17 不器用なキッチン


 ――昼食を終えると、私はジンさんの案内で学院内を見学した。

 

 大講堂に図書館、実技演習場に礼拝堂。そして、三週間後に『入学祝賀会』が催されるイベントホールなど。

 どこもかしこも豪華で煌びやかで、私は終始圧倒された。


 そうして学院を後にしたのは、日が傾きかけた頃だった。

 行きと同じく馬車に乗り、城塞区域を出て、城下町へと下る。

 

 途中で馬車を降り、私たちは食材の買い出しをした。

 王都のお店を回るのは初めてだが、さすがは流通の中心地。見たことのない食材や調味料がいくつもあって、ついつい目移りしてしまう。

 とりあえず直近で必要なものだけを買い、そのまま歩いてジンさんのお屋敷へ帰り着いた。


 


「――では、晩ご飯の支度を始めますね」


 ワンピースの袖を捲りながら、私はキッチンに立つ。

 買ってきた食材はジンさんが運び込んでくれた。袋の中から一つずつ取り出し、「これは切って、これは下味を付けて……」と仕分けしていると、


「…………」


 なにやら視線を感じ、私は手を止める。

 と、真横にジンさんが立ち、私のことをじっと見つめていた。


「……あの……何か?」


 私が尋ねると、彼はどこからか取り出した布のようなものを、ふぁさっと広げてみせた。

 両手で掲げられたそれは――真っ白でフリルがいっぱいの、可愛らしいエプロンだ。


 目を点にする私に、彼はずいっとそれを押し付け、真顔で言う。


「これを着るといい。君のために用意した」

「あ……ありがとうございます」


 確かに、仕事着を汚さないためにもエプロンは必要か。

 と、着ながら納得する一方で、


「……うん、やはりよく似合う。そのワンピースに合わせると実に愛らしい。俺の見立てに狂いはなかったな」


 顎に手を当て、一人頷くジンさんを見ると……なんだか服装について褒められることが多いような気がして。


(何事も形から入るタイプなのか……それとも、私のことを着せ替え人形か何かだと思っている……?)


 と、そんな疑念が湧かないでもなかった。

 

 エプロン姿を褒められ、少し照れ臭く思っていると、ジンさんはそのまま私の隣へ近付き、


「それで、何をすればいい?」

「えっ?」

「俺も夕飯作りに参加する。火を扱うのは難しいが、それ以外のことならできる。指示をくれ」

「そんな、いいですよ。ジンさんは雇用主なんですから、ゆっくり休んでいてください」

「俺は君を秘書として雇ったのであって、家政婦扱いするつもりはない。よって、家事は分担する」


 真剣な表情で断言され、私は何も言い返せなくなる。

 料理などの家事も仕事の内であると勝手に認識していたが……どうやら彼にそのつもりはなかったらしい。

 

 なんだか申し訳ない気もするが、きっと反論しても聞かないだろう。ここは大人しく、お言葉に甘えることにする。


「ありがとうございます。では、野菜を洗って、切るところまでお願いできますか? あと、ベーコンも」

「わかった。大きさはどうすればいい?」

「ポトフにするので、一口大で大丈夫です」


 ジンさんは頷くと、ワイシャツの袖を捲り、野菜を手に取った。

 スーツのジャケットを脱いだだけの装いでキッチンに立つ姿にはなんとも違和感があるが……既にテキパキと洗い始めているため、指摘しないことにした。

 代わりに、


「……今度、ジンさんのエプロンも買いに行きましょうか」


 鶏肉に下味を付けながら、思いついたことをそのまま口にした。

 が、言った後ですぐに後悔する。


 私が屋敷ここにいるのは三週間だけ。

 私がいなくなれば、ジンさんはまた一人で外食生活に戻るだろう。

 エプロンなんて、あっても使わないのに……私は何を言っているのだろう。

 

 撤回しなくては。

 そう思い、再び口を開く……その前に、


「あぁ、明日にでも買いに行こう。これからは毎日、台所に立つ予定だからな」


 ジンさんが背を向けたまま、迷いなく答えた。

 思わず「へ……?」と聞き返すと、彼は水をきゅっと止め、


「『料理をする男はモテる』と友人から聞いた。今日から俺は、料理をする男になる」


 私の方を振り返りながら、小さく笑った。

 友人とは、例の『勝手に料理をしに来る人』のことだろうか……? 彼の下心のある動機に、私はジトッとした目で見つめ返す。


「へぇー。ジンさんみたいな人でも、女性にモテたいって思うんですね」

「何だその目は。言っておくが、『不特定多数から好意を寄せられたい』という意味ではないぞ? 仲を深めたい淑女レディの前で良いところを見せたいだけだ」

「はいはい。それじゃあ良いところ見せるためにも野菜のカットをお願いしますね」


 話を切り上げるように言って、私は視線を手元に戻す。

 

 きっと、いつも料理をしに来てくれるご友人に良いところを見せたいのだろう。

 だから今のうちに練習をして、私がいなくなったらそのご友人と二人でエプロンを付けながら、仲良く料理をするつもりなのだ。


(……なるほど。私はそれまでの練習台というわけね)


 ふ、と息を吐きながら、鶏肉をオーブンに入れる。

 この屋敷のキッチン設備は、使われていないのがもったいないくらいに充実していた。ジンさんが女性とイチャイチャしながらでも料理するようになれば、この立派なオーブンも報われるだろう。

 

 私が考えた夕食のメニューは、ベーコンと野菜のポトフと、今しがたオーブンに入れたハニーローストチキンだ。

 あとはチキンを焼いている間にポトフを煮込めば……と、鍋を取り出そうとした、その時。


「……っ」


 ジンさんが、小さく息を飲んだ。

 彼の方を見ると……左手の人差し指から、血を流していた。


「だ……大丈夫ですか?!」

「あぁ。包丁で切った」


 平坦な口調で答えているが、けっこうザックリいったようで、指からは真っ赤な鮮血がとめどなく溢れていた。


「手、貸してください。すぐに治癒します」


 彼の手を取り、私は右手を掲げる。

 そして、意識を集中させ――治癒魔法を発動させた。

 

 私の中を流れる"気"が手のひらに集まり、温かな熱を帯びて放たれる。

 すると、彼の傷口が、みるみる内に閉じ始めた。

 

 その様をじっと見つめ……ジンさんが呟くように言う。


「君が他人を癒す様は何度も目にしたが……実際に受けてみると、実に不思議な力だ」


 そうして、彼の傷はあっという間に塞がった。

 まるで傷付いた事実自体を消し去ったように、指には痕一つ残っていない。

 

 そんな自分の指を眺めた後、ジンさんは私の手をぱっと取り、


「君は、本当に魔法に関する訓練を受けた経験がないのだな?」


 目を覗き込むように言うので、私は手を握られていることにドギマギしつつ、首を横に振る。


「な、ないですよ。孤児院を出てからずっと使用人として働いていたんですから」

「となると……君の本来の力は、まだ眠っているのかもしれない」

「え……?」

「この治癒力は、君が持つ本当の能力のほんの一部かもしれない、ということだ」

「本当の、能力……」


 私は口を開け、言葉を失う。

 そんなこと、考えたこともなかった。精霊の気まぐれで、たまたま最初から魔法を上手く扱えているのだと思っていたから。

 

 唖然とする私の手を、ジンさんはきゅっと握り、


「君の能力には俺も興味がある。君さえよければ、俺の講義を聞いてみないか? 研究室にある資料や文献も自由に閲覧して構わない。自分の本当の力を知るきっかけが、きっと見つかるだろう」


 知を探求する研究者の目で、そう言った。



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