9 意地悪な紳士
ジンさんの言葉に、私の全身が、かぁっと熱くなる。
(いいい、一緒に住む?! 私と、この人が……!? しかも、どさくさに紛れて『メル』って呼ばなかった?! いきなり愛称の呼び捨てって……イケメンの距離の詰め方、怖っ!!)
大いに困惑していると、ジンさんが落ち着いた声でこう補足する。
「一緒に暮らせば連絡も密に取れるし、誰かに盗み聞きされる心配もない。何より、君を目の届く範囲で護ることができる。合理性を考えれば、同居という選択が一番だろう」
そ、それはそうかもしれないけど……そんな割り切れるものでもないというか……!
顔を火照らせ目を白黒させる私に対し、ジンさんの方は至って涼しい顔をしている。本当に、合理性だけを考えて私との同居を決めたのだろう。
つまり……こんなに意識してしまっているのは、私だけ。
そう考えると、一気に恥ずかしさが込み上げてきた。
……そうよ、メル。これは、言わば住み込みで働くということ。今までの仕事と何ら変わりない。
職場と住まいが一緒の方が効率的だし、彼の言う通り安全だ。
ジンさんと私は、雇用主と秘書。
そして、復讐者と協力者。
そんなドライで殺伐とした関係なのだから、意識する必要なんてない。
……あぁ、でも…………
「…………」
チラ……と、私は向かいに座るジンさんの顔を盗み見る。
切れ長の涼やかな瞳。
すっと通った鼻筋。
窓からの風を受け、サラサラと靡く黒髪。
ただそこに座っているだけで美しい、王子様のような人……
だからこそ、私は震える。
男性に対する耐性ゼロなのに、こんなキラッキラな顔面ぶら下げた人と四六時中顔を合わせるとか、そんなの、緊張するに決まってる……!!
お、落ち着け。これは仕事……あぁ、でも……でもでも……っ!!
……なんて、堂々巡りの葛藤を繰り返し、頭を抱えていると――ジンさんが、くすりと笑い、
「そんなに意識されると、こちらまでこそばゆくなるな」
そんなことを口にした。
まさか、私が意識しまくっていることを見透かされた?!
バッ! と顔を上げ、私は平静を装いながら否定する。
「な……何のことです? 別に意識なんてしていませんが」
「いや、『今日知り合ったばかりの男と同居するなんてめちゃくちゃ緊張する』と顔に書いてあるぞ?」
「そっ……んなことありません。住み込みで働くのには慣れていますので」
「……そうか。ちなみに言い忘れていたが、俺の家は単身用の狭い物件でな。寝室は一つしかないから、俺と共用になるが……それでもいいか?」
「へっ?!」
し、寝室が共用?!
だめだめ! そんなの絶対にだめ!!
けど、ここで
せっかくファティカ様のお力になれる役割を与えられたというのに、今さら緊張を理由に解雇されるだなんて……そんな情けない話、あってたまるか!
「も、もちろん。し、寝室が一緒でも、私は全然大丈夫で……!」
目をぐるぐる回しながら、なんとか答えようとしていると……ジンさんが、「ふっ」と吹き出した。
「はは。すまない、冗談だ。君の反応が面白くて、つい
「なっ……揶揄った……?!」
「常識的に考えればあり得ない話だろう? 今日知り合ったばかりの男に同居を促され、挙句寝室まで共にするなど……妙な見栄を張らず、強く拒絶して良い場面だ」
正論を突き付けられ、私は「うっ」と言葉を詰まらせる。言われてみれば……確かにその通りだ。
恥ずかしいやら情けないやらで肩を落とす私に、ジンさんは小さく微笑み、こう言った。
「……なるほど。これは、なかなかに根が深そうだ」
「へっ?」
「悪いが、君の経歴は一通り把握している。ヒルゼンマイヤー家で書類を漁っている時、君の経歴書を見てしまったからな。一人で生きるため、そうして虚勢を張り、長いものに巻かれる癖がついているのだろう?」
「ゔっ……」
……図星だった。
一人で生きるには、辛い顔を隠し、「全然平気」と強がらなければならない場面が多かった。
そうでないと、一人前として認めてもらえないから。
"親も学も身分もない、非力な子供"。
そう思われるのが嫌で、なるべく弱みを見せぬようにと生きてきた。
目を逸らす私に、ジンさんは困ったような笑みを浮かべ……こう呟いた。
「……俺と同じだな」
「……え?」
「とにかく、俺には見栄も虚勢も通用しない。取り繕うだけ無駄だ。むしろ、恥の上塗りになるだろう」
「なっ……!」
「わかったら今後は妙な強がりをするな。君が男性経験の浅い
なんて、柔らかな口調で言う。
もしかして、この人……私の緊張を解くため、わざと揶揄うような言い方を……?
それに、「俺と同じ」って……どういう意味だろう。彼も虚勢を張って生きてきたってこと?
それとも、私と同じように、親を亡くして……?
尋ねて良いものか迷い、伺うようにジンさんを見つめると……彼は、ニヤリと意地悪な笑みを浮かべる。
「……なんだ、やはり同じ部屋で寝たかったか?」
「は?!」
「すまないが、今日初めて会話した女性とすぐに同衾するような奔放さは持ち合わせていない。俺は紳士だからな。そういうことはきちんと手順を踏んで……」
「ちちち違いますよ! 私だってそんな奔放じゃないです!!」
「だろうな。君からは男の匂いがまるでしない」
「ああもうっ! いちいちむかつく人ですね!!」
「ん? 褒めているんだぞ?」
「うそ! 目が笑っています!!」
「はは、バレたか」
「きぃぃぃっ!!」
なんだか……この人を相手にあれこれ悩むのは無駄な気がしてきた。
真面目なのか不真面目なのかイマイチわからない、雲のように掴みどころのない人……それでいて、こちらの胸の内は手に取るように見透かされる。まったく、やり辛いったらない。
……ま、畏まらなくて良いというのなら、私も気が楽だ。
ファティカ様から情報を聞き出すその日まで、気負わずにやらせてもらうとしよう。
そう考え、小さく息を吐くのと同時に、馬車が止まった。
いよいよ、ジンさんの家に到着したらしい。
御者が扉を開け、降りるよう促す。
ジンさんは私より早く立ち上がると、何も言わずに私のトランクを持ち、先に馬車を降りて、
「――メル、手を」
段差の横で、手を差し伸べた。
その所作は、まさに紳士。
様になりすぎていて、つい胸が高鳴ってしまう。
……本当に、意地悪なんだか、優しいんだか。
こんな淑女のような扱いを受けたことのない私は、照れ臭さに頬を染めながら、
「……ありがとう、ございます」
差し伸べられた手を取り、ぎこちない足取りで、馬車を降りた。
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