26 甘やかな酩酊
――お料理に使うために買ったというワイン。
それをエミディオさんがキッチンから持って来て、グラスに注ぎ、軽やかな乾杯の音と共にジンさんと飲み始めたのだが……
ものの数分で、事態は急変した。
「――ふふ。メルとは先日、スコーンをはんぶんこしたんだ。メルにもらったあのチョコレート味のは、格別に美味かったな。それだけじゃない。メルは毎朝、俺を起こしに来てくれるし、野菜が上手く切れると褒めてくれるんだ。羨ましいだろう? エミディオ」
満面の笑みを浮かべ、上機嫌で語るその人は……
「……誰ですか? これ」
「ジンね、こう見えてお酒にめっちゃ弱いんだ。もう完全に酔っ払ってる」
目を疑う私に、エミディオさんが笑いを堪えながら答えた。
最初は涼しい顔でワインを口にしていたジンさんだったが、グラスの半分ほどを飲んだところで様子が変わり始めた。
頬はほんのり赤く染まり、目はとろんと虚ろになり……
そうして、にこにことご機嫌で喋り始めたのだ。
(まさかジンさんがお酒に弱いなんて……意外すぎる)
目の前でほわほわした笑顔を浮かべるジンさんを、私は興味津々に見つめる。
確かに、彼がお酒を飲んでいるところは見たことがなかった。犯罪組織の対応にいつでも動けるよう、あえてお酒を避けているのかと思っていたが……単純に弱かっただけのようだ。
「ぷくくっ……いつもはあんな澄ました顔してるくせに、ウケるよねぇ」
こうなるとわかっていて、エミディオさんはワインを勧めたらしい。ジンさんに負けず劣らず、悪戯好きな性格をしているとみた。
しかしそのお陰で、ジンさんのこんな顔を見ることができた。
いつもの凛としたかっこいい姿から一変、緩み切った隙だらけな笑みは、可愛らしくも色っぽい。
そんな姿に思わず喉を鳴らすと、ジンさんは困ったように眉をひそめ、
「うん? そんな難しい顔をして、メルは楽しくないのか?」
「い、いえ。そんなことないです」
「……いつも不安なんだ。俺ばかりが楽しいと感じていて、君は俺といても退屈なんじゃないかと……君には、たくさん笑っていてほしいから」
――ドッ!
と、胸が射抜かれたように高鳴り、私は座りながらよろけそうになる。
(な……何そのセリフ……普段からちょっとキザなところはあるけど、これはストレートに甘すぎる……!!)
胸をドクドクと高鳴らせつつ、私は平静を装い答える。
「私も……ジンさんといられて、いつも楽しいと思っていますよ」
「……そうなのか?」
「えぇ。使用人や聖女をしていた時より、ずっと楽しいです」
「……本当に?」
そう言って、不安そうな上目遣いで私を見つめるジンさん。うぅ、ズルイ……酩酊ジンさん、可愛すぎる……っ。
ドキドキと暴れる胸を押さえながら、私は慌てて立ち上がり、
「ほ、本当ですよ。その証拠に……ほら! ジンさんへのお土産、たくさん買って来たんですから!」
と、先ほどの持ち帰った買い物袋を持ってくる。
そしてそのまま、中身を順番にテーブルへ乗せていく。
「まずは、紅茶の葉っぱ。ジンさん、最近お仕事でお疲れなご様子だったので、お店の人にリラックス効果の高い茶葉を選んでもらいました。それから、同じお店で買った入浴剤。良い香りと身体を温める効果があるので、疲れがよく取れるそうです。あと……可愛いネクタイピンが売っていたので、買っちゃいました。ほら、ジンさんの瞳と同じ色の石が付いているんですよ。お好みじゃなければ処分しちゃってください。あ、ジンさんがいつも水出しで飲んでいるコーヒーのお豆も買い足しました。今度、お好みの淹れ方を教えてくださいね。お湯は私が沸かしますので……」
と、内心のドギマギを隠すようにツラツラ説明していると……
「…………くっ……」
ジンさんが、きゅっと目頭を押さえ……泣き出した。
……って?!
「え?! す、すみません! やっぱり余計なことしちゃいましたか?!」
「違う……嬉しすぎて……せっかくの休みに、せっかくの初任給を、わざわざ俺のために……ありがとう。これらの贈り物は、家宝として一生大切にする」
「一生っ?! だ、ダメです! ちゃんと使ってください!!」
「しかし、使えば失くなってしまうではないか……やはり防腐剤と共に密閉袋に入れ、紫外線の届かない"影"の中にしまっておこう……」
「ジンさんの魔法ってそんな使い方もできるんですか?! って、そうじゃなくて! 必要ならまたいつでも買って来ますから、安心して使ってください! でないと買った意味がありません!!」
「……わかった。紅茶の茶葉は一かけずつ煮出し、大切に飲ませてもらう」
「普通に! 普通に飲んでください!!」
声を荒らげツッコんでいると……ジンさんの横で、エミディオさんが我慢の限界と言わんばかりに吹き出した。
「あっはは! 君たちってほんと最高! 面白すぎる!!」
「面白がっていないで、エミディオさんもジンさんを説得してくださいよ!」
「えー、やだよ。こんなジン、なかなか見られないんだから。いやー、これでまた一つ弱みを握れたなぁー。何かあったら今日のこと引き合いに出してジンに言うこと聞かせよーっと」
そう言って、悪魔のような笑みを浮かべるエミディオさん。うん、この人なかなかに性格が悪いぞ。
困り果てる私に追い討ちをかけるように、エミディオさんはニヤリと笑い、
「なんならその入浴剤、今日使えばいいじゃん。二人で一緒にお風呂に入って」
……なんて、とんでもない発言をするので。
私は「は?!」と髪を逆立て、ジンさんは……
「………………」
ただでさえ赤い顔を、さらに赤くして。
バタッ! と、テーブルに突っ伏した。
……って、どういう反応?!
驚く私を尻目に、エミディオさんはまた笑う。
「あはははは! あーもうお腹いっぱい。ごちそうさま。ほんと楽しかったー」
そう言って、笑い泣きした涙を拭いながら席を立ち、スタスタと去ろうとするので……
「ちょ、エミディオさん?! どこに行かれるんですか?!」
「どこって、帰るんだよ。お邪魔しましたー」
「ままま待ってください! あの状態のジンさんと二人きりなんて、私どうしたらいいんですか?!」
「どうって、だから一緒に入ればいいじゃん、お風呂」
「冗談はやめてください! 私たち、そんな関係じゃ……!!」
「じゃあ、今日からなっちゃえば?」
ピタッ、と。
エミディオさんの言葉に、私は固まる。
その硬直した姿を、エミディオさんはやはり面白がるように見つめ、
「なっちゃえばいいじゃん、そういう関係に。だって君、ジンのこと――」
な、何を……
この人は、何を言おうとしているの……?
その先を聞くのが怖くて、聞いてしまえば取り返しのつかないことになりそうで。
私は、怯えるように身構える。
すると、エミディオさんはふっと息を漏らしながら笑い、
「……なーんてね。これ以上は野暮だから言わないよ。とにかく、今日はこれで帰るから。ジンのこと、よろしくねー」
最後は美青年全開なキラキラ笑顔を残し、玄関の扉を開け、去って行った。
「ま、待って……!」
引き留めようと、すぐに扉を開けるが……そこにはもう、エミディオさんの姿はなく。
外門を出て、お屋敷の前の通りを見回すが……休日の夜を行き交う人の中に、彼は見当たらなかった。
「き、消えちゃった……」
驚き、暫し呆然と立ち尽くす……
が、テーブルに突っ伏したままのジンさんを思い出し、私は急いでお屋敷の中へと戻った。
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