11 選択の理由


 眼球を動かしても、周囲を見回しても、目に映るのは果てのない暗闇。

 ジンさんの甘い香りが遠のき、手を離されたはずなのに、未だ目を覆われているように暗くて、何も見えない。

 

 これは一体……!?


「じっ、ジンさん……怖いです! どこにいるんですか?!」


 突然失明したかのようで、私はパニックになり立ち上がる。すると、


「――大丈夫だ。俺はここにいる」


 耳のすぐ横で、ジンさんが低く囁いた。

 その声と、吐息が耳にかかる感覚に、私は「ひゃあっ」と情けない声を上げる。


「今戻してやるから、そのまま動くな」


 そうして、またあの香水の香りがする。

 徐々に視界に光が戻り、何度か瞬きした後……目の前に、ジンさんの手のひらがはっきりと見えた。


「……って、いつの間に後ろに?!」


 気付けばジンさんは、私の背後に立ち、後ろから手を回していた。こんな至近距離で囁かれていたのかと、恥ずかしさのあまり飛び退く。

 その反応を楽しむように、ジンさんはにこっと微笑み、

 

「相手の目から、光を奪う魔法だ。便利だろう?」

「便利っていうか怖いですよ! いきなりやらないでください!!」

「すまない。君を見ていると、無性に悪戯いたずらを仕掛けたくなる……何故だろうな?」

「完全にいじめっ子の発想じゃないですか! 二度と私にその能力使わないでください!!」


 お洒落なお店に似つかわしくないボリュームで吠える私。ほんと、他にお客さんがいなくてよかった。

 ジンさんは満足した様子で再び席に着き、


「魔法の能力については以上だ。他に聞きたいことは?」


 優雅にコーヒーを飲みながら、質問の続きを促す。

 私は未だドキドキしたままの胸を押さえ、向かいに座り、質問を考える。重くならず、悪戯にも悪用されない質問は、何があるだろう?

 

「えっと……じゃあ、ジンさんはどうして、魔法学院の先生になろうと思ったんですか?」

「……え?」


 驚いたように、ジンさんが聞き返す。

 私は、苦笑いしながら答える。

 

「私、ヒルゼンマイヤー家を追い出されてから、次の仕事どうしようって考えた時に、やりたいことが何もなかったんですよね。得意と言えることも、特に思い浮かばなくて……」


 ……そう。頑張っていたつもりの使用人の仕事も、あんなにあっさり追放されたところを見るに、必要とされる程の力は発揮できていなかったのだろう。

 さらに言えば、天職だと舞い上がっていた聖女の仕事も、結局はただ金ヅルにされただけだった。

 ジンさんの言う通り、見栄と虚勢だけで生きて来たから……私には、"強み"と言えることが何もないのだ。


「だから……今後の参考に、聞かせていただきたいんです。魔法学院の教師という狭き門を、どうしてこころざしたのか」


 私としては、彼にとって答えやすい、明るい話題を選んだつもりだった。

 しかし……

 ジンさんは、顔から笑みを消し、一度目を伏せると、


「……俺が教師を志した理由は、ただ一つ」


 開いた目を、真っ直ぐ私に向け、

 

「――『復讐』のためだ」


 そう言った。

 その鋭い視線は、まるで闇夜に光る獣の眼のようで……私は緊張し、動けなくなる。


「……ウエルリリスは、軍部や魔法研究所といった王立機関への就職率が最も高いエリート校だ。そのため、国中の名門貴族がこぞって跡継ぎを入学させたがる。この学院で教師として勤めれば、俺が『復讐』すべき貴族たちの情報が自ずと入ってくるだろうと、そう考えた」


 彼の言葉を聞き、私は後悔する。

 まさか、教師になった理由までもが『復讐』のためだったなんて……


「そうして見つけたのが、ヒルゼンマイヤー家のファティカだ。彼女は今年度の合格者の学歴書を漁る中で見つけた。ここに至るまで十年……ようやく組織の尻尾を掴んだんだ。この手がかりを、俺は絶対にモノにする」


 殺気に満ちた、闇色の眼光。

 それを目の当たりにし、私は、ようやく理解した。

 

 私が想像するよりずっと――いや、私なんかじゃ想像もできないくらいに、彼は『復讐』のために生きている。

 

 きっと、それだけ大事な友人を奪われたのだろう。両親のいない彼の孤独を救ってくれた、特別な人だったのかもしれない。


 彼の心にある"闇"の片鱗に触れ、私は口を閉ざす。

 そのまま、続く言葉を待っていると……ジンさんは、少し顔を上げ、こう言った。


「それに……教師になれば、ファティカのような境遇で入学した生徒を、少しは助けられると思った。精霊から授かった魔法ちからは自分だけのもの――自分の人生を豊かにするためのものだ。組織に売られ、貴族に貢献するため入学した者たちに、正しい魔法の使い方を教える。そうすることで、誰のためでもない、彼ら自身の人生を生きるための力を少しでも与えられればと……そんな想いで、教師になった」


 それは、半ば独り言のような言葉だった。

 自分自身に言い聞かせているような――きっと、彼の本心による言葉。

 

 彼の胸に、『復讐』の二文字が深く刻まれていることはわかった。

 けど、きっとそれだけじゃない。

 だって、今のジンさんの表情かおは……


「――ちゃんと、『先生』ですね」


 そう。生徒想いな、先生そのもの。

 そんな顔が見られたことに安堵して、私は思わず笑みを浮かべる。すると彼は、「んんっ」と咳払いをし、


「当たり前だろう。俺は『復讐者』であるのと同時に、優秀な教師だからな。そして君は――その優秀な教師の秘書だ」


 言って、スーツの内ポケットから一枚の紙を取り出し、私に差し出す。受け取りながらそれを確認すると、予定表のようなものが流麗な字でみっちりと書かれていた。


「なんですか? これ」

「明日以降のスケジュールだ。俺と一緒に学院へ出勤してもらうから、しっかり頭に入れておけ」

「って、これ……私、先生方の会議にまで同席するんですか?! 無理ですよ、そんなの!」


 渡されたスケジュールを見て、私は慌てて訴える。職員会議にいきなり同席するなんて、いくらなんでもハードルが高すぎる。

 しかしジンさんは、不思議そうに首を傾げ、聞き返す。

 

「無理? 何故だ」

「だって、私なんか学も取り柄もないただの小娘ですよ? すごい人たちの中に入ったら絶対にボロが出る……きっとジンさんに迷惑かけることになります! だから……!」

「……メル」


 ――不意に、ジンさんが私を呼ぶ。

 驚いて顔を上げると……彼は、真剣な目で私を見つめていた。


「言っただろう? 俺が君を選んだのは、『ファティカと親しいから』という理由だけじゃない。相手の要望を瞬時に把握する細やかさ、状況に合わせて機転を利かせる賢さ……君のそうした部分を、俺は高く評価している」


 真っ直ぐに紡がれる、ジンさんの言葉。

 その一つ一つが鼓動を揺らし、胸の奥をきゅっと締め付ける。


「だから俺は、君を学院へ連れて行き、同僚に『俺の秘書だ』と紹介する。君なら上手くやれると確信しているからだ。だから、もう……そんなに自分を卑下するな」


 そう、切実な表情で、彼は言った。

 

 その言葉が、苦しいくらいに嬉しくて……今まで抑えていた感情が一気に溢れて、涙が出そうになる。

 

 魔女扱いされて、三年働いたお屋敷を追放されて。

 聖女扱いされて、お金のために利用されて、お金のために手放されて。

 結局私は、誰からも必要とされていないんだって、絶望していた。

 

 それなのに……

 彼は私を、私自身を見て、必要としてくれた。

 今の私にとって、これほど嬉しいことはなかった。


 また、良いように利用されているだけかもしれない。

 ……ううん、きっとそう。だってこれは、『復讐』のための雇用契約。目的が果たされたら、終わる関係。

 それでも――

 私を選んでくれたこの人のために、できることを精一杯頑張りたいと、今は思う。


「……ありがとうございます。とても、嬉しいです」


 真っ直ぐに見つめる彼に、私は心からの笑みを浮かべ、


「わかりました。私、ジンさんに相応しい立派な秘書になれるよう、明日から全力で頑張ります!」


 握った拳に決意を込め、そう言った。



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