4-12「誰かが私を覚えていてくれますように」
神社の境内は重たい空気が漂っていて、いつも逃げ出したくなる。でも加護女という役職が肩にのしかかって、上手く足を動かすことができない。仕方のないことだった。
これが私に残された、最後の生きる意味だった。
でも、私が加護女を継いで以降、ことはそう上手く働かなかった。
お母さんは厄を鎮めるために、死んでからも加護女の仕事を全うしている。そのおかげで村は滅ばずに済んでいるけど、時間が経つにつれてその力は失われていった。厄が力をどんどん強めていることも原因の一つだった。
村の外でも、西街道の辺りは特に凶作に見舞われていると聞いた。
問題が解決せずに餓死者や病死者だけが増えていき、私が十五を迎えたその年、犠牲者は過去最大数にのぼった。村を歩いていると、腐敗臭が鼻につんと染みて、離れなくなる。
死人の肉を食べている村人を見かけたこともあった。
村にある家屋の十分の一が空き家になった。檜神村が滅ぶのも時間の問題だった。お母さんがいなくて、村人に人間でないものを見る目をされても、私はそれが自分に与えられた唯一の役割だから、命を削ってその仕事を全うしなければならなかった。
「お前を生贄にすることで村を守ることに決まった」
お父さんからその話を聞いたとき、頭のなかが真っ白になった。決まった、という声が耳の中でいつまでも響いた。
大人たちが嫌いだった。
自分たちは子どもより頭がいいと思い込んで、偉そうに振る舞う。でも実際、その中身は私を見て笑ったり石を投げたりする近所の子どもたちと何も変わらないと思う。
私は生贄にされる運命に従うしかなかった。大勢に歯向かうのは現実的じゃないし、村人の目が多いこの土地からは絶対に逃げられない。死ぬのは怖かった。自分がいなくなるなんて、想像が付かない。
おじいさんに手を引かれて神社に戻ると、白い布の掛かった祭壇が用意されていた。その前で、村人たちが座って掌印を組み、俯いている。
私が祭壇に登ると、村人たちの顔が疎らに上がった。それまで縋るように下を向いていた彼らは、私を捉えた瞬間に、その表情を明るく変化させた。
自分の、息を呑む音が聞こえる。
私が死んだとしても、それによって救われる人がいる。だから私の死は決して無駄なものではない。自分にそう言い聞かせても、膝の震えはやっぱり止まらなかった。
でも、私は一瞬だけ感じた、胸の高鳴りに縋るしかない。
祭壇に登るとき、手足の筋肉に力が入らず、上手く登ることができなかった。それでもおじいさんや村のみんなは、怒ることなく私を待っていてくれた。蝋燭の火が風に揺らめいて、祭壇に落ちる私の影も形を変える。私は自分のその影に吸い込まれそうになった。
大丈夫。頭のなかで唱える。その言葉はお母さんの声で再生された。
私の生を喜んでくれる人はいないけど、私が死ぬことで救われる人はいる。生贄になることで、私が生まれてきたことを、私が十五年という長い時間生きていたということを、誰かが肯定してくれるような気がした。
おじいさんが差し出した木製の椀には、茶色い液体が入っていた。鼻に近づけて息を吸い込むと、粘膜の部分につんとした痛みが走る。
なるべく舌に触れないよう、私はそれを一気に飲み干した。
呪いの籠もった毒酒は胃が裏返るような味がした。喉に感じる熱の塊に違和感があるものの、眠気が降り注ぐような意識の薄れ方が心地よかった。薄く開いた視界におじいさんの手が映る。
首にざらついた感触が走ったとき、ああ、私は本当に死ぬんだ、と思った。
死ぬのは怖い。消えたくない。だからせめて、私がここに生きていたということを、誰かが覚えていてくれますように。
* * * * *
目を開いたとき、あまりの視界の悪さに意識が浮き上がったようになった。寝起きだから目がぼやけているわけではない。
頬を生ぬるい塊が伝うのがくすぐったかった。僕は泣いていた。
部屋は真っ暗だった。遠くで救急車のサイレンが鳴っている。対して部屋の中の音といえば、僕自身の鼓動が身体中から重たく響いているだけだった。
あの少女は僕と同じだった。僕たちはずっと、自分の生きている意味がほしかった。誰かに必要とされることで、初めて自分の生に意味を見い出すことができた。
例えば家の労働力として酷使されても、それが自分の生まれてきた意味だと信じ込んでいる間は楽だった。
千代という少女は、生贄として死に、村人を窮地から救うことを自分の役割だと思っていた。いや、そう思い込むことにした。でも、死んでから初めて意味が生まれるなんて、あんまりだと思う。
吐き出した息が震える。吐息の隙間に重たい空気が漏れる。呼吸もままならないほど、僕は涙の衝動を耐えられずにいた。
そのとき、隣で声が聞こえた。視線を移動させる。布団を被ったまま、彼女は丸めた背を僕に向けている。
最初、かごめもあの夢を見て泣いているのかと思った。
「かごめ?」
返事はなかった。息の途切れるような、色っぽくも聞こえる声が、静寂の音がする仏間にぼうっと浮かび上がる。
足音が響くのも無視してかごめに駆け寄り、顔を覗き込んだ。かごめが薄く目を開く。苦悶の表情を浮かべた彼女の、長い睫毛が涙で濡れていた。
「どうした? 大丈夫?」
やはりかごめはなにも答えなかった。襖の向こう、居間に夕作さんの気配はない。カーテンの隙間から覗く空はまだ藍色をしていた。リビングからは電子音が聞こえる。
柚沙、と呟いたかごめの声がすぐに消える。
かごめの布団をめくると、中は汗で濡れていた。直前まで人が入っていたという温もりの気配はなく、水の冷たさだけが淡々と広がっている。
背中に冷や汗が流れる。
「夕作さん呼んでくるっ」
襖を開け、階段を駆け上がる。脚がもつれて踏み外しても、脛を段差にぶつけても、奥歯を噛んで痛みをやり過ごし、駆け上がる。
音で気づいたのか、僕がノックする前から、夕作さんは扉から顔を出した。
「あの、かごめが、苦しそうにしててっ」
「わかった。すぐに行く」
夢を見て何かが変わった。いや、何かが変わったからあの夢を見たのかもしれない。
かごめ様と呼ばれるようになった生贄の少女は死を受け入れていた。死に直結するほどの経験ではないけど、その理不尽を受け入れなければならないやるせなさは身に覚えがあった。
父の言葉を聞き、思ったことがある。
かごめ様は本当に悪い存在なのか、と父は言っていた。そのときは希望的観測だと思ったが、もし、怨霊と呼ばれるようになってからも恨んでいないのだとしたら。
かごめ様の存在が抑止力になっている、というのもおかしい。厄を抑えないほうが村人を苦しめられるはずだ。
これまで、どうすればかごめを救えるか、ずっと考えていた。さっきまで見ていた夢が、不憫な二人の救いに繋がるヒントを含んでいる気がした。
対処できるかもしれない、と思う。かごめに根を張る呪いをどうにかできるかもしれない。
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