22 隠し切れない心音
「――これらの実例からもわかるように、みなさんの魔法の能力は、十三歳までに経験した心的外傷を克服するために授けられたものと考えられます。自分の力の"本質"を理解するには、まずは自分自身の心と向き合う必要があります」
教室から響く、ジンさんの声。
それを聞きながら、私は……彼の背中にあった、火傷の痕を思い出していた。
あれから二日。
私は今日も廊下で彼の講義をこっそり聞いているのだが……
頭の中は、自分の魔法のことより、ジンさんのことでいっぱいだった。
――ジン・アーウィン。
二十三歳。
ウエルリリス魔法学院に勤める教師にして、魔法学研究者。
友人一家を暗殺した犯罪組織と、それを手引きした貴族たちへの『復讐』に生きる人。
影に身を潜めたり、相手の視覚から光を奪う魔法能力を持つ。
両親は既に他界し、イドリス領にある祖父母の家に引き取られ育った。
マリーアダムス魔法学院を卒業後、史上最年少で教員試験に合格。
魔法の能力における革新的な発見をした、すごい人。
冷静沈着で聡明。
優しいのに、時々意地悪。
常に紳士的に振る舞うことをポリシーとしている。
朝が弱くて、火が苦手で……包丁で、よく手を切る。
これが、私の知っているジンさんの全てだ。
連れ出されたあの日からほとんどの時間を共に過ごし、様々な一面を見てきたが……彼の過去に纏わる重要な部分については、何も知らされていない。
『みなさんの魔法の能力は、十三歳までに経験した心的外傷を克服するために授けられたものと考えられます』
先ほど聞こえた、ジンさんの言葉。
その考えに基づくなら……どうしてジンさんには、『影』の魔法が宿ったのだろう?
どんな経験をして、あのような力を授かるに至ったのだろう?
やはり、友人が殺されたことと関係している?
あるいは、ご両親との死別?
それとも……
あの火傷の痕や、火が苦手なことに関連するような辛い出来事があったのだろうか?
「…………」
私は廊下の小窓から、教壇に立つジンさんを見つめる。
ここから見える彼は、知的で秀麗な、完全無欠の人に見える。
だけど……
本当は、辛い経験をたくさんしてきて、心も身体も傷だらけなのかもしれない。
だからこそ、その傷に報いるため、『復讐』に生きているのではないか?
もちろん、彼には『復讐』を果たして欲しいけれど……
(……これ以上、傷付いて欲しくないな。心も、身体も)
私がファティカ様から情報を聞き出し、それを元に組織と直接対決することになれば、ジンさんの身に危険が及ぶことは明白だ。
万が一、彼が負傷した場合、それを瞬時に癒せる協力者はいるのだろうか?
もし、他に頼れる人間がいないのなら……
私が、その役目を負うことはできないだろうか?
……なんて、訓練も受けていない一般人がそんなこと、烏滸がましい。足手纏いだとあしらわれるのがオチだ。
――でも。
私の魔法が"真の能力"に目覚めれば……
少しは、彼の力になれたりするのだろうか?
「…………」
……そこまで考えたところで。
授業の終わりを告げる鐘の音が、響き渡った。
いけない。ファティカ様に遭遇しないよう、鐘の音が鳴る前に研究室へ戻らなければならなかったのに。
生徒たちが教室移動に動き出す前に、ここを離れなければ……!
私はメモ帳をしまい、慌てて駆け出す。
一先ず、近くの教材倉庫に身を潜めよう。
生徒たちが教室から出てくる音を聞きながら、私は階段を下り、教材倉庫を目指す。
と――下の階から、こんな声が聞こえてきた。
「へぇー、ファティカちゃんて特待合格なんだ! すごいね!」
楽しげな女子生徒の声で紡がれる『ファティカ』という名前に、私は踊り場でピタッと足を止める。
そして、
「そ、そんなことないよ。実技がたまたま上手くいっただけで、筆記はギリギリって感じだったし……」
その後に続く控えめな、可愛らしい声。
……間違いない、ファティカ様だ。
ファティカ様が階段を上り、今まさに、こちらへ向かって来ている。
(ど、どうしよう……このままじゃ鉢合わせちゃう……! とりあえず戻って、どこかの教室に逃げ込んで……でも、ファティカ様がどの教室に向かわれているかわからないし……!!)
万事休す。こんなことなら、ファティカ様の時間割をジンさんからもらっておくべきだった。
とにかく上の階に戻らなくてはと、踊り場で
――ぐいっ。
誰かに、手を引かれた。
思わず「きゃっ」と悲鳴を上げると……
次の瞬間。
私の視界は、暗闇に包まれていた。
「……え……」
突然世界が真っ暗になったこと、そして……誰かに抱き留められているような感覚に、私は困惑する。
私の身体をすっぽりと包む長い腕と、広い胸。
それから……覚えのある、甘い匂い。
これって、もしかして……
「じっ……ジンさん……っ?!」
「静かに。ファティカが来る。じっとしていろ」
私の頭の上で、ジンさんが言う。
彼がいて、辺りが暗いということは、ここは影の中の世界なのだろうか?
私がファティカ様と鉢合わせそうになっていることに気付き、魔法で隠してくれたのか……?
いくら眼を動かしても、何度まばたきをしても何も映らない、完璧なまでの"暗闇"。
まるで深い海の底にいるように、ファティカ様たちの声が遠くからぼんやりと聞こえてくる。
初めて体感する影の世界に戸惑うが……それ以上に私は、『ジンさんに抱き締められている』という事実にひどく動揺していた。
背中と頭の後ろに回された、大きな手。
密着した箇所から伝わる温もり。
そして……胸から聞こえる、彼の心音。
「…………っ」
どうしよう。
ドキドキしすぎて、おかしくなりそう。
身体が熱い。
息の仕方がわからない。
私の心臓の音、聞かれちゃってたりしないよね……?
緊張と恥ずかしさに耐え切れなくなり、私は少しでも密着度を緩和させようと、彼の腕の中で身じろぎする。
すると、
「……っ、こら……あまり動くな」
ジンさんに、囁くように叱られた。
その声は、珍しく余裕がないように聞こえて……
どんな顔をしているのか見たくなるが、ここは影の中。見上げたところで、やはり何も見えはしなかった。
私が顔を上げたことを察したのか、ジンさんは笑みを溢すような息遣いをすると、
「……顔が見れなくて残念だと思っていたが……こちらの顔も見られずに済んだのなら、かえって好都合だったな」
そんなことを、小さく囁いた。
それって……
ジンさんも今、私に見られたくないような顔をしているってこと……?
そう
代わりに、私の腰をギュッと抱き寄せると、そのまま上に持ち上げるように引っ張った。
直後、私の視界に光が戻る。
水の中から上がるような感覚の後、気がつくと私は、元の踊り場に立っていた。
足元には、窓からの日光が作るわずかな影。
恐らく、この狭い影の中に隠れていたのだろう。
周囲に人がいないことを確認し、私は……ジンさんに向け、深々と頭を下げた。
「も……申し訳ありませんでした! ぼーっとしていて、撤収するのが遅れました!!」
反省と後悔に、ぎゅっと瞼を閉じる。
本当に、大失態だ。
私のせいで彼の
きっと協力者としての信用も地に落ちた。この場で雇用関係の解消を言い渡されてもおかしくはない。
頭を下げたままジンさんの言葉を待っていると……コツ、と靴を鳴らし、彼がそっと近付いてくる。
「……メル、顔を上げろ」
低い声で言われ、私はビクッとしてから、恐る恐る顔を上げた。
……きっと、「失望した」と言われるに違いない。
厳しい言葉を覚悟し、彼を真っ直ぐに見つめるが……
そんな私の顔を、彼はジロジロといろんな角度から覗き込み、こんなことを言った。
「……ふむ、顔色は悪くないな。瞳孔も問題ない。先ほど抱いた限りでは、心音が異様に速く感じたが……今は少し落ち着いているようだ」
まるで医師が患者を診るようなセリフに、私は「へっ?」と間の抜けた声を上げる。
ジンさんは、心配そうな目で私を見つめ、
「大丈夫か? 講義を聞いて気分が悪くなり、それで戻るのが遅れたのか?」
優しい声音で、そう尋ねてきた。
その言葉を聞き、私は……泣きそうになる。
こんな失態を犯したのに、叱るより先に、私の心配をしてくれる。
その優しさが嬉しくて、切なくて……ふるふると首を横に振る。
「ち……違います。ただ、考え事をしていて……それで……」
「そうか、ならよかった。くれぐれも無理はするなよ」
と、咎めることもなく歩き出そうとするので、私は思わず彼を止める。
「ま、待ってください!」
「ん?」
「私……こんな失敗をしたのに、一緒にいてもいいんですか?」
疑問をそのまま口にすると、彼はゆっくりとこちらを振り返り、柔らかく笑う。
「先ほどのような事態が起こることは想定済みだ。その上で、君に講義を聞くよう勧めた」
「どうして……だって、『祝賀会』の日までは接触を避けた方がいいんじゃ……!」
「もちろん接触しないに越したことはないが、仮に鉢合わせたとしても大きな問題にはならない。転職先がたまたま
そして、その柔らかな笑みを不敵なものに変え、
「残念ながら、こんなことくらいで君を手放すつもりはない。君にはまだまだ、側にいてもらわないと困るからな」
なんて、面白がるように言うので……ますますわからなくなる。
「……なんで……」
声が震える。でも、構わずに続ける。
どうしても……彼に聞きたいことがあるから。
「なんで……そんなに優しくしてくれるんですか? 私なんか学も力もないし……こうやって、つまらないミスであなたの計画を台無しにするかもしれない。なのに、どうして側に置いてくれるんですか?」
それは、心の奥でずっと抱いていた疑問だ。
彼は雇用主で、私は協力者。
この関係は、『復讐』のためだけに結ばれた一時的なもの。
なのに、どうして彼は……こんなにも私に、優しくしてくれるのだろう?
私の問いかけに、ジンさんは……驚いたように目を見開く。
それから、その目をスッと細め、神妙な面持ちで呟くように言う。
「そんなことを聞かれるとは……これは早急にシナリオを修正する必要があるな」
「……え?」
「いや、こちらの話だ」
「……?」
「……メル。一つ言っておくが……俺は、誰にでも優しいわけじゃない」
その言葉の意味を、私が懸命に考えていると……
先に答え合わせをするように、ジンさんが微笑む。
「――君は、『俺が優しく扱うに値する人間』だ。だからもう、『私なんか』と自分を卑下するな。次言ったら……もっと狭い影の中へ引き摺り込むからな」
「なっ……!」
先ほどの密着状態を思い出し、私は「ボッ!」と頭から湯気を噴き出す。
それを、ジンさんはニヤリと満足げに眺め、
「なるほど。俺の腕の中にいた時もそんな顔をしていたのか。実に愉快だ」
「ち、違います! もっと余裕な顔していました!!」
「本当か? その割には心音が凄まじかったが」
「っ……! そういうジンさんこそ、珍しく余裕のない声を出していたじゃないですか! 私とぴったりくっついて、どんな顔をしていたんですか?!」
「それは……」
「それは?!」
「…………秘密だ」
「はぁぁ?!」
「はは。君が俺のシナリオに乗ってくれれば、いつか見られるかもしれないな」
「ちょ……それ、どういう意味ですか?!」
聞き返す私を無視して、ジンさんは笑いながら階段を下りて行く。
本当に、掴みどころのない人。
でも……だからこそ。
この人のことをもっと知りたいと、そう思ってしまうのかもしれない。
白衣の奥に隠された、火傷の痕。
彼のシナリオに乗れば、いつかその理由も、痛みも、知ることができるのだろうか?
なんて……
「ま……待ってくださいよ! ねぇ!」
その答えを求めるように、私は手を伸ばし、彼の背中を追いかけた。
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