12 "秘書"の初仕事
――素敵な夕食のお礼を述べ、私はジンさんと共にお屋敷へ戻った。
まだ案内されていなかったお屋敷の一階には、暖炉のある広いリビングやキッチン、お風呂、お手洗いなどの水回りの設備があった。年季は入っているが綺麗に使われており、どこもアンティーク調の可愛らしい雰囲気に溢れていた。
お風呂をいただき、パジャマに着替え、自室のベッドへダイブする。その寝心地は、今までに寝たどんなベッドよりも心地良くて……
「ふぁ……しあわせ……」
ジンさんとの同居に対する緊張はどこへやら。一日の疲れがどっと押し寄せ、私は半ば気絶したように、眠りに就いた。
* * * *
――翌朝。
私の、秘書としての勤務初日である。
長年使用人をしていたおかげで、早起きは得意だった。いつも通り夜明けと共に起床し、身支度を整える。
仕事着は、白いブラウスの上に黒のワンピースを合わせた、フォーマルな装いだ。いつの間にかジンさんが用意してくれていたのだが、恐ろしい程に私の身体にぴったりで、少し驚く。
気合いを入れるため、亜麻色のロングヘアはポニーテールに結った。昨日までの修道女スタイルから一新、ドレッサーの鏡に映る自分は、まぁまぁ秘書っぽく見えた。
ジンさんに渡されたスケジュールによれば、今日は新学期の開講および入学式に向けた職員会議がおこなわれる予定だ。学院自体は開講前のお休み期間なので、授業はないらしい。
身支度は万全。
出発時間まで、まだ余裕がある。
「……よし」
やる気に満ち溢れている私は、朝食を作るべく、一階のキッチンへと向かった。
――そう意気込んだは良いものの、広々としたキッチンには食材も調味料もほとんどなかった。
あるのは一斤ほど残っている食パンと、ベーコン、ママレードジャムの瓶、卵が三つのみ。
……ジンさんは、あまり自炊しないのだろうか? コンロも使われている様子がなく、少し埃をかぶっていた。
こんなことなら昨日の内に食材を買っておくのだった。とりあえず、あるもので何とかしよう。
私はコンロを軽く掃除し、棚からフライパンを取り出して、朝食の準備を始めた。
――が、数十分後。
「…………遅い」
ジンさんは、一向に起きて来る気配がなかった。
出来上がったベーコンエッグトーストとジャムトーストは、とっくに冷めてしまっている。
出発時間まで、もう三十分しかない。
あんな抜け目のなさそうな人が寝坊するとは考えにくいし……既に起きていて、部屋で何かしらの準備をしているのだろうか?
それとも……体調が悪くて、動けなくなっている、とか?
「…………」
嫌な予感がし、私は椅子から立ち上がると、彼の部屋へ向かうことにした。
二階の一番奥にある、彼の寝室。
足音を殺し、そっと扉に近付くが……中から物音はしない。
ごくっ、と喉を鳴らし、私は意を決して、扉をノックした。
――コンコン、コン。
……応答はない。
体調不良の可能性がいよいよ濃厚になり、私は不安に駆られ、ドアノブを捻った。
「……ジンさん……?」
覗き込んだ寝室は、夜が明けていることを忘れるくらいの真っ暗闇だった。
分厚いカーテンが閉め切られているのか、辛うじて窓の位置がわかる程度の、心許ない朝日が漏れている。
こんなに暗くては、どこに何があるのか見えやしない。とりあえず日の光を取り込もうと、私は窓に近付き、カーテンを開けた。
ようやく全貌の見えたその部屋は、私の部屋より一回り広かった。
壁一面に立てられた本棚。
書類が山積みになった立派なデスク。
そして……部屋の中央に置かれた、大きなベッド。
そのベッドの上に、ジンさんはいた。
肌触りの良さそうなパジャマに身を包み、羽毛布団にしっかり包まれたまま――枕を抱いて、すうすう眠っていた。
……嘘でしょ、この人…………ガッツリ寝てる!?
「じ……ジンさん、朝ですよ。起きてください」
控えめに呼びかけるが、反応なし。静かな寝息を規則正しく繰り返している。
「……ジンさん! 時間です! 起きましょう!!」
今度は声を張ってみる。しかし、結果は変わらず。
大丈夫かな、これ……いくらなんでも熟睡しすぎじゃない?
呼吸が安定しているところを見るに、体調不良ではなさそうだけど……
朝日を取り込んでも駄目。大声で呼びかけても駄目。となると、次はもう身体を揺するくらいしか打つ手がない。
「…………」
そっと顔を覗き込み、布団の上から彼に触れようとしてみる。
が――その寝顔に、私は思わず目を奪われた。
至近距離で見る彼の寝顔は、彫刻のように美しかった。
それでいて、どこかあどけなさの残る少年のようにも見える。
美しくて無防備な、彼の寝顔……それを見てしまったことが、なんだかとても畏れ多いような、いけないコトをしているような気がして、なのに目を逸らせなくて、私は固まる。
(この人、こんな顔して眠るんだ……ていうか、寝るんだ)
なんて、彼のことを超人か何かのように思っていた私が、当たり前のことに感動していると……
――がばっ。
と、突然、ジンさんが身体を起こした。
私は「うわぁっ」と叫び、慌てて飛び退く。
「じ、ジンさん……お目覚めですか?」
心臓をバクバクさせながら尋ねると、彼は目を擦りながら部屋を見回し、
「……朝か」
「あ、朝です」
「……君か」
「は、はい。私です」
「……今、何時だ?」
「出発の、三十分前です」
未だ寝ぼけたように目をしぱしぱさせるジンさん。
そうして、しばらく状況を整理するように目を細めた後……
「……すまない。すぐに支度しよう」
スッといつもの真面目な表情になり、静かにベッドから下りた。
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