13 知っていること、知らないこと


「――君のお陰で遅刻せずに済んだ……重ねて礼を言わせてくれ、メル」



 魔法学院へと向かう馬車の中。

 ジンさんは私の向かいで、申し訳なさそうに頭を下げた。

 

 あの後、ジンさんはテキパキと準備を進め、朝食をしっかり食べ、予定していた馬車へ時間ぴったりに乗り込んだ。


「……君の方はどうだ? ゆっくり眠れたか?」

「はい、お陰様で」

「そうか、それならよかった」

 

 そう言って頷くジンさんは、かちっとしたスーツに身を包み、髪もかっこよく整えられ、完璧な美青年オーラを放っている。三十分前まで枕を抱いて眠っていた人物だとは、誰も思わないだろう。

 

 聞くべきか迷ったが……今後のことを考え、私はこう切り出すことにする。

 

「あの…………ジンさんて、朝弱いんですか?」

「あぁ、弱い」


 スパッと答えるジンさん。うん、気持ち良いくらいの即答だ。

 見た目や立ち振る舞いから、抜け目のない完璧人間だと思っていたのだが……彼にこんな弱点があったなんて、意外すぎる。


「今まではどうしていたんですか? まさか、遅刻し放題だったとか……?」

「いや、遅刻をしたことはない。もう少しすると、朝を告げる街の鐘が鳴るんだ。それで何とか起きていた」


 彼が言った直後、ちょうど鐘の音が「ゴーン」と響き始めた。それを聞きながら、私はさらに尋ねる。


「でも、この時間に起きたらかなりギリギリじゃないですか?」

「起きてすぐに支度をし、馬車に駆け込めばなんとか間に合う。そうしてこれまで数多あまたの死線を潜り抜けてきた」

「それは死線とは言いません、ただの怠慢です。ていうか、部屋をあんなに真っ暗にしているから起きられないんですよ。朝日が入るようにすれば、自然と身体が起きますよ?」

「暗くしないと眠れないたちなんだ」

「はぁ……わかりました。今後も間に合いそうになかったら、私が起こしに行っていいですか?」

「そうしてくれると助かる。言いそびれていたが、朝食の用意までさせてしまいすまなかった。とても美味かったよ、ありがとう」


 そう言って、ジンさんはにこっと微笑む。寝坊について嗜めていたはずが、不覚にもドキッとさせられ、私は思わず目を逸らす。


「あ、あんなの、ただ食材を焼いてパンに乗せただけですから、用意した内に入りません」

「そんなことはない。いつも朝食を抜いている俺にしてみれば、手製の豪華な食事だ。君がわざわざ手間をかけてくれたことに価値がある」

「……ジンさんは、あまりお料理とかされないんですか?」

「しないな。というより、できない」

「……できない?」

「……火が、苦手なんだ」


 思いがけない返答に、私は彼を見つめる。

 が、その理由までは語るつもりがないのか、口を閉ざしたままだった。

 

 ……きっと、何かしらのトラウマがあるのだろう。

 聞くべきではないと思い、私はこう返すことにする。

 

「なら……明日からも、私が作りましょうか?」

「いいのか? 君が嫌でなければ、ぜひお願いしたい」


 なんて、キラキラとした期待の眼差しを向けられ……なんだか無性に照れ臭くなり、再び目を逸らす。

 

「じゃあ、後で食材を買いに行かせてください。何もなくて困ったので」

「もちろんだ。うちには食材らしい食材がないからな。あのベーコンやパンも、先日が来て置いて行ったものだ」

「え、ご友人が?」

「あぁ。時々来て、勝手に料理をして、残った食材を置いていくんだ。パンであればジャムを塗って食べられるが、肉や魚は火入れしなければならないから、毎回処分に困っていてな」


 勝手に料理をしに来る友人、って……女性だろうか?

 考えてみれば、これだけ眉目秀麗なのだから、世話を焼きたがるガールフレンドの一人や二人いてもおかしくない。あの家に居れば、いつかそのご友人とやらにお会いすることもあるのだろうか?

 

 そんなことを考えていると……ジンさんがじぃっと、私のことを見つめてくる。

 意図がわからず、私はドキッと身構える。


「な……なんですか?」

「先ほどから思っていたのだが……君は装い一つで随分と印象が変わるな」

「へっ?」

「メイド服を着れば使用人に、修道服を着ればシスターに、そして、このフォーマルな服を着ればちゃんと秘書に見える。これは一種の才能だ」

「そんな、才能だなんて……大袈裟ですよ」

「いや、この適応力を見るに、君は潜入捜査に向いていそうだ。どうだ、俺の代わりに組織へ潜入してみないか?」

「は?!」

「君なら怪しまれずに、敵の幹部に近付くことができるかもしれない」

「む……無理ムリ! 絶対にイヤです! いくら雇用主の命令でも、それは本当に……!」

「……というのは、もちろん冗談だ」


 必死に拒絶する私に、ジンさんがさらっと言う。

 そして、優しく目を細めながら、


「……すまない。『とても良く似合っている』と言いたかったんだ。昨日までの清楚な修道服も良いが、その装いは君の麗しさをより引き立てている。俺の見立てに間違いはなかったな」


 そんなことを、真っ直ぐに言うので……私は揶揄からかわれたことに対するいきどおりよりも、『麗しい』と言われたことへの恥ずかしさの方が勝ってしまい、顔を背ける。


「あ……あなたは、いちいち意地悪を挟まないと喋れないんですか?!」

「そうだな。君が狼狽うろたえる様を見ると、何故だか活力が湧いてくる」

「どういう原理?! ていうかこの服、サイズがぴったりすぎて怖いくらいなんですが、どうやって用意したんですか?!」

「言っただろう? 俺はヒルゼンマイヤー家に潜入している時から君に目を付け、いろいろと調べていたんだ。当然、君の服のサイズなども把握済みだ」

「そんな犯罪じみた所業を誇らしげに語らないでくださいよ! サイズまで知られているなんて……私のこと、一体どこまで調べたんですか?!」

「名前、年齢、出身地、使用人として働くまでの経緯、勤務態度、同僚からの評価、服と靴のサイズ、ひとりごとや鼻歌が多いこと、恋愛経験はなさそうだということ」

「んなっ……!」

「それから……耳が弱いらしいということも、昨日新たにわかったな」


 口の端をニヤリと吊り上げるジンさん。

 その笑みに、昨夜、彼の魔法で視界を奪われ、耳元で囁かれたことを思い出し……かぁっと顔を熱くする。

 

 そんな私に、ジンさんはふっと笑って、


「逆に言えば、まだそれくらいしか君のことを知らない。その他のことは、これから徐々に教えてくれ。例えば……何味のスコーンが好きか、とか」

「スコーン……?」

「学院に、スコーンが美味いカフェがある。今朝のお詫びに、昼食はそこでご馳走させてくれ。君の好きな味を、何個でも買おう」


 窓からの風に髪を靡かせながら、優しく言った。

 


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