4-4「安心できる場所」
話が終わると、夕作さんは「大変だったね」と僕の肩に手を置いた。ふいに沸いた涙の衝動を、下腹部に力を入れて耐える。
「お腹が空いただろう。簡単なものを作るから、座っていなさい」
「なんかいろいろ、すみません」
台所に立った夕作さんがこちらを振り返り、微笑みで返事をした。それからは部屋に料理の物音が響くだけになったので、時間を持て余した僕は、失礼とわかりながらも控えめに部屋を見回す。
居間はリフォームが施されたのか洋風のつくりをしていて、居間というよりリビングと呼ぶほうが適切な気がした。卓袱台ではなくダイニングテーブルに椅子を使っていることも、その違和感に拍車をかけている。
でも家の所々は日本家屋の面影があるから、部屋の呼び名に迷ってしまう。
一方で、開放された襖から覗く隣の仏間は和風のつくりをしており、部屋越しでも畳の乾いた匂いがした。本来仏壇がある場所は空気清浄機が置かれており、いつの間に電源を付けたのか、唸るような音を上げている。
仏間の上部には神棚があり、そちらには社のような形の木細工、それから手のひらサイズの赤い鳥居があった。
「こんなもので申し訳ないね」
「いや、ありがたいです」
目の前に出された野菜炒めは、実際、旅の疲れを忘れるほど魅力的に見えた。丁寧に「いただきます」を言い、平皿に盛られた野菜炒めを口に運ぶと、その温かみにまた涙が出そうになった。母が死んで以来、人の手料理を食べたのは初めてだった。
「この家は遠慮しないで使っていいからね」
「そんな、悪いです」
口ではそう言いつつも、この家を出たらどうなるかは簡単に想像が付いた。たった八十円だけでは一食ぶんの食費にもならない。一人になった瞬間僕は力尽きることだろう。
「かごめは生贄にされてしまったんだね」
「はい。神社の祠で倒れてるところを、」
助けました、と言う権利はないような気がして、言葉に詰まった。対して夕作さんはそこで言葉が終わったと解釈したのか、「ありがとうね」と皺の寄った口元をさらに凝縮させて言った。
宮司を務めるかごめの父親より若いはずなのに、白髪や皺などがより際立って見える。かなり苦労をしてきたに違いない。
「かごめがかごめ様に、あ、えっと、そっちのかごめが悪いかごめ様のほうに取り憑かれてて……」
事情を説明しようにも、どちらも「かごめ」という名前だからわかりづらい。夕作さんが困ったように笑っているから上手く伝わらなかったのだと思ったが、彼の喉に引っかかったのは僕の説明力不足ではないようだった。
「なるほど、悪いかごめ様ね」
「えっと、はい。違うんですか?」
「柚沙くん、かごめ様とは何者だと思う?」
何者か。村に災いをもたらす怨霊で、現在はかごめの身体に根を張り、呪い殺そうとしている。何者かと訊かれるてもそれ以上の返答が浮かばない。
「彼女は村を憎んだ、ただの子どもだよ」
「子ども?」
「過去に、生贄にされた子どもだ」
夢の内容を思い出す。彼女はなぜ、村に災いをもたらすようになったのだろうか。そもそも、生贄とはかごめ様に差し出されるものではないのだろうか。
じゃあ、彼女はなんのために生贄にされたのだろう。
「すみません、なんかよくわからなくなってきました」
「そうだね。ここまで長かっただろう。私も明日は仕事だ。そのあと、かごめも含めてもう一度話そう。先に風呂に入って寝てしまいなさい」
食器を洗うくらいの手伝いはしたかったが、今回ばかりは食器も風呂も甘えさせてもらうことにした。
風呂に入ると、心の穢れごと久しぶりに身体が綺麗になった気がした。ここに至るまで、何度も死ぬ思いを味わった。でも、こうして生きている。
わからないことばかりだが、こうして落ち着ける場にやってこられたことで、身体の、隅々まで生の実感が染み渡っていくような気がした。
風呂を上がって髪を乾かしたあと、布団を借りてかごめの隣で眠ることにした。夢のことを考えると眠るのが憂鬱になったが、その憂鬱に心を重くするよりも早く瞼が落ちた。
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