2-10「新幹線で東京を目指そう!」
かごめがまた悪夢を見たと言ったとき、これはもしかしたら彼女が受けた呪いが関係しているのかもしれない、と思った。
「……なんか、真っ暗な場所で台に寝かされてて、私は身動きが取れないの」
声の震えを隠すことなく、かごめが両手で体を抱きかかえるようにして話す。「台」、と呟いた声がかごめの息を吸う音と重なった。
「うん、そう。それから手が伸びてきて、首を絞められる」
かごめのことを殺そうとしているのかもしれない。そう思ったが口には出さなかった。ただそれに代わる言葉は浮かばず、僕は黙ってかごめの背をさすることしかできない。
「大丈夫だよ。そのうち見なくなる」
結局、不自然な間を開けて出てきたのは、一時しのぎにすらならなさそうな慰めの言葉だった。
そうなのかなあ、とゆったりとした声で言いながら、かごめは大きく息を吐き出した。彼女に巣喰う呪いの正体について、僕たちはよく理解していない。
突飛な考えだが、かごめ様は身体を乗っ取ろうとしているのかもしれない。そしてかごめの身体を使い、村人たちへの復讐を考えている、とか。
がちゃりと音がして、扉から籠原が顔を出した。
「先にチェックアウトの手続きしてるから、お前らは準備できたら降りて来いよ」
「はあい」
なるべく早くに出ようということで、僕は籠原が設定した朝七時のアラームにひどく苦しめられることになった。夜中に彼と話をしていたせいで、布団から出るのにもひどく体力を消費する。ひとまず、かごめが昨夜目を覚ました様子はなかったようなのでその点は安心だ。
籠原は「準備ができたら」と言っていたものの、僕たちは何も荷物を持っていないため、準備するようなことはほとんどない。
申し訳程度にベッドのシーツを直し、かごめと一緒に部屋を出た。
この日は広島駅から新幹線に乗り、東京を目指す予定だった。夕作さんの住所はかごめが頭のなかに控えているから、向こうで交番を訪ねれば詳しい行き方を教えてくれるだろう。
彼女の見る夢が本当に呪いによるものだったら、一刻も早く夕作さんの元へ向かう必要がある。昨日は「赤くて大きいものが近づいてくる」や「手が伸びてくる」など抽象的だったかごめの説明は、今朝、「暗い部屋で白い台に乗せられ、首を絞められる」という具体性を帯びたものに変化していた。得体の知れない何かが、彼女の身体を蝕んでいる。
そして僕は、どういうわけか、かごめの説明を映像として簡単に思い浮かべることができた。説明を聞くたび、村を出てから体験した、目を覚ましたときの違和感が輪郭を帯びようとしている。
覚えていないだけで、僕もかごめと同じ夢を見ているのかもしれない。
夕作さんがかごめから呪いを取り除き、死に瀕したその身体を治すことができるとは限らない。それに、夕作さんの家の前で村人が待ち伏せしている可能性もある。
新幹線に乗ってからも、油断するわけにはいかない。
エレベーターを使って地上階に降りると、すでに手続きを終えた籠原がロビーのソファに座り、携帯を触っていた。声をかける前にこちらの存在に気づいたようで、「行こう」、携帯をポケットにしまいながら立ち上がった。
ホテルの外は、陽射しの割に低い気温をしていた。十月というのは、最初は夏の顔をしているのに、ある日突然秋という属性を纏うようになる。
僕とかごめのように服を一着しか持ち歩いていない放浪人にとって、十月はあまりに不親切な時期だった。夕作さんの家に着いたら、まずは上着を買う必要があるかもしれない。
籠原はときどき僕たちに他愛ない話を振りながら、小動物のようなスピードで前を歩いた。僕たちは特に急ぐこともなく、彼の後ろを並んで歩く。
こうして、ただ人に付いていくだけの移動は楽だった。
例えば川の流れというのは上流から下っていくごとに緩やかさを増し、流れ着いた先には、穏やかで暮らしやすい世界が広がっている。
流れというのは、摂理だ。抗って生きていくより流れに身を任せ、行き着く先で、また行き当たりばったりな生活をするほうがずっと楽だと思う。
「柚沙たちはさ、東京に行ったらもう村には戻ってこないのか?」
「あんな場所に戻れないでしょ」
「まあそうだな」
はは、と籠原が大きな笑い声を上げる。その声に驚いたのか、道の真ん中を陣取っていた鳥が一斉に飛び立ち、周囲から生き物の気配が完全になくなった。
「もし帰ってくることがあったら、東京ばなな買ってきてくれよ。あれ、好きなんだよなあ」
「どうしよっかなあ」、かごめが笑いながら言う。
影が、僕の感覚にあるより長さを増している。つい先日まで残暑があったせいで上手く認識できずにいたが、太陽はちゃんと秋としての役割に従事し始めたようだった。
思えば、日が沈む時間もいつの間にか早くなっている気がする。
「なあ、結局さ、かごめ様って何なんだ? 本当にいるのか?」
「私は実際に会ったわけじゃないけど、実際にいるよ」
二人の会話を聞きながら、なんとなく空を見上げてみる。そうしてみると、たしかに、今が秋だということが明白になっていく気がした。
どうしてそう感じたのかはわからない。でも、空の青さとか雲の模様とか、そういう細かな要素が無意識的に秋を連想させるのだと思う。
巨大な建物の影に埋もれ、視界の解像度がすこし、低下する。視界の端で何かが光って、視線をずらして確認すると、路肩のハイエースに設置されたサンシェードだった。フロントガラスから鱗のような模様が覗き、昨日見た川の水面のようにキラキラと輝いている。
この車の持ち主も、秋が来たということをまだ認識していないのかもしれない。
地面の白線がところどころ色褪せている。「止まれ」の文字に至っては、道路に刻まれた僅かな溝でしか認識できない。アスファルトを破って生えてきたであろう雑草が枯れている。もう少しで日陰から脱出できたはずなのに、あと一歩の所で太陽が雲に隠される。
あれ、行きはこんな道通ったっけ、と思った。二人の間から会話はなくなっていた。
「籠原さん、駅ってこっちだっけ?」
背後から強い風を感じて、東京もときどきこうだったことを思い出した。背の高い建物に囲まれた場所は、その間を縫ってきた強い風が吹く。
それは幼い当時の僕が、危うく転びそうになるほどだった。
「柚沙」
かごめの不安げな声が隣から聞こえてくる。
籠原は何も言わなかった。車の扉が開く微かな音を聞いて、走り出そうとしたときにはもう遅かった。
「おい、なんだよ、どういうことだよ、これ」
逃げ道を塞ぐように、僕たちの前後、それぞれ三人の男が立っている。どれも見覚えのある顔だった。檜神村の人たちだ。前方を塞ぐうちの一人は、幼いころから仲良くしてくれた、隣の山畑家の主人だった。
山畑夫婦は二人ともおしゃべりを好む上に声が大きいので、家にいる間は、仲睦まじく話す声がよく聞こえてきた。学校の帰りは「おかえり」と優しい声を掛けてくれて、父が仕事で忙しいときは、夕飯をご馳走してくれたこともあった。
その山畑さんを含め、そこに立つ村人たちは、僕に目の敵を見るような視線を向けていた。
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