14 欲張りなご褒美


 ――鐘の音に目覚めた王都の街は、賑やかに活気付いていた。


 香ばしい匂いを漂わせるパン屋さん。

 店先に鉢を並べる花屋さん。

 早くも鉄を打つ音を響かせる鍛冶屋さん。

 それらを横目に、いくつもの馬車が大通りを行き交っている。


 私とジンさんが乗る馬車は、王都の中心――イルナティア城を有する高台の"城塞区域"を目指し、走る。

 王立学校であり、国の戦力を育てるウエルリリス魔法学院は、この城塞区域の中にあった。

 

 馬車が徐々に傾斜を走り出し、私は窓の外を見る。

 と、美しくも頑強そうな白亜の壁と、連なるいくつもの高い塔が見えた。


「あれが、城塞区域……」


 王族や近しい貴族、軍部の騎士や魔法研究に携わる一部の魔導師の他には、魔法学院の関係者以外は立ち入ることのできない"白き聖域"。

 話に聞いたことはあったが……まさかその中に、自分が入ることになるなんて。


 今さらながらに緊張を覚えながら、私はその"聖域"の門を潜った。



 * * * *



 降り立った学院の正門は、嘆息する程に荘厳だった。

 

 蔦が這うようなデザインの、美しくも重厚な鉄の門扉。

 そこから真っ直ぐに伸びる煉瓦の道と、両脇に植えられた背の高い針葉樹の並木。

 そして、その先に見える巨大な校舎。

 

 この城塞区域を囲う壁と同じ、白亜の建物だ。太い柱や塔がいくつも建っていて、学校というより神殿のような造りをしている。そうした建物が、敷地内に何棟もあるようだ。


 私は興味津々に周囲を見回しながら、ジンさんに続いて正面にある中央棟へと足を踏み入れる。会議が行われるのは、三階にある職員会議室だ。

 

 校舎の内部も、白を基調とした美しい造りをしていた。朝日が差し込む階段を登り、三階へ辿り着く。と、


「会議室はすぐそこだ。君は、俺の秘書らしく振る舞ってくれればいい」


 ジンさんが、囁くように言った。

『俺の秘書らしく』だなんて、指示としてはあまりにも漠然としすぎている。

 しかし、それはきっと、『私が思う最良の秘書を演じてくれれば良い』ということなのだろう。


『だから俺は、君を学院へ連れて行き、「俺の秘書だ」と同僚に紹介する。君なら上手くやれると確信しているからだ』


 昨夜のジンさんの言葉を思い出す。

 ……大丈夫。最低限のマナーや所作は、使用人時代に習得済みだ。初めて会う人との円滑なやり取りも、聖女として働く中で学んだ。

 私は、私が思う最高の秘書を演じ、ジンさんの期待に応える。


「……わかりました」


 ジンさんの言葉に頷いた、その時。彼が、大きな両開きの扉の前で足を止めた。会議室に着いたのだ。

 

 ジンさんは一度私と目を合わせ、小さく微笑むと……その扉をノックし、中へと入った。


 

「――おはようございます、先生方」


 朗らかに笑いながら、ジンさんが言う。

 

 広い楕円形のテーブルと、それを囲うように置かれたいくつもの椅子。その座席に、既に十数名の人が座っていた。

 会議に出席する教職員だろう。皆、ジンさんに目を向け、「おはようございます」と挨拶を返す。

 

 先生方の男女比は半々だが、四十代から六十代くらいに見えた。つまり、ジンさんがダントツで若い。見るからに頭が良さそうな大人たちを前にし、私は萎縮しそうになるのを堪え、丁寧に一礼し、静かに扉を閉めた。


 最初に声をかけてきたのは、銀色の長髪を背中で一つに結った四十代くらいの男性教諭だ。穏やかな笑みを浮かべながら、ジンさんに手を振る。


「やぁ、アーウィン先生。お久しぶりです。お休みの間はあまりお見かけしませんでしたね。どこか行かれていたのですか?」


 親しい間柄なのだろうか、ジンさんも手を上げながら男性の方に歩み寄る。


「えぇ。イドリスにある祖父母の家に帰省していました。教員になってからなかなか帰ることができず、『たまには顔を出せ』と手紙でうるさかったので……」


 困ったように笑いながら答えるジンさん。しかし、これは嘘だ。だって彼は、この新年度前の休みを利用してヒルゼンマイヤー家に潜入していたのだから。

 ジンさんの言葉に、銀髪の男性教諭はため息混じりに返す。


「いいなぁ。俺は学会に提出する論文に追われて、毎日研究室にこもっていましたよ。せっかくの休みだってのに……俺も帰省したかったなぁ」

「ちょっとちょっと、ロマノフ先生。あなたの愚痴はいいから。もっと気になることがあるでしょう?」


 と、呆れたように声を上げたのは、五十代くらいのふくよかな女性教諭だ。

 彼女の言葉に他の教師陣も頷き……皆、一斉に私の方へ視線を向けた。ふくよかな女性教諭は、伺うように口を開く。


「アーウィン先生。そちらの方は……?」


 やはり、いきなり現れた私の存在が気になっているようだ。あからさまに注目を浴びていることに緊張していると、ジンさんがにこやかに答える。


「彼女は、の秘書です。帰省中に祖父の知人から紹介を受け、僕のサポートをお願いすることになりました。メル、ご挨拶を」


 そう振られ、私は――今、この場に相応しい『ジンさんの秘書』としての立ち振る舞いを考える。

 

 年齢層の高い教職員たち。

 彼らに対するジンさんの態度と、『僕』という一人称。

 そして、どう見ても新米な見た目をした私。

 この状況で取るべき態度は……きっと、こうだ。


 私はピシッと背筋を伸ばすと、教職員一人一人と目を合わせ、


「こ、この度、ジン・アーウィン先生の秘書を務めることになりました、メルフィーナ・フィオーレと申します。今日は先生方へのご挨拶と、今後のための勉強を兼ねてこちらへ同行させていただきました。秘書になったばかりの新人ですが、精一杯頑張ります。宜しくお願いします!」


 深々と頭を下げ、大きな声で言った。

 

 すると……誰からともなく拍手が上がった。

 温かな歓迎ムードに私は顔を上げ、照れ笑いをしてみせる。


「まぁ、可愛らしい秘書さんね。アーウィン先生が羨ましいわ」

「うちの助手にもこんな初々しい時代があったなぁ。今じゃあ小言に留まらず、俺に説教までするようになっちゃって……」

「それはロマノフ先生がだらしないからでしょう? おたくの助手さんは本当にしっかりしているわよ」


 そんなやり取りをして、和やかに笑い合う教師陣。ジンさんも柔らかに笑い、こう続ける。


「仕事内容を把握するまで、しばらくは同行させるつもりです。いろいろな場面でお会いすることもあると思いますが、なにぶん僕も初めて秘書を雇う若輩者なので、どうかご容赦ください」

「えぇ、もちろん。若い方がいてくださると、こちらまで新鮮な気持ちになっていいわ」

「メルフィーナさん、お仕事頑張ってね」


 先生方に笑顔を向けられ、私は、


「……はいっ!」


 と、元気良く答えた。

 

 

 ――その後、私は先生方のお名前と専門とする分野を一人ずつ教えていただき、メモを取った。

 

 会議の定刻になると、この学院のトップである学長と、副学長が入室した。

 お二人にも丁寧に挨拶を済ませ、会議が始まった。

 


 * * * *



「――それでは、失礼致します」


 会議を終え、先生方に礼をし、私はジンさんと共に会議室を後にする。

 そのまま階段を下り、来た時と同じ昇降口から校舎を出た。


 煉瓦畳の道を、暫し無言で歩く。

 私も、黙って彼についていく――と、


「……メル」


 ジンさんが、私を呼ぶ。

 私は緊張しながらその横顔を見上げ、続く言葉を待つと……彼は、低い声で、こう言った。


「……百二十点満点だ。初々しくも礼儀正しい、完璧な新人秘書だった。あの場において、あれ以上の正解はなかっただろう」


 という、想像以上の評価に、私は喜びのあまり小さくガッツポーズをした。

 それに気付いたのか、ジンさんはふっと笑いながら講評を続ける。


「君ならもっと経験豊富な、落ち着いた秘書を演じることもできたはずだ。しかし、あの場の雰囲気と、俺が学院で演じているキャラクターを瞬時に理解し、あえて不慣れな秘書を演じた。見事だった」

「そ、そんな大袈裟な話じゃないですよ。ただ、変に大人ぶるより、初々しくて一生懸命な若者の方が先生方には受けるんじゃないかなーと思っただけです。ジンさんもそう思うから、『僕』なんて一人称で若輩者に徹しているんでしょう?」

「その通りだ。新人特有の素直さと懸命さは、相手の警戒を解く最大の武器になる。誰も俺を『復讐』のために入職した人間だとは思わないだろうし、君がその協力者であるとも思わないだろう」


 ジンさんが、微笑みながら言う。彼の期待に応えられたことが嬉しくて、私も素直に笑い返した。

 

「――さて、これで君も大手を振って校舎に出入りできるようになった。次は事務局へ行って、君の通行証などの発行手続きをする。それが終わったら昼食だ。約束通り、スコーンをご馳走しよう」

「わーい! ありがとうございます!」

「初仕事を成功させた褒賞だ。三つでも四つでも、好きなだけ頼むといい」

「そんなに食べませんよ! 一つあれば十分です!」

「そうか」

「…………」

「…………」

「…………や、やっぱり、二つ頼んでもいいですか……?」


 羞恥心に、声を震わせる私。

 あまり食いしん坊だと思われたくなかったが、緊張が解けたせいか、一気に空腹感が込み上げてきた。スコーン一つでは、どうあっても足りそうになかった。


 俯く私を見下ろし、ジンさんはどこか満足げに頷く。そして、


「素直でよろしい。もっとも、君が言わなくとも二つ買うつもりだったがな」

「へっ? な、なんでですか?」


 聞き返す私の瞳を、彼は覗き込むように顔を近付け、


「……『一つじゃ足りない』と、顔に書いてあるからだ」


 意地悪に目を細め、ニヤリと笑った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る