19 魅惑の個人授業


 心配するジンさんを見上げ、誤魔化すように笑みを浮かべていると……彼は私の額から手を離し、珍しく暗い顔で俯いた。


「失態だ……俺としたことが」


 そう呟くと……左手に持っていた紙袋をクシャッと握りながら、肩を落とし、こう言った。


「君が貧血を起こしているとも知らずに、昨日と同じ味のスコーンを買って来てしまった……こんなことなら鉄分が豊富な『ブルーベリーとラズベリー味』を買うべきだった……本当にすまない」

「えぇっ?!」


 目を伏せるジンさんの言葉に、思わず声を上げる。

 まさか、わざわざ昼食を買って来てくれるなんて……申し訳なさに、私はあわあわと手を振る。


「あ、謝らないでください! むしろ気を遣わせてしまい、申し訳ありません!!」

「いいや、君の希望を聞かずに先走ってしまった……連日軽食で済ませず、もっと栄養価の高い食事にするべきだったな。それに……」


 ……と、ジンさんは研究室の中を見回し、


「……部屋を、片付けてくれたのか」

「へっ? あ、はい。することがなくて暇だったので……」

「体調が悪いなら安静にしていてくれ。それとも、掃除中に目眩を起こしたのか?」

「いやぁ……そういうわけでは…………」


 咄嗟に「貧血だ」と言い訳した罪悪感にじわじわと苛まれ、私が目を逸らすと……

 ジンさんは、机の上の資料が動いていることに気付いたらしく、例のレポートをパラパラと捲った。


「……これを、読んだのか?」


 ビクッと、私は肩を震わせる。

 そして、恐る恐る彼の方を見ながら……素直に、肯定した。


「は……はい。読みました」

「なるほど……それで嫌な過去を思い出し、具合が悪くなったのか」


 はい、バレました。

 

 稚拙な誤魔化しを見破られ、私はダラダラと冷や汗を流す。

 そんな私の顔を、ジンさんはずいっと覗き込み、目を細めながら言う。


「言ったはずだ。俺に虚勢は通用しないと」

「ご、ごめんなさい……」

「それで……体調は?」

「……へ?」

「顔色が悪い。よほど辛いことを思い出したのだろう。大丈夫か? 落ち着くまで、無理に笑わなくていい」


 そう、優しく言いながら……

 私の頬にそっと、手を添えた。

 

 てっきり叱られると思っていた私は、その手の感触に、私を見つめる瞳に、ドキッと胸を高鳴らせる。


「すまない。俺が昨日あんなことを言ったから、君はこれを読み、辛いことを思い出してしまったのだな」

「ち……違います。これは、私が勝手にやったことで……私が、自分の能力について知りたいと思ってやったことなんです。ジンさんのせいじゃありません」

「それでも、自己分析の正しい手順を伝えなかった俺の過失だ。精霊の力は、心の最も弱い部分と繋がっている。踏み入るにはきちんとした手順を踏まなければならない」

「手順……」

「そう。それを生徒に説くのが、教師としての俺の仕事だ。君が本当に自分の能力について知りたいと思うのなら……やはり、明日からの講義を聞いてもらうのが良いだろう」


 そう言って、彼は私の頬から手を離した。


 ……まだ、胸がドキドキしている。

 あんな自然に頬に触れてくるなんて……これが自己肯定感の高い美形の距離感。私には、あまりにも刺激が強すぎる。


(いやいや。落ち着け、メルフィーナ。彼は紳士的な振る舞いとして、心配して触れただけ。きっと他の女の子にも同じことをするんだから)

 

 未だおさまらない鼓動に胸を押さえていると、ジンさんは昨日と同じように机の端に腰掛け、紙袋からスコーンを取り出しながら私に言う。


「昼食は食べられそうか? 他のものが良ければ買い直して来るが」

「だ、大丈夫です。本当にすみません……ありがとうございます。いただきます」


 私は呼吸を整えながらスコーンを受け取り、椅子に座る。出来たてを買って来てくれたのか、手にしたそれは、まだ温かかった。

 

 そのぬくもりに少しほっとし、私は冷静になる。そうだ。今は私なんかの話をしている場合じゃない。

 

 私はジンさんを見上げ、気になっていたことを尋ねる。


「入学式はどうでしたか? ファティカ様の姿は見えましたか?」

「あぁ。少し緊張しているようだったが、体調は悪くなさそうだ。少なくとも、今の君よりは顔色が良かったな」

「はは……それならよかったです」


 苦笑いしつつ、私は安堵する。

 私のせいでファティカ様にも酷い罰が与えられていたらどうしようかと思っていたが……無事に入学できたようだ。


「ファティカ様を含む一年生も、明日から授業が始まるんですよね?」

「あぁ。事前の履修選択で、ファティカは俺の講義を選んでいる。俺が直接指導する機会もあるだろう」

「おぉ……ジンさんとファティカ様が先生と生徒として出会うなんて、なんだか不思議です」

「君は裏側から見ているせいでそう思うかもしれないが、ファティカにしてみれば必然だ。当たり前だが、『祝賀会』の時までは他の生徒と同じように接する」

「じゃあ私は、ファティカ様と被らない時間帯でジンさんの講義を聞きますね。生徒さんの邪魔にならないよう、廊下でこそっと聞き耳を立てさせてもらいます」

「……本当にいいのか? 先ほどのように辛くなるなら、無理強いはしない」

「何を言っているんですか。魔法学院の講義を受けられる千載一遇のチャンスですよ? この機を逃すわけにはいきません」


 それに……ここで専門知識を身に付け、治癒力に磨きをかければ、次の仕事を探す時に役立つかもしれないし!

 ……という内心は、心の中に留めておく。

 

 私の返答に、ジンさんは心配そうな顔をした後……ふっと小さく笑い、


「では、いつも以上にしっかりと講義の準備をしなくてはな。君に聞かれていると思うと、俺も背筋が伸びる思いだ」

「い、いえいえ。私のことは気にせず、いつも通りでいてください」

「そうもいかない。教師というのは、全ての生徒に届くように講義しなければならない。廊下に一人、君という熱心な生徒がいることを常に念頭に置いておこう」


 そう、柔らかな声音で言った。

 

 もう……この人は。

 ちょっと嬉しくなるようなことをサラッと言えるところが、本当にズルい。

 

 そんな思いでジンさんをジトッと見ていると……逆に、彼にもじっと見つめ返される。


「な……私の顔に、何か付いていますか?」

「いや、よくよく考えてみれば、君は生徒でもおかしくない年齢だったな。いっそ制服を着て、教室に紛れ込むか?」

「は?! そ、そんなの無理に決まってますよ!!」

「そうだろうか? あの制服は君によく似合いそうだし……ふむ、どうにかして手に入れられないものか」

「駄目ですって! いくら制服を着ていても、見慣れない顔がいれば流石にバレますよ!」

「なら、屋敷うちをする時にでも着てもらおう。制服に着替えた方が、いろいろと雰囲気も出るからな」

「こっ、個人レッスン……雰囲気……?!」


 その場面を想像し、私は顔を熱くする。

 

 制服を着た私と、教師なジンさんが、お屋敷で二人きりで個人レッスン……

 それって、なんかこう……ちょっとイケナイ感じがするのですが……?!

 

 俯き震える私に、ジンさんがくすりと笑い、


「……ふふ。なかなか悪くないだろう?」


 と、私の妄想を見透かしたように言う。

 私が「へっ?!」と顔を上げると……ジンさんは、机の上から身を乗り出すようにして私の顔を覗き込み、

 


「――知りたいことがあれば、俺が何でも教えてやる。君が理解するまで、手取り足取りみっちりと……な」



 なんて、妖しく笑いながら、低く囁くので……

 私は、未だかつてない速さで脈打つ心臓の音に、呼吸の仕方を忘れる。


 何コレ……なんなのコレ?!

 だ、駄目だ……頭の中が、一気にピンク色になって……ころされる……この人の色気に、ころされる……っ!?


 強すぎる色香に当てられ、私がぐるぐる目を回していると……

 ジンさんが、目の前で「ふっ」と吹き出し、


「あはは。君は本当に面白いな。顔が茹で蛸のようだ」

「なぁっ?!」


 こ、この人は……また私の反応を面白がって……?!


「だ……だから! そういう意地悪はやめてください!!」

「意地悪? 俺は君に魔法学を教えようとしているだけだが?」

「うっ……でもでも、言い方に悪意があります! 勘違いさせるようなコト言わないでください!!」

「ほう、それは悪かった。で? 君は一体、どんな勘違いをしたんだ?」


 ニヤリと笑うジンさん。私は墓穴を掘ったことに気付き、ギクッと震える。

 

 い、言えない……そんな……ちょっとイケナイ雰囲気な場面を想像しちゃいました、だなんて……!!

 

「そ、それは……」

「それは?」

「え、えぇと……」

「…………」

「………………っ」

「……ふふ、冗談だ。それだけ元気なら、もう大丈夫そうだな」


 ぱっ、と離れるジンさんに、私は「ふぇっ?」と間の抜けた声を上げる。

 

 もしかして……私の気分を変えるために、わざとこんなやり取りを……?


 その答えを求めるように見つめる私に、彼はやはり悪戯な笑みを浮かべ、


「それはそうと……先ほどから口の横にチョコが付いている。今のうちに拭くといい」

「へっ? うそっ?!」

「これを食べたら出掛けるぞ。俺のエプロンを買いに行かなくてはな。どんなデザインのものが良いか……君に、選んでほしい」


 楽しげに笑いながら、そう言った。



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