10 初めての晩餐
「ここが俺の家だ」
馬車を降りた私に、ジンさんが言う。
彼の視線の先を見るとそこは、二階建ての立派なお屋敷だった。
煉瓦の壁に、大きな格子窓。尖った屋根の先には風見鶏があり、王都の郊外を見下ろしている。ささやかな広さの庭には薔薇が咲き、甘い香りを漂わせていた。
「すごい……素敵なお家ですね」
「君が使用人をしていたあの屋敷に比べれば手狭だが、二人で暮らすには十分な広さだ。さぁ、中へ」
外門を抜け、玄関の扉を開ける彼に促され、屋敷の中に足を踏み入れる。
と、その内装の美しさに、私は思わず息を漏らした。
落ち着いた色味の木材で作られた床や柱。天井が吹き抜けになっており、外から見えた大きな窓が暖かな日光を取り込んでいる。
正面には二階へと続く階段。廊下の左右にはそれぞれ部屋があるようだった。
「わぁ……中も素敵ですね」
「元々は、この辺りの地主である老夫婦の別邸だったんだ。長年使っていないからと、格安で譲り受けた」
「へぇ。お知り合いか何かだったんですか?」
「いいや、全くの他人だ。徐々に距離を縮め、譲るよう仕向けた」
「……それ、法に触れるようなことしていませんよね?」
「まさか。子供のいない老夫婦のために肩を揉み、買い物に付き添い、庭掃除をし……そうして懇意になったところで『実は住む場所に困っている』と話したら、快く譲ってくれた。それだけだ」
「……老人心につけ込んだ、巧妙なやり口ですね」
「そうだろう? 俺は欲しいと思ったものは必ず手に入れる主義なんだ。誰も傷付かない、紳士的なやり方でな」
ふふん、と得意げに言うジンさん。いや、褒めたつもりはなかったのですが……
私が苦笑いしていると、彼は玄関扉を施錠し、
「君の部屋は二階にある。まずは荷物を運ぼう」
トランクを持ち、階段を上り始めるので、私もその後に続いた。
二階にも部屋がいくつかあり、彼は順番に説明していく。
「ここは書斎で、廊下の突き当たりが俺の寝室だ。そして、ここが客室。君にはここを使ってもらいたい」
言って、ドアを開けたその先には、アンティーク調の可愛らしい部屋が広がっていた。
天蓋付きのベッドに、鏡の大きなドレッサー。丸テーブルに椅子に、服がたっぷりしまえそうなクローゼット。明るい窓からは華やかな王都の景色が一望できた。
「ほ……本当にいいんですか? こんなに素晴らしいお部屋をお借りして」
「何を言う。君は重要な協力者なんだ。むしろこんな狭い部屋ではなく、俺の寝室を使ってもらいたいくらいだ」
「そ、それは遠慮しておきます、ここも十分に広いので……あ、荷物ありがとうございます。持たせてしまってすみません」
お礼を述べ、ジンさんからトランクを受け取る。
と、彼は何故か、私のことをじっと見つめる。
「…………」
「……な、なんですか?」
「いや、俺の家に修道女がいることが、今さらながらに不思議でな」
……そういえば、ずっとこの格好のままだった。確かにおかしな光景ではある。
「君、他に着替えはあるのか?」
「あ、はい。いちおう持っています」
「なら、着替えると良い。支度が済んだら出かけよう」
「えっと……どこに?」
私の問いに、ジンさんは部屋を後にしながら、
「少し早いが、夕食だ。俺のせいで昼食を食べ損ねただろう? 美味い店を紹介してやる」
去り際に振り返り、そう言った。
* * * *
空の青が、橙色の夕陽に染まり始める。
私服のワンピースに着替えた私は、ジンさんに連れられ、お屋敷の外に出る。
そして、彼の少し後ろを歩きながら、王都の街並みを見回した。
いろいろと緊張していたせいで、馬車の中からはじっくり眺めることができなかったが……あらためて見ると、さすがは国内一の都会。ヒルゼンマイヤー家のあるラッグルズ領や、ドロシーさんの教会があるカルミア領とは比較にならない華やかさだ。
建ち並ぶ家屋はどれも大きく立派で、豪奢な造りをしている。
レストランやカフェなどのお店も、街行く人々も、みんなお洒落で洗練された雰囲気を醸し出しており、この街に居ることを誇るように堂々として見えた。
これが、本物の都会……まるで違う世界に来てしまったかのような感覚に陥り、私は目を回す。
と、大通りから外れ、細い路地を曲がったところで、ジンさんが足を止めた。目的の店に着いたらしい。
つられて足を止めた私は、その外観に目を見張る。
店と言うより一つの邸宅のような建物で、大人の隠れ家的な、見るからにお高い香りがしてくる。
その重厚そうな扉を、ジンさんは迷いなく開けるので、私はドレスコードがないことを祈りながら、彼の後に続いた。
――結論から言えば、最高のお店だった。
お洒落で落ち着いた雰囲気の店内は、それぞれの席が完全に個室になっており、私とジンさんは二階の窓際の部屋へ案内された。
彼に任せる形で頼んだ料理はきちんとしたフルコースで、前菜もスープも、メインのお肉も、それはもう絶品だった。
嗚呼、すごい……私には一生縁がないと思っていたようなお店で、一生縁がないと思っていたとろけるお肉を食べてしまった……もしや、これは夢……?
と、デザートのシャーベットを少しずつ食べながら幸せの余韻に浸っていると、向かいに座るジンさんが笑みを浮かべる。
「満足してもらえたか?」
「えぇ、そりゃあもう……本当にありがとうございます。ジンさんて、良い人ですね」
「はは。喜んでもらえたのは嬉しいが、食事一つで気を許し過ぎだ。そうやってすぐに恩を感じるから、あのシスターにも良いように使われていたのだろう?」
「……返す言葉もありません」
「君はもっと他人を疑った方がいい。義理を重んじるのも大事だが、過ぎれば都合良く利用されるだけだぞ?」
「……じゃあ、ジンさんのことも、もっと疑った方が良いですか?」
私が眉を顰めて尋ねると、彼は余裕のある表情でくすりと笑う。
「そうだな。雇用主がどんな人間なのか知らないまま働くのは良くないだろう。明日からは秘書として本格的に働いてもらう。聞きたいことがあれば今のうちに聞いてくれ」
「……いいんですか?」
「あぁ。俺がこの個室にいる時は、二階には他の客を通さないようになっている。誰かに聞かれる心配もない」
言いながら、食後のコーヒーを啜るジンさん。さらっと言っているが、この店のオーナーも協力者なのだろうか?
だとするなら、彼にはどれだけの権力があり、どれだけの人が『復讐』について知り、協力しようとしているのだろう……?
って、早速聞きたいことが増えてしまった。
もしかすると、こういう機会を設けるためにこの店へ連れて来てくれたのだろうか。
何にせよ、聞きたいことは山ほどある。
私は一番初めに聞くべきことを整理し……意を決して、口を開いた。
「……じゃあ、聞かせてもらいますが」
「うん。なんだ?」
「ジンさんて…………おいくつなんですか?」
緊張気味に尋ねた私に、ジンさんは、呆れたように半眼になる。
「君……最初に聞くのが年齢って……もっと他に聞くべきことがあるだろう?」
「い、いいじゃないですか! なんか怖いんですもん、最初から重い質問するの!」
彼は小さく息を吐くと、コーヒーのカップを置き、居住まいを正して答えた。
「二十三だ」
「おぉ……」
「どういう反応だ、それは」
「いえ、見た目通りではあるんですが、魔法学院の先生をしているなら、実はもっと年上なのかな? とも思っていたので」
「俺が教員になったのは去年のことだ。マリーアダムス魔法学院を卒業し、史上最年少で教員採用試験に合格した」
「えぇっ?! それって、めちゃくちゃ優秀じゃないですか!」
「そうだ。俺はめちゃくちゃ優秀なんだ」
「……自分で言っちゃうんですね」
「事実だからな」
真顔で答えるジンさん。先ほどから思っていたが、彼は『謙遜』という言葉を知らない、かなりの自信家らしい。
まぁ……これだけ顔と頭が良ければそうなるのも当然か。
「マリーアダムスって……王都にあるウエルリリス魔法学院とは別の、北の方にある学校ですよね? 出身はそちらなんですか?」
「いや、生まれは別だ。両親を亡くし、祖父母の家に引き取られ、あの辺りに越したんだ」
……やっぱり、彼にも親がいないのだ。
言わせてしまったことを申し訳なく思い、私は話題を変えることにする。
「えっと……魔法と言えば、ジンさんはどんな能力をお持ちなのですか? あ、もしかして、最初に現れた時みたいな、姿を消せる魔法とか?」
あれには本当に驚かされた。セドリックさんの影が不自然に動いたかと思えば、その影の中から突然ジンさんが現れたのだから。
少しわくわくしながら返答を待つ私に、ジンさんは妖しく微笑み、
「俺が授かった能力は、『影』だ」
「影……?」
「そう。影の中に身を潜めるだけでなく、他人を影の中へ引き摺り込み、閉じ込めることもできる」
と、わざと脅かすような、低い声で言う。
そんなおどろおどろしい言い方をせずとも、十分に恐ろしい能力である。影の中を自由に出入りし、他者を幽閉することも可能だなんて……
「なるほど……その能力を使って、ヒルゼンマイヤー家を捜査していたんですね。道理で気付かなかったわけです」
「あぁ。それともう一つ、なかなかに便利な能力がある。それは……」
「……それは?」
おうむ返しに聞き返すと……ジンさんはすっと手を伸ばし、私の両目を、優しく隠した。
手首に香水か何かを付けているのだろうか。ふいに漂う甘い香りに、胸がドキッと高鳴る。
「なっ、なんですか? 急に……」
「――『奪う』」
ジンさんが呟いた――直後。
私の視界から、光が消えた。
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