4-11「檜神神社の巫女」
ひどくリアルな夢の世界にいた。
足元には雑草の生えていない一本道があり、僕は目的のないままひたすらに足を動かしている。歩いても歩いても道は続いていて、代わり映えしない景色に目眩がしてきた。
空は不思議な色をしていた。茜色よりも色彩の薄い、セピア調の夕暮れが視界いっぱいに広がっている。
道の先には森が広がっていて、陽射しを反射しながら風に揺られるその様子は、幼いころ、沖縄で見た夕暮れの海を連想させた。
土が剥き出しになった道の脇には見覚えのある雑草が茂っており、そのうちどれも、僕が見たことのある種類だった。数日前まで、存在価値のないまま彷徨っていた記憶が鮮明に蘇ってくる。ここが檜神村であることはすぐにわかった。
しばらく歩いていると森に差しかかり、来た道を振り返ったとき、そこに木製の家屋が点在していた。さきほどまでは歩くことに夢中で気づかなかったが、家の前や畑で農作業に勤しむ人々の姿もある。
僕が立ち止まったその瞬間、村人たちの視線が一度に集中し、間もなく疎らに散っていく。
いつの間にか僕は、少し背が小さくなっていた。
「どこに行っていたんだ」
背後からしわがれた声がして、顔を上げると、白髭を蓄えた背の高い老人が僕を見下ろしていた。「僕は、」と紡ごうとした声が喉に詰まった。僕、という呼び方に違和感があった。これまで、自分のことを「僕」と呼んでいただろうか。
ここは夢の世界であるはずなのに、唐突に強烈な眠気に襲われた。「ちよ」、と呼ぶ声がして、あ、自分は千代だったと思い出す。「おじいさん」と声に出したとき、抗えないほどだった眠気は簡単に引いた。
私はおじいさんに手を引かれ、神社に続く道を歩いた。おじいさんは歩くのがいつも早いので、私は歩くというより、駆け足であとを追うことになる。
靴が脱げてもおじいさんは止まってくれなかったので、私は片方が裸足になったまま走り続けた。
鳥居の前では林業組合の人たちが何やら話し込んでいた。私が声の聞こえる範囲に入り、抜け出すまでに耳が拾った情報によれば、彼らは祭壇の出来について話していたようだった。
この村のヒノキ材が村で消費されるのは珍しい。
神社の付近にはヒノキが大量に生えており、林業組合の人たちは外部へ出荷するため、身を粉にして管理に従事した。
ヒノキやスギといった針葉樹材は軽さの代わりに硬度が低いという欠点がある。対してこの村のヒノキは余所のものより少しだけ強く、建築材として重宝されているらしい。
厄に襲われてからは林業従事者数が減り、それに伴って出荷量も激減してしまった。さらには間伐といった管理も疎かになり、良質な材料はかなり貴重な存在だった。
だから、祭壇にその木材が使用されたということは、生贄を捧げることによる景気の好転が、それだけ期待されていることを意味する。
檜神神社は村を襲う厄を抑え込むために建立された神社で、毎年、厄を鎮めるための祭事が行われていた。でも、私が生まれる前から祭事では抑えきれない強い厄がやってきていて、年々、村は貧しくなる一方だった。
先月、加護女の跡継ぎとして生まれた私が生贄にされることが決定した。そして今日が、生贄を捧げる祭事を執り行う日だった。
十年前に私が生まれたとき、この姿を見た村人たちはみんな顔をしかめたという。
異形の跡継ぎを巡り、関係者の間でふたつの意見が対立した。片方は「不吉な存在だから早く神様に返そう」という考えで、もう片方は「後年、厄を鎮めるために生贄にしよう」だった。
最終的に、後者に所属していたお母さんの意見が通り、私はこの日まで生き延びることになった。お母さんが当代の加護女だったことも、その意見が通った理由の一つだ。
「大丈夫。千代は生きていていいんだよ。生贄になんてさせないからね」
ある日、私の頭を撫でながらお母さんが言った。お母さんはいつも温かくて、ちょっぴり花のような匂いがする。
加護女は祭事を行う際に花を纏うことがあるから、その匂いがこびりついているのかもしれない。
「でも、私は変だから」
「変なんかじゃない。千代は、普通の子だよ」
物心が付いたときにはすでに、自分が周りと違う存在であることに気づいていたと記憶している。それは生まれた家のことではない。
両目の尻にある、刃物で切れ込みを入れたような、二つの異形の目。
「千代のことはお母さんが守るからね」
お母さんの手が私の頭から離れ、今度は背中に回る。ぎゅっと強く抱きしめられたから、私は嬉しくなって同じように力を込めた。
千代がいるだけでお母さんは幸せだよ。そう言われて頭を撫でられるとき、私はいつも胸の内側が熱くなる。そういうときはちゃんと生まれてこられなかった自分が恥ずかしくなるけど、それ以上にこんな自分が生きていていいんだ、と思えた。
ある日、お母さんから鈴の付いた髪飾りを渡された。
その鈴はお母さんが儀式で使う大幣に付いていたものだった。「これはお守り」そう言ったお母さんは口元に人差し指を当てた。秘密を表す合図だった。
私が七歳になるころ、お母さんは病気になった。そうなってからは会わせてもらえなかったけど、部屋が隣だったから、白くて薄い壁越しに声を掛けるとお母さんの声が返ってきた。
お母さんは何度も私に謝った。病気になったのに謝るのはちょっぴりおかしいと思ったけど、私は大きい声で、お母さんがいつも言ってくれたように「大丈夫だよ」と返した。
それから二年が経ったころに私は加護女を継ぎ、さらに一年が経つとお母さんは死んだ。
直前、「最後に千代に会いたい」という言葉が壁越しに聞こえてきたとき、私は思わず駆け出した。でも、部屋の前に立っているお仕えさんに止められてしまったため、それは叶わなかった。
病気のお母さんに三年間会えないまま、私は二度とお母さんと話せなくなった。
お母さんがいなくなって、加護女としての私ではなく、あのお母さんから生まれてきた千代という名前の私を、認めてくれる人はいなくなった。
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