18 精霊魔法の因果律
「――そうは言われたものの、難しい本なんて読んだことないしなぁ……」
翌日。
ウエルリリス魔法学院の、入学式の日。
例によってなかなか起きて来ないジンさんを叩き起こし、昨晩焼いたローストチキンの残りを挟んだサンドイッチを与え、今日もなんとか馬車に乗り込むことができた。
昨日彼と話した通り、私はまだファティカ様と接触するわけにはいかない。
だから、ジンさんが入学式へ向かった今、私は一人彼の研究室で待機中、というわけだった。
窓の外には、学院の正門が見える。
軍服に似たブレザーの制服を纏う生徒たちが、続々と校舎に入って行く。
きっとあの中に、ファティカ様もいるのだろう。
ジンさんは入学式に参列した後、明日からの講義や学院生活について説明するオリエンテーションにも参加する。
つまり私は、お昼頃までやる事なし。手持ち無沙汰で研究室内の掃除を始めたが、それもすぐに終わってしまった。
そこで、昨日ジンさんに言われた言葉を思い出し、魔法について学ぼうと本棚を眺めていたのだが……どれも難しそうで、既に気後れ気味だった。
「私に、まだ自覚していない『本当の力』なんてあるのかな……?」
正直、今の力のままでも十分に恵まれていると思っていた。
何の訓練も受けていないのに、傷付いた人を瞬時に癒すことができるのだから、これ以上の力を望むなんて烏滸がましいとさえ思う。
けど……
ジンさんは、そんな私の力に興味を抱いているらしい。
ならば、彼の研究の役に立てるよう少しくらいは勉強してもいいかな、とも考えていた。
(……そういえば、ジンさんってどんなことを研究しているんだろう?)
一口に『魔法』と言っても、その研究分野は多岐に渡る。
実戦的な技術はもちろん、歴史学に宗教学、人文学に社会学……人々の生活に密接な関わりを持つため、様々な視点からの研究がなされているのだ。
昨日、他の先生方の専門分野については聞き取ったが、肝心のジンさんには尋ねたことがなかった。
私は研究室内の資料を見回し、ヒントになるものがないか探す。
と、彼のデスクの上に、紐で綴じられた紙の束を見つけた。
流麗な字で書かれた、レポートのようなものだ。その表紙には……
「『精霊魔法における能力の種類と、個人の経験および内面世界に纏わる因果関係について ジン・アーウィン』……」
タイトルからして既に私の理解の範疇を超えているが……これがジンさんの手で書かれたレポートであることだけはわかった。
私は少しの緊張感を覚えながら、そのレポートを、ゆっくりと捲り始めた。
――そこに書かれていたのは、人々に宿る精霊魔法の種類と、何故その能力がその人に宿ったのかという理由を追求した研究の結果だった。
十三歳の誕生日に授かる、自分だけの魔法の能力……その種類は、千差万別だ。
私のような治癒の力もあれば、水や炎を生み出し操る力、手を触れずに物体を動かす力、空間を自由に浮遊する力、自身の筋力を倍化させ、超人的な身体能力を発揮する力まであるらしい。
それらは全て、無作為に宿るものだと考えられていた。
精霊王・エレミアが気まぐれに与えるギフトなのだと……だからこそ、宿る能力に家系や遺伝は関係ないのだと、そう考えられてきた。
しかしジンさんは、その能力が宿るのには理由や法則があるのではと考え、二百人以上を対象に調査した。
そこから見えてきたのは――『魔法の能力は、その人が十三歳に至るまでに経験した"最も辛い出来事"に関連している』という、まったく新しい定義。
海で溺れ、死にかけた経験を持つ人には、水を自在に操る能力が宿った。
飢饉に苦しんだ経験を持つ人には、野菜や果実を瞬時に成長させる能力が宿った。
このように、調査した人の九割以上に、経験と能力との強い因果関係が見られた。
恐らく、その人が深層心理で恐れているものを排除するような力を精霊が与えているのだろう。
しかし、魔法の能力というのは、訓練しなければ使いこなすことができない。
魔法学院で専門的な指導を受けても、自身の本領を発揮できないまま卒業する者も多くいる。
それは、自身の能力の"本質"を正しく理解できていないからだ。
与えられた能力が過去の経験に基づくものであることを理解すれば、力の開花に繋がる糸口を掴むのは容易になる。
このことが魔法学界の、ひいては教育指導の常識となれば、より多くの優秀な人材を発掘することに繋がり、この国のますますの発展を齎すに違いない。
……レポートは、そのような文言で締め括られていた。
学のない私が読んだため、所々に解釈の齟齬があるかもしれないが……ここに書かれていることは、私の魔法に対する常識を大きく覆すものだった。
世間の多くの人が考えているように、私も魔法の能力はランダムに宿るもので、そこに因果や法則はないのだと思っていた。
それが、まさか……自身の過去に起因した能力だったなんて。
この事実は、魔法学界でも大発見だったに違いない。
これまでの常識を破るような研究結果が認められたからこそ、ジンさんはあの若さで魔法学院の教員に着任できたのだろう。
「ジンさんて……本当にすごい人だったんだ」
漠然と「すごそう」とは思っていたが、功績の実態を知り、すごさが明確になった。
これまで無遠慮な口調で文句を言いまくっていたが……とんでもなく畏れ多いことをしていたのかもしれない。
……これからは、「先生」を付けて呼ぼうかな。
なんて、苦笑いしながらレポートを閉じる。
そして、読み込んだ内容を踏まえ、あらためて考えてみる。
私に隠された、"本当の能力"について。
私が持つ、治癒の能力……それが私の経験に起因しているというのなら、すぐに思い当たるものがあった。
十一歳の時に経験した、母の病死だ。
母は、全身の骨が徐々に溶けるという奇病にかかり、激痛に苦しみながら死んでいった。
その痛みから解放してあげたいと、私は強く願っていた。だからこそ、私に治癒の力が宿った……ジンさんの研究結果を元にすれば、こう考えられるだろう。
つまり、私の能力に纏わる因果関係は、実に単純明快というわけだ。これ以上、追求しようがない程に。
(……そう。それ以上でも、それ以下でもない。私は……母さんを癒したかった)
――脳裏に蘇る、あの頃の記憶。
冷たい空気。
病院のにおい。
病室から聞こえる呻き声。
そして……カーテンの先に横たわる、弱り果てた母。
その母が、剥き出しの双眸を向け……私に言う。
『メルフィーナ……痛いの……とても痛いの……お願い、どうか……どうか、お母さんを…………』
「…………っ」
心臓が、激しく脈を打つ。
額から汗が溢れ、身体が冷たくなり……
私は脳内の情景を振り払うように、首を振った。
……駄目だ。あれから七年も経つのに、あの時のことを思い出すと、未だに身体が震える。
私は深呼吸をし、額の汗を拭う……とそこで、研究室の扉が開いた。
ジンさんだ。いつの間にか、彼が戻る時間になっていたらしい。
「じ、ジンさん……お疲れ様です。入学式、どうでしたか?」
私は早鐘を打つ鼓動を隠すように、にこやかに笑う。
が、ジンさんはすぐに私に近付くと、顔を覗き込み、額に手を当てながら、
「大丈夫か? どこか、具合でも悪いのか?」
心配そうに、そう尋ねてきた。
その優しい声が、額に当てられた手のぬくもりが、今の私にはひどく温かく感じられて……胸の奥が、ぎゅっと苦しくなる。
でも、駄目。
ここで泣いたら、彼を困らせてしまう。
私は、今度こそ上手く取り繕えるようにと、
「……大丈夫です。ちょっと貧血を起こしちゃって……ありがとうございます」
もう一度、笑顔でそう答えた。
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