3-8「殺される夢」

 白い祭壇に僕は寝そべっていた。毒酒を飲んだ影響なのか、身体が痺れて力が入らない。周囲から何人もの気配がするが、目を開けてはいけないとわかる。肌の、ざらついた布に擦れる感覚がやけにリアルだった。


 耳を澄ませてみると、風で木々が揺れ、葉が擦れ合う音が鮮明に聞こえる。瞼の向こう側で、光が揺らめいていた。太陽の光ではない。蝋燭の炎だ。


 熱を出したときに特有の妙な寒気を感じる。風が肌に触れるたび、鋭く突き刺さるような感覚がした。


 蝋燭の炎がひとつ消え、瞼を通り越してやってくる光の明度が一段階低下する。その瞬間に周囲が静まり返って、そのとき、初めてさっきまで祝詞のようなものが唱えられていたことに気づいた。


 ゆっくり、薄く目を開く。世界はいつもより鮮明で、今なら全てを見渡せるような気がした。


 祭壇の前では大勢の人間が俯き、掌印を結んでいた。あれは檜神神社の鎮魂祭で実際に自分もやったことがある。それが今、自分に向いている。逃げようにも、身体の所有権が自分にないような感覚だった。


 ぬるり、という擬態語が似合う動きで、頭上から手が現われた。心臓が脈を打つたび、殴られるような頭の痛みがある。


 その老人のような手の主は見えない。炎の光を受けて、赤く照らされている。手が僕の首に掛かったとき、耳元で鈴の音がした。


 苦しいのに、手足が動かない。眼球が飛び出すのではないかと思うほど、眼底に圧力が掛かっている。


 その瞬間、身体の大きく動いた感覚があった。


「うわっ」


 喉を裂くほどの悲鳴を上げたと思っていたのに、実際に耳に入ってきたのは自分の声ではなく、隣の男が発した極めて短い驚きの声だった。彼は目を丸くして僕をしばらく見たあと、慌てたように視線を正面に戻した。その様子を見て、自分の状況を思い出す。


 そうだった。僕は今、鹿宮さんのトラックで横浜へ向かっているんだった。


 悪夢から飛び起きたときに変な体勢が崩れ、僕は、左に座るかごめを扉に押しつぶしそうになっていた。一方のかごめは居心地が悪そうに目を閉じている、ように見える。


 運転中の鹿宮さんも驚いただろうから、「すみません」、一応謝っておく。彼は、「寝れたか?」と正面を向いたまま言った。


「結構休めました。ありがとうございます」

「で、なに、怖い夢でも見たか」


 この年齢になって「怖い夢を見て飛び起きた」と言うのはかなり恥ずかしいものがある。でも実際に飛び起きる瞬間を目撃されてしまったわけなので、僕は素直に肯定した。鹿宮さんは大声を上げて笑っていた。


 横目で見た彼の腕時計は、朝の六時半を示していた。彼は眠らなくて大丈夫なのだろうか。もしかしたら、夜勤に向けて昨日のうちに寝溜めしておいたのかもしれない。


 車内にはラジオが流れていた。朝の交通情報が、女性の声で淡々と読み上げられる。先頭車両は何で、交通事故により何キロの渋滞。案内標識から察するに、別の高速道路の渋滞情報だった。


 右側は対向車が走り、左側は高架の下に広がる街並みが見えた。僕たちはすでに神奈川県に入っていたようだ。眠っている間に二つ、県境を跨いでいたらしい。


 空はすでに朝の明るさを取り戻していた。丸い形の雲が地面に影を落とし、移動していく。もう夜の気配はどこにも感じられなかった。


「もうすぐサービスエリアに着くから、かごめちゃんのこと起こしてやりな」

「あ、はい」


 かごめの肩を軽く揺すり、「起きて」、と声をかける。彼女は「んー」と唸ったあと、ゆっくりと目を開いた。


 眠っているかごめは死体のように見えるから、彼女が眠りから覚めるたび、安心する。


 ちょうど正面に太陽があって眩しかったのか、かごめは手のひらで日を遮りながら薄目で僕を見た。それからすぐに僕の手を取ったから、今日も夢を見たんだな、と思った。


 かごめの話にあった夢を初めて見た。いや、これまでも見てはいたのだろう。でも、今回のように記憶が残ったのは初めてだ。彼女に巣喰う呪いが僕にも影響しているのかもしれない。


 夢のなかで、かごめ様が手を伸ばし、僕たちの首を絞めようとしている。


 僕が目を覚ますのはかごめよりも早い時間だった。同じタイミングで同じ内容を見ているのだとしたら、かごめは首を絞められるその先を見ていることになる。


 あのあと、どうなるのかは想像に易い。かごめは夢のなかで何度も殺されている。


「海老名サービスエリア 一キロメートル先」の案内標識を見てから数分もしないうちに、車内にウィンカーの弾けるような音が響いた。緩い遠心力を車内にはたらかせながら、トラックが左のレーンに入る。


 事故を経験したばかりだからか、昨夜、座席に腰を下ろした瞬間、明確な死の恐怖を感じた。


 それはかごめも一緒だったようで、最初、僕たちは手を握りながら時間をやり過ごそうとした。結局、身体いっぱいに膨らんだ疲労、それから見た目や態度とは裏腹に丁寧な運転をする鹿宮さんのおかげで僅かながらも眠りに就くことができた。


 疲労が回復しきったわけではないし、筋肉の張りは昨日よりも強くなっている。それでも、出発前に抱いていた複雑な思考は、睡眠を挟んだことによりいくらかクリアになっていた。


 標識に従ってトラックは「大型車」の駐車場へ進入し、地面の白線に沿って停車する。早朝だからか、乗用車の駐車場には多くの空きがあった。一方で鹿宮さんのような運転手が多いのか、大型車側はほぼ満車に近い状況だった。

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