうその部屋を調査すれば、『選定者』が来た時の様子や、拉致された時の様子も記憶として見ることができる。
しかしジンさんは、いきなり十三歳以上の子を指定するのではなく、幅広い年齢層で迷っているスタンスを見せた。この方がより自然であるし、孤児院の中を広く案内してもらえる。気になる箇所があれば、追加で調べることも可能だ。
職員の女性は頷き、ジンさんの言葉に共感を示す。
「そのお気持ち、よくわかります。幼い子には幼い子の、大きな子には大きな子の良さがそれぞれありますからね。では、順番にご案内しましょう。まずは乳幼児のいるお部屋です」
そう言って、女性は赤ん坊の泣き声のする部屋の扉をそっと開けた。
――年齢層の低い部屋から順番に案内され、私とジンさんはたくさんの子供に出会った。
みな明るく無邪気で、見ているだけでこちらまで元気をもらえる。
……が、七歳から九歳の子供の部屋を訪れた時、
「わぁっ、若い男女だ!」
「ラブラブだ! ラブラブカップルだ!」
「ねぇ、二人は結婚してるの? キスは? 毎日一緒に寝てる?」
……と、おませな子供たちから怒涛の質問責めを喰らい、私は早くも冷静さを失いかけていた。
「え、えっと……私たちは、夫婦で……」
目を泳がせながら、なんとか返答を試みるが……
そんな私の肩を、ジンさんはぐいっと抱き寄せ、
「その通り。私と彼女は、超ラブラブな仲良し夫婦だ。毎日一緒に寝ているし、キスもしょっちゅうしている」
キリッとした表情で、大嘘を言ってのけた。
堪らず顔から湯気を噴き出していると、一人の女の子が追い討ちをかけるように尋ねる。
「お風呂は? お風呂は一緒に入ってる?」
「もちろん、毎日一緒だ。何なら互いに洗い合っている」
「きゃーっ! すごーい!!」
(も……もうやめてぇえっ!!)
盛り上がる子供たちを前に、私は両手で顔を覆う。
すると、職員の女性が、
「うふふ。ご主人は本当に、子供の相手がお上手ですね。どうすればこの子たちが盛り上がるのか、心得ていらっしゃるようです」
と、にこやかに言う。
それを聞き、私は妙に納得する。
先ほど、もっと幼い子供たちの部屋を訪れた時も、ジンさんは子供と同じ目線にしゃがみ込み、上手にあやしていた。
それも怪しまれないための演技なのだと思っていたが……
(案外、本当に子供が好きだったりするのかな……?)
と、未だ子供たちを盛り上げているジンさんを見上げるが……その真意はわからなかった。
――そうして、私たちはついに、十歳以上の子供が暮らす部屋に辿り着いた。
ここからは男女で部屋が別れており、まず女の子の部屋から見させてもらうことになった。
この年齢になると落ち着きが生まれるのか、五人いる子供たちは皆、本を読んだり勉強するなどしていた。
「今日はお休みですが、普段はみんな中等学校に通っています。十五歳になるまでに引き取られなければ、学校を卒業後、就労することになります。そうしてここを巣立って行くのです」
職員さんの説明を聞き、私と同じだと、密かに思う。
皆、年齢的に引き取られる可能性を諦めているのか、私たちが入室してもあまり興味を示していない様子だった。
そのこと自体は少し切ない気もするが、私たちの目的を考えれば好都合だ。先ほどの子供たちのように付き纏われることもなく、この部屋を調べることができる。
「実際に、この年齢の子たちが引き取られる割合はどのくらいなのですか?」
「そうですねぇ、だいたいですが……」
と、ジンさんが子供たちに聞かせるべきではない質問をあえてしたことにより、職員さんは彼と共に廊下へ出た。
つまり――ここからは、私の仕事ということ。
ファティカ様を選んだ『選定者』、そして、拉致した実行犯の記憶。
それが残されているものを、この部屋の中から探さなければ。
部屋には、二段ベッドが三つと、勉強机と小さなタンスが六つ、あとは共用と思しき本棚が二つあった。
ベッドや机の周りには子供たちの私物がある。さすがにそれらに触れるわけにはいかないし、四年前からあるものかわからない。
ならば……と、私は本棚に狙いを定める。
本であれば長年この部屋に置かれている可能性が高い。
私は背表紙を順番に観察し、古そうなものを探していく。
……と、右上の端に一冊、見るからに埃を被っている本があった。
私はうんと背伸びをし、なんとかその本を手に取る。
廊下ではジンさんが質問を続け、時間を稼いでくれている。探るなら早くしなくては。
(お願い……四年前、この部屋に"若い男"が来た時のことを教えて)
私は本を開き、読んでいるフリをしながら、手のひらに意識を集中させる。
すると……脳内に、膨大な量の情報が流れ込んできた。
これは――この本が持つ、四年前に関するすべての記憶。
目まぐるしく入り込んでくる情景に、私は目眩を起こす。
(そうか……前にジンさんの過去を見た時のように、特定の時期を定めていないから、関連する記憶がすべて流れ込んでくるんだ……っ)
このままでは、多すぎる記憶の量に頭がおかしくなってしまう。
私は目を閉じ、次々に変わる情景の中から、より条件を絞り込んでいく。
(ファティカという女の子が攫われる前……彼女と握手を交わした男について、覚えている?)
目が回るような不快感の中、この記憶の持ち主である本に、強く問いかける。
すると――
目の前がパッと明るくなり、ある一つの記憶が映し出された。
♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎
そこは、今と家具の配置が少し違うが、間違いなくこの部屋で――
子供の数は四人。その中に、ファティカ様の面影がある、髪の長い女の子がいた。
そして、その女の子たちの前に、一人の男が立っている。
ベージュのハットに同色のスーツを着た、若い男だ。
男がハットを取ると、茶色の短髪が覗いた。
彼は、人懐っこい笑みを浮かべると……
「――はじめまして、お嬢さん方。僕はアズバード。よろしくね」
と、握手を求めるように、手を差し出した。
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「――え……?」
その男の顔に、私は――心臓が止まるかのような衝撃を受ける。
何故なら、知っていたから。
その声も、髪も、笑顔も……覚えがあるから。
うそ……でも、見間違えるはずがない。
だって、あの時の恐怖心と共に、今でも強く記憶に残っている。
あの、ドロシーさんの教会で、私と強引に交際しようとした、傭兵の男……
「…………セドリック、さん……?」
私は、本を持つ手を震わせながら……小さく、呟いた。
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