2-2「神社と叛徒」
僕たちが広島駅に到着するのは午後十時前の予定で、夜行バスの発車時刻は十七時台だった。これでは今日中の便に間に合わないため、明日の発車時刻までの間、どこかで時間を潰さなくてはならない。
深夜については、迷惑とわかりつつも、ファミレス等で時間を潰そうと考えていた。
「かごめ様って、なんだろう」
かごめがそう言ったのは、乗り換えの際にコンビニで昼食を買い、次の電車を待ちながら食事をしているときのことだった。時刻はすでに午後一時を過ぎ、ホームも閑散としている。
「村の呪いって聞いたけど。神社の関係者でも知らないんだ」
「私もよくわからない。大昔の人の呪いってことしか知らないよ」
村の者は案外、かごめ様というものについて、知らないことが多いのかもしれない。僕だってかごめを助けに向かわなければ、あそこに祠があることすら知らないままだった。
呪い、というからには何か悔恨を残して死んだ誰かによるものなのだろうか。その人物は村を憎んでおり、災いをもたらすようになった、とか。
筋は通っているが、具体的なことは何もわからない。わからないから、対処のしようがない。
「ってか、なんで宮司の娘を生贄にするの?」
「巫女は死後に、村を守る力を与えられるの」
誰から力を与えられるのか、そもそも死後にどうやって村を守るのか。様々な疑問が残るが、彼女が生贄に選ばれた理由としてそういう伝承があるのはわかった。
それでも、納得はできない。
一方で、自分と同様に、生まれを選べないことで不利益を被る存在がいることに、すこし救われた気分になった。ありきたりではあるが、一人ではないと思えることで、不安や憂鬱が解消されるということがたしかにある。
「かごめ、サンドイッチひとつ食べない?」
「え、もらう。ありがと」
ふたつ入りのサンドイッチのうち一つを差し出すと、かごめはそれを恭しく受け取った。死人でも腹は減るらしい。僕がこれまでまともに食事をしてこなかったことを加味しても、かごめはよく食べるほうだと思う。
おにぎりとサンドイッチそれぞれ一つで満腹になった僕に対し、かごめは「なんか、やたらおなかが空く」と視線を逸らしながら言った。
彼女が食べたものはどうやってエネルギーに変換されるのだろう。渡すときに触れた手は冷たいままだったし、電車内でも寝息を立てている様子はない。
でも、こうして、まるで生きている人間のように活動している。
死後硬直や、腐敗臭の気配は全く感じられなかった。これが呪いの力というやつなのかもしれない。それどころかシャンプーのいい香りがするから不思議だ。
「あ、そろそろ来るんじゃない?」
電光掲示板に「間もなく電車が参ります」の表示が出たあと、遅れてアナウンスが入った。かごめは慌てたようにサンドイッチを口に詰め込み、数回胸を叩いたあと、勢いよく立ち上がった。やってきた電車はありがたいことに、空席が目立っていた。
「次は柚沙が寝る番だね」
「かごめは体調、大丈夫なの?」
「うん。あ、でも」
「でも?」
隣を歩くかごめの視線が斜め上に移動していく。しばらく唸ったのち、「なんか、」を枕詞に彼女は再び口を開いた。
「喋るとき、いちいち空気を吸い込まないといけないの、違和感がある」
「うーん」
興味深い、と少し思ってしまった。
意識したことはなかったけど、普通だったらある程度は肺に空気がある状態だから、声を発するときの空気はそこから流用される。かごめは現在呼吸をしていないため、声を発する際、そのために空気を吸い込む必要があるのだろう。
僕たちは乗り込んだ車両の、空いている座席の端っこに二人で並んで座った。他に乗り込んできた乗客は数人程度で、人の気配より、揺れや電車の音のほうが強く感じられる。
目を閉じると、意識はすぐに薄れていった。
かごめ様とは一体、何者なのだろう。それは、彼女を祠から連れ戻したときからずっと考えていた。
あの四つ目の少女がかごめ様という存在なのだろうか。あの子どもが人ならざるもの、と説明されても納得できる。でも、少女らしい見た目のせいなのか、村に災いをもたらす存在のようには思えない。
かごめの叔父に会えば、何かわかるかもしれない。夕作さんは神社を管理する安曇家の子孫で、宮司の弟でもある。村を出てからは東京に住む安曇家の分家に匿われ、家の一つを譲り受けてからはそのまま東京の一軒家で暮らしているらしい。
夕作さんのことでよく思い出すのは、姉が死んだ直後の鎮魂祭でのできごとだった。僕が知る限り、村に反発した住民は彼だけだ。
鎮魂祭は年に一度、檜神神社の境内で行われる。本殿があるスペースはただでさえ広いとは言えないのに、取り囲むように屋台が並ぶと、東京の通勤ラッシュとは言えないまでも、不自由なく移動するのは難しいほどだった。
屋台はチョコバナナやたこ焼きなど様々で、僕と兄は特に、向かいの安田家が経営している焼きそば屋を贔屓にしていた。
その年、姉が死んでも母が病に伏していても鎮魂祭は開催され、僕と兄と父は例外なく参加した。昔、移住者が参加せず、以降除け者にされる様子を見たからだ。
鎮魂祭はその名の通り、かごめ様の呪いを鎮めるために行われている。だから屋台や踊りで盛り上がったあと、木を組んで作った櫓に火を放ち、炎を取り囲んで黙祷を捧げることで祭りは終了する。
その際は宮司が祝詞を唱え、村人は指を絡めた複雑な形の掌印を組まなければならない。幼いころは人差し指と中指の位置関係がどうしてもわからず、よく親に注意されたものだった。
その年の鎮魂祭も例年通りの盛り上がりを見せ、問題なく畳まれるはずだった。
祭りが終盤に差しかかったころ、男の怒鳴り声が聞こえた。和太鼓の音とか何かを焼く音とか、そういった騒音が場の空気を支配していたせいか、一緒にいる兄がそれに気づいた様子はない。それどころか周囲に声を気にした様子の人はほとんどいなかった。
僕にとって夕作さんは、よく遊んでくれるもう一人の兄のような存在だった。村の多くの子どもにとってそうだったと思う。
神社に行けば遊んでくれたし、僕も兄も彼のことが好きだった。
人混みに揉まれて兄とはぐれてしまったので、僕は声のほうへ向かうことにした。それが夕作さんのものであることは早い段階で気づいていた。
本殿と鳥居を繋ぐ獣道のような参道で、夕作さんは宮司と口論していた。二人の間には巫女装束に身を包んだ同年齢ほど女の子がいる。安曇かごめだった。
「自分の言っていることがわかっているのか?」
「逆に、平気な顔をしてる意味がわからない!」
夕作さんは今にも宮司に掴みかかりそうだった。丸く縁取られた眼鏡が、レンズのかたちに提灯の灯りを反射している。覗き見ていた僕は、背後から聞こえてくる楽しげな喧騒に、意識が浮き上がったようになった。
「話し合うつもりがないならこの村を出ていく。前から決めていたことだ」
「そうか」
目を細めた宮司の視線が足元の少女へ向く。その瞬間、夕作さんは苦い表情を浮かべた。「狂ってるよ」、夕作さんの声が小さく聞こえる。
「柚沙、勝手に離れんなよ」
声がしたほうを振り返ると、そこには兄の姿があった。僕は人差し指を口元に運び、「静かに」の合図をする。しかし最初の一声でこちらの存在に気づかれてしまったようで、夕作さんと宮司の視線がゆっくりとこちらを向いた。
「戻りなさい」
宮司が表情を崩さず言い切るより早く、夕作さんはこちらに駆け寄ると、僕の肩をがっしりと掴んだ。僕と兄を交互に見て、それから息を吐き出す。
目に涙が浮かんでいるように見えたのは、あちこちに設置された提灯のせいかもしれない。
「柚沙、沙智。いつかこの村を離れなさい」
返事をする時間はなかった。夕作さんはすっと立ち上がると、かごめの肩も同じように掴み、「ごめん、ごめんな」、涙ながらに言った。
大人が泣いているのを初めて見たので、僕はなんだか見てはいけないような気がして、兄のほうへ視線を移動させた。兄は首を傾げたまま何も言わなかった。
夕作さんが去っていくのを、宮司は黙って見つめていた。その翌日、夕作さんがいなくなったという話を聞いた。
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