3-3「最後の晩餐」

 地下街からエスカレーターを上がると、改札付近のコンコースに合流するようになっていた。とりあえず外に出るため、どちらの出口を使えばいいかもわからないまま、人の流れに沿って足を進めていく。


 しばらくするとロータリーが姿を現し、未だに光を灯したビル群の奥、視界の数パーセント程度に藍色の空が見えた。


 出口を抜けてすぐの場所には高速バスの受付所があって、視線をやったところ、東京までのバスは三千円だった。


 電車を降りた際、改札口で駅員に精算をお願いしたところ、過払いのぶんを戻してくれた。そのため手元には、かごめだけなら東京へ送り届けられるだけの資金がある。


 そのことを伝えようとして、やめた。


「人、東京もこれくらいなのかな」

「同じか、これ以上だと思う」

「もっと多いなんて、やっぱり想像付かないな」


 人は誰でも生きる権利があるというのに、生きることもままならない人が救われないのはなぜだろう。それからすぐに、生きる権利はあっても義務はないのだから当たり前だと考え直した。


 僕たちは別に、誰からも生きることを強要されていない。


 切り捨てられはしたが、それは実際、死と同義なわけではない。だからこそ僕はこうして生き残っている。


 幸せと不幸は最終的に釣り合うようにできている、と姉は言った。彼女のなかで、それらは本当に釣り合っていたのだろうか。


 巫女の力を継がなかったからといって母とともに捨てられ、義父からは無関心を貫かれ、最終的には病気を処置されることなく死んだ。彼女がこれに見合う幸せを享受していたようには思えない。


「東京、楽しみだな」


 改めて考えれば、希望を口に出す行為は姉が自分の死から目を逸らすための儀式みたいなものだったのだと思う。


 この先、幸せがあると自分に言い聞かせなければ、到底正気を保つことなどできなかった。明るく口を開くかごめを見ていると、その考えがたしかな正当性を帯びていくような気がした。


 僕たちの間には、口に出さずとも、たしかに死の気配が色濃く漂っていた。


 かごめを連れ出さなければ今も僕は生きていたし、かごめだって村人に追われることなく感謝されて楽に死ぬことができたはずだ。それで村の不況が好転すれば住民は喜んだだろうし、見知った顔が事故で死ぬこともなかった。


 本来かごめ一人で済んでいたはずの犠牲は、僕の働きにより、その数を無駄に増やすだけだった。もしかしたら僕がしていることは全部、不利益にしかなっていないのかもしれない。


 かごめが生贄になる前に連れ出したのならまだ言い訳ができる。でも僕は彼女を救ったわけではない。身体は死体そのものだし、夕作さんに会えたとしても治るという保証はない。


 客観的に見れば、状況は悪くなる一方だった。


「もし、私が死んだらお父さんは悲しんでくれるかな」


 死、という言葉が出て思わず息が詰まった。この旅に出てから初めて、僕たちの間に「死」が話題に上がった。


 最初からずっと、選択肢として存在していたはずなのに、目を逸らし続けていた。


「悲しむようだったら最初から生贄にしないよ」

「そう、だけど」


 家族愛ってなんだろうと思う。僕は父に愛されたかったのかもしれない。誰もが無条件に子を愛するわけではないと気づいてから、僕は力のない自分に価値はないと思って生きてきた。


 そうやって自分に価値を付与して、それを否定されたときは本当に死んだような気持ちになる。


「でも、愛してくれてるって信じたいよ」

「家族愛なんて、あてにしないほうがいい」


 昔は父も優しかったのに、彼は簡単に僕を間引いた。


 僕たちは大通りをひたすら歩いていた。目的のない道を歩き続けるのは、案外心地がいい。空を見上げると、数えられるほどしか星が見えなかった。


 愛してくれてるって信じたい。


 聞いたばかりのかごめの言葉を思い出して、食道に塊が詰まったような気分になった。恥ずかしい、という感情だと思う。かといって照れとか恥じらいのような生暖かいものではなく、例えば人の黒歴史に自分を重ねて見たときのような、髪をかき乱したくなるような恥ずかしさだった。


 愛を簡単に口にできることが羨ましい、と思う。


「今いくら残ってるんだっけ」

「三千円くらい」

「そっか」


 かごめの視線が地面に落っこちて、それから時間をかけて星のない空へ向けられた。彼女の目がすうっと細まり、唐突に周囲の喧騒が色を薄くしたとき、「そっか」かごめはもう一度噛みしめるみたいに言った。


「美味しいもの、食べようか」


 僕はその言葉を、死の宣告のようだと思いながら口にした。最後の晩餐という言葉は、思いついたけど喉の奥に留めておいた。

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