4-6「加護女」

 夕作さんは三つのマグカップに珈琲を注ぐと、僕たちの正面に腰掛け、「どうぞ」と言った。礼を言って一口飲んだ珈琲は、脳細胞を活性化させる味がする。


 隣でかごめがぴんと背筋を伸ばすのを、視界の端で見た。そして自分と珈琲の間に距離ができたのを見てから、自分も無意識に姿勢を正したことに気づいた。


「代々、安曇家が村を治めていたことは知っているね?」


「はい」と言った声がかごめと重なった。


 時代の移り変わりとともに村の選挙制度も変化したが、現在でも村における実質的な権力者が安曇家の宮司であることは変わりない。それだけ檜神村における神社の存在は大きなものだった。


「『彼女』は三〇〇年前に、村を災いから守る存在として生まれたんだ。今では巫女とも呼ばれているね」

「あ、だから『かごめ』」


 村を守る存在、と聞いてぴんときた。「篭目」でも「囲め」でもない。「加護女」だ。


「そう。当時は巫女のことを『加護女』と呼んだ」


 僕の発言の意図を読み取ったかのように、夕作さんは言葉を加えた。「なるほど」という、唸るような声が隣から聞こえる。


「村はその巫女のおかげで、長い間安寧の日々が続いていたとされている。でも、あるとき、その加護を越える大きな厄が村を襲ったんだ。まあ知ってるかもしれないけど、そもそも巫女に厄を抑える力なんてない」


 厄、と繰り返した声は、今度はかごめより早かった。


 彼の話によれば、厄というものはかごめ様が生まれるずっと前から存在していたようだった。つまり、元々厄というものがあり、それを押さえるために千代と呼ばれる少女を生贄にした。


 車のなかで山畑さんが口にした「かごめ様がいないと厄災が起こる」という発言は、このことだったのだろう。


 その先は聞かなくても結末がわかった。生贄にされた少女は村を恨み、かごめ様と呼ばれる怨霊になったのだろう。


 それからの夕作さんの話は僕が想像していたのとほとんど同じ内容だった。ただ、一点を除いて。


「結合、双生児?」

「うん。一人の人間としてそれぞれ生まれるはずだった双子が、ある原因で融合した状態で生まれてくるんだ。頭部や身体の一部が繋がったままね」

「そんなこと、あるんですか?」

「かなりの低確率だけど、実際に起こり得るよ」


 そう言って夕作さんが差し出したタブレットには、頭部がくっついた二人の人間の画像が表示されていた。その隣には、二つの頭部が一つの身体を共有している写真もある。


 合成写真のようにも見えるが、医者として働く彼が言う以上、実際にそういった事例が存在するのだろう。


「かごめ様はその、結合双生児だったんですか?」

「いや、わからない」

「えっ」

「でも、文献の内容からしてその可能性が高い。彼女は目を四つ持っていたとされているんだ。他にも腕が四本という話や脚がたくさんあったなんて記述もあるけど、どうなんだろうね」


 たしかに三〇〇年以上も前の話なら、もちろん当時の写真は残っていないだろう。歴史の教科書で見るような肖像画も、あの辺鄙な村では期待できない。


 でも、僕は実際に見た。


「四つ目の女の子を見かけました。かごめを助けたとき、祠の側にいたんです」

「え、そうだったの?」


 かごめが僕の顔を覗き込んでそう訊くので、頷いて肯定する。そういえば彼女にはその話をしていなかった。夕作さんは特に驚きもせず、「うん、そうか」と穏やかな声で言った。


「当時は『異形の巫女』だったんだ。だから、生贄というより、神様に返そうという意図があったのかもしれないね。これは私の勝手な妄想だが」


 檜神村で双子を「忌み子」として扱う理由も納得できる。当時の村人は、彼女が元は二つの命だったことに気づいていたのだろう。


「話を戻そう。生贄にされたことで彼女は村を呪い、ひどい飢饉をもたらしたんだ。それ以降、呪いがひどいときは、その代の巫女に呪いの籠もった酒を飲ませ、生贄として呪いを移す。そうすると収まるそうだね。……ああ、毒酒というのは呪いを移しやすくするための触媒みたいなものだ」


 本末転倒だ、と思う。厄を避けるために少女を殺したのに、その少女が呪いをもたらすようになってはまるで意味がない。


「それで、生贄を捧げることで呪いは収まったんですか?」

「文献にはそう書いてあるけど……、うん、どうだろうね。そう書かないと自らの行いを正当化できないから。歴史的資料というのはそういうものだよ」

「なるほど……」

「厄、というのも昔の人からしたらそうなんだろうね。……あの村は地形的に不作に陥りやすく、野生動物を獲っていたから感染病も起こりやすい。生贄を捧げることで一時的に安心は得られたかもしれないが、実質的に意味がなかったんだよ」


 夕作さんの話の上では、かつての巫女は生贄として捧げられ、それが原因で村を憎み、災いをもたらすようになったという。でも、それでは夢の内容と辻褄が合わない。少なくとも、少女は村に対して献身的だったはずだ。これは後に検討する必要がある。


 今はそれより、優先するべき質問があった。


「あの、僕たちを追ってきた村人が、かごめが帰らないと村が危ないって言ってました。危ないって、具体的にどういうことなんですか?」


 これに関しては、夕作さんの話を聞いてある程度は予想が付いていた。だからこの質問は自分の疑問を解決させるというより、暗にかごめに「村に帰る必要はない」と伝えることを意図していた。


 自分を犠牲にしてまで村に帰る必要は、きっとない。


「巫女は死後に村を守る力が与えられるのではなく、死体自体に悪いものを撥ね除ける力が宿ると考えられているんだ。それから、彼らはかごめ様を厄に対する抑止力のように考えていたのかもしれないね」


 前半部分はさておき、抑止力というのは僕が考えたとおりだった。


 毒をもって毒を制す、という言葉が浮かぶ。彼の話の中で、かごめ様が生まれるより早く村に不利益をもたらしていた「厄」という存在が、かごめ様の生贄を機に一切登場しなくなった。


 村の老人たちがかごめを必死に連れ戻そうとしたのは、かごめ様という強い毒を失った途端、村が厄に襲われることを危惧していたのではないか。


 夕作さんの話にあったとおり、厄が超常現象的なものでないのだとすれば。


「村にかごめ様がいなくても、別に村に危険は及ばないってことですよね」


 その通りだ、という答えを期待していた。しかし夕作さんの反応は想像と異なり、歯切れの悪いものだった。


「そうとも言い切れないんだ。実際、かごめ様が生贄にされてから、不作や疫病の蔓延はある程度抑えられたという。偶然かもしれないけどね」


 夕作さんはそう言うと視線をテーブルに落とし、小さく息を吐き出した。


 言葉の切れたその瞬間になり、僕はようやく珈琲の存在を思い出した。他の二人も同様だったのか、言葉の途切れた部屋に珈琲をすする音が静かに響く。

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