4-7「生贄の素質」

「かごめ、私は君に謝らなければならない」


 マグカップの、机に着地する音が微かに聞こえる。かごめは両手でマグカップを抱えたまま、「え?」と顔を上げた。珈琲からはもう、湯気は立たなくなっていた。


「私も巫女の力を受け継いでいたんだ。力と言っても、生贄になれるだけの力だけどね。つまり、私も生贄になり得たんだ」


 巫女の力。籠原も言っていた。僕の姉は巫女の力を継がず、かごめには引き継がれた。


「私はたしかに、村の方針について、兄との間に対立があって村を出た。でも、それ以上に、力のことに気づかれて殺されることが怖かったんだ。そのせいで君が殺されることになってしまった。謝って許されることではないが……」


 夕作さんは一気にそう話すと、深く、頭を下げた。「いや、そんな」かごめは慌てたように手を振っている。これに関して、僕は何も口を挟めなかった。


 同じような立場にあったとして、自分だって逃げない確証はない。


「私は別に叔父さんのこと恨んでないよ」

「……そうか。君は本当に優しい子だ」


 かごめが今度は照れたような表情を浮かべるから、なんだかこちらまで恥ずかしくなってきた。それでいて、誇らしいような気持ちもある。


 かごめの優しさが自分以外にも伝わっていることが嬉しい。


「償いになるかはわからないが、身体は必ず治すと約束する」

「あの、かごめって今、どういう状態なんですか? 呼吸も心臓も止まっているみたいだし、体温も低いし、毒を飲んだって……」

「毒酒は呪いの籠もった睡眠薬みたいなものだ。これが原因で死ぬことはないし、体が傷んでいないのは毒酒のおかげでもある。精密に検査してみないことにはわからないが、意識があること以外、仮死状態にあると言っていい」


 おそらく呪いの力で一時的に生きているだけだろう、と夕作さんは付け加えた。


「私、ゾンビみたいだね」


 へへ、とかごめが笑う。夕作さんは苦笑いをしていた。たぶん、僕も彼と同じ表情を浮かべていると思う。


「呪いを否定してやるつもりで医師になったのに、結局は原理的に理解できないことばかりだ。情けないよ」


 目が合った僕に、夕作さんは自嘲気味に笑いかける。僕は「いやあ」とそれとなく否定することしかできなかった。


「夕作さんって巫女の力を継いでるんですよね。なんか、こう、かごめ様を祓うことはできないんですか?」

「申し訳ないが、そんな大層なものじゃない。死後、村を守る存在になる、というだけの力だ。とにかく、かごめは明日の午後に検査しよう。なるべく早いほうがいい」


 早いほうがいい理由については、おそらくここにいる全員がわかっていたが、誰も口に出さなかった。夕作さんが立ち上がって僕たちの前から空のマグカップを回収し、シンクで水道水に浸ける。


「休めるうちに休んでおいたほうがいい。かごめは明日の十四時、私の病院に来てもらえるかな」

「うん、わかった」


 彼は微笑みで応えると、二階の自室へ戻っていってしまった。


 かごめの身体がどうなっているのか、詳しいことはよくわからないが、医学的知識に疎い僕にもわかることがある。


 かごめ様は稀に姿を現し、僕を導くことがあった。彼女にはかごめを殺す以外に何らかの目的があるのかもしれないが、それを知る由のない僕たちは、かごめの命がいつ終わるのか、推測することもできない。


「私、死ななくて済むのかな」


 布団に入ったあと、隣から呟くような声が聞こえた。彼女の声は静寂の支配するこの空間で悲しく響いた。「大丈夫」とか「絶対助ける」とか、そういう無責任な言葉は口にできなかった。


「僕は、かごめがいなくなったら悲しいよ」


 だから、代わりに布団から出ていた彼女のひどく冷たい手を握ることにした。


 まどろんでいく意識の中、僕は夢と現実のちょうど真ん中にいた。


 夕作さんによれば、こうして夢を見るのも危ない行為とされているようだ。自分は取り憑かれているわけではないのでどうなるかはわからないが、生贄となったかごめは夢を見ることで呪いがより強く根を張るらしい。


 この日の夢の内容も、祭壇に寝かされて首を絞められるというものだった。


 薄く目を開くと、藍色の空が見える。経と布の擦れる音がする。皺まみれの手が伸びてきて、首を絞められる。あれ、と思った。


 かごめ様は幼い巫女だったはずだ。それなのに、僕の首に掛かった手はどうして老人のものなのだろう。


 それに、祠でかごめを見つけたとき、あの少女は何をしていたのだろう。夢の中で僕たちを殺し続ける理由は一体。疑問ばかりが募っていき、そのうちどれも解決の兆しが見えないことに苛立ちともどかしさを感じる。


 上を向いて寝そべっているはずなのに、僕の右側、祭壇の前で掌印を結ぶ村人たちの姿がよく見える。よく考えてみると、視界に違和感があった。


 百八十度近い、広すぎる視界。目が四つあるというかごめ様。


 あ、違う、と思った。僕たちがかごめ様に殺されているわけではない。これは、村人に殺されるかごめ様の視界だ。

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