28 夢からの目覚め
……しかし。
「…………どうしよう……」
いくら好きとはいえ、私よりずっと背の高い男性にのしかかられているこの体勢は、さすがに苦しくなってきた。
ジンさんの身体を押し退けようとするが、背面にあるベッドがふかふかすぎて上手く力が入らない。
ならばと、横方向に這い出るように移動し、なんとかすり抜けようと試みるが……
――ぴっ。
と、私のブラウスが、ジンさんのベストのホックに引っかかった。
このまま無理に引っ張れば、ブラウスが破けてしまう。
かと言って、彼の身体を押し退けるのは筋力的に困難だし……
「…………」
こうなったら、仕方がない。
私はもがきながら腕を抜き、ブラウスを頭から脱ぐと……
ジンさんの腕の下から、すり抜けるようにして脱出した。
ブラウスはベストに引っかかったまま、未だ彼に組み敷かれている。
つまり、私は今、上半身だけ下着姿。
……こんな格好、絶対に見られるわけにはいかない。
私はババッ! と素早くカーテンを閉め、サッ! と灯りを消すと、音を立てずにそっとジンさんの部屋を後にした。
そうして無心でお風呂に入り、無心でパジャマに着替え、無心で歯磨きをし……
自分の部屋のベッドに、無心で潜り込んだのだが。
「……………………あぁぁぁ……」
駄目だ……ジンさんへの気持ちを自覚してしまった事実が、じわじわと押し寄せてくる……!
こうなるともう、今までのようにはいられない。
だって、好きな人と四六時中一緒にいるのだ。意識しない方が無理である。
しかも、彼との関係は期限付き。
今のところ私は、『入学祝賀会』の日に解雇される予定にある。
「これ以上踏み込むな」と、先ほども釘を刺されたばかりだ。ファティカ様から情報を引き出したら、すぐに切り離されることは明白である。
そんな叶わぬ相手を……どうして好きになってしまったんだろう?
「………………」
先ほどのジンさんの言葉が、まだ耳に残っている。
『――他の誰でもない、世界で一番可愛いと思っている
……あんなの、酔っ払いの
きっとああして、たくさんの女の子を口説いてきたに違いない。
だから、本気になんてしちゃだめ。
そう、頭ではわかっているのに。
万が一、億が一でもいいから。
あの言葉が、本当だったらいいのに、なんて……
そんなこと、あるはずもないのに、考えてしまって。
「…………はぁ」
私は、ジンさんの声や温もりを思い出しながら、そっと瞼を閉じた。
* * * *
――が、やはり悶々としてしまい、なかなか寝付けず……
結局、眠れたのは明け方近くだった。
そのせいか、はっと目を覚ました時、カーテンから漏れる日の光はだいぶ明るくなっていて……
……やってしまった。大寝坊だ。
今日が休日なのが幸いだが、いつもの朝ご飯の時間はとうに過ぎているだろう。
ジンさんは……まだ眠っているだろうか?
朝が弱い人だし、昨日かなり酔っていたから、なかなか起きて来られないかもしれない。
いや、そうであってくれ。だって……
あんなことがあった後では……どんな顔して会えば良いのか、わからないから。
……待てよ。そもそもあんなに酩酊状態だったのだから、ジンさんは何も覚えていないかもしれない。
うん、そうだ。きっとそうに違いない。なーんだ。よかったよかった。
よし。いつも通りのテンションで、いつも通りに起こしに行こう。
私は一つ頷き、ベッドから立ち上がる。
そして、一階の洗面所へ向かうべく、パジャマのまま部屋を出る……が。
「…………っ?!」
廊下に一歩踏み出したところで、声にならない悲鳴を上げた。
何故なら、部屋の前に……
キチッと正座をした、ジンさんがいたから。
「じ、じじじ、ジンさん?! 何してるんですか?!」
想定外の遭遇に、私はパジャマ姿を隠すように部屋のドアから顔だけ覗かせ、尋ねる。
いつからこうして正座していたのかわからないが……ジンさんは目を伏せ、両手を床に付くと、
「……昨夜の件を謝罪するため、ここで待たせてもらった。メル……本当に、すまなかった」
そう言って、土下座の姿勢で頭を下げた。
私は「えぇぇぇっ!?」と声を上げ、混乱する。
「さ、昨夜の件って……ジンさん、覚えているんですか?!」
「……あぁ、覚えている」
ひゅっ……と、私の喉が鳴る。
ま、まさかの……酔っても記憶は残るタイプ……!!
ていうか私、「意地悪なところもかっこいい」とか、けっこう恥ずかしいコトを口走っちゃった気がするんだけど……それも全部、覚えているってこと!?
羞恥心にわなわな震えていると、ジンさんは青い顔をしながらスッと、綺麗に畳まれた白いブラウス――私が昨日、ジンさんの部屋で脱いだあの服を、両手で差し出した。
「だが、申し訳ないことに、この服を脱がせたことは覚えていない……俺は、君に無理矢理襲いかかったのだろうか……? だとすれば、本当に何と詫びれば良いか……」
「ちちち、違います! それはジンさんが脱がせたんじゃなくて、私が自分で脱いだんです!!」
「………………え」
「いや、違う! いや、違くない!! えぇっと、とにかく何かがあったわけではなくてですね……!!」
私は、ジンさんが私を組み敷いたまま熟睡してしまったこと、その際、ブラウスがベストのホックに引っかかってしまい、やむなく脱ぎ捨てて脱出を図ったことを、順番に説明した。
それを聞き、ジンさんは少し安堵したように息を吐く。
「では……君に無理を強いるような乱暴は働いていないのだな?」
「もちろんです。ジンさんはただ、寝落ちただけです!」
「それなら良いが……いや、君に迷惑をかけたことは事実なのだから、良くはないな。本当に申し訳なかった。心から反省している」
「そんな、お顔を上げてください。私は全然、気にしていませんから」
そう言って笑ってみせるが……そんなの、嘘に決まっていた。
好きな人にあんなことをされて、気にしない方が難しい。
……本当は、聞いてみたかった。
ジンさん。あれって、どこまで本気でしたか?
それとも、やっぱり……ただの、酔った勢いだったのですか?
でも、真実を知るのが怖くて。
だから、ジンさんが申し訳なさそうな目で私を見上げ、
「メル……昨日の俺の言動だが……あれは……」
と、真相を口にしようとするので、私は慌ててそれを止める。
「あぁ、本当に! 本当に気にしていませんから! ジンさん、エミディオさんに焚き付けられて無理に飲んじゃったんですもんね!」
聞きたくない。
だって、容易に想像がつく。
このすまなそうな顔と、言いかけた言葉――
『――あれは、ただの酔った勢いだったんだ』
この後にはきっと、そんなセリフが続くに違いないから。
言葉を遮られ、ジンさんは少し驚いたように私を見上げる。
「確かに、あいつの挑発に乗ったのは事実だが……」
「もー、これからは無理しちゃダメですよ? はい、ということでこのお話はおしまいです! 私も綺麗さっぱり忘れますから、ジンさんももう気にしないでください!」
そう言って、無理矢理話を切り上げる。
我ながら、お粗末すぎる誤魔化し方だ。動揺が隠し切れていない。顔に張り付けた笑みも、作り笑いだと見抜かれるだろう。
しかしジンさんは、私の引き攣った笑みを見つめ、
「……そうか。君が忘れたいのなら、これ以上は何も言わない。本当に……悪かった」
目を伏せ、もう一度、頭を下げた。
ジンさんが話を終えてくれたことに、私はほっと胸を撫で下ろす。
……よかった。
これで私たちは、今まで通り『雇用主』と『協力者』の関係性だ。
実るはずのない恋だとわかっている。けど……
気付いたばかりのこの気持ちを、すぐに終わらせてしまうのは、やっぱり怖くて。
いつか振られる日が来るとしても、今はまだ……
ジンさんのいち協力者として、側にいさせてほしいから。
私は部屋から足を踏み出し、未だ廊下に正座するジンさんに歩み寄る。
そして、
「もう、謝らないでください。ほら、そんなところに座っていたらお身体が冷えますよ? エミディオさんが作ってくれたスープとパンが残っています。遅くなってしまいましたが……朝ご飯にしましょう」
自然な笑顔に努めながら、手を差し出した。
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